前座になるまで
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、すい喬です。
世の中は落語ブームだなんて言ってます。
東西あわせて実に噺家の数が800人とか900人とか。
完全に把握できていないところが、また落語の世界らしくていいですね。
昨今では前座になる前、つまり噺家の卵になる前に見習いという期間まで設定されています。
それくらい入門者が多いということなんです。
近いうちに1000人くらいになるんじゃないでしょうか。
高座名をもらえるまでに1年や2年、見習いをしなくちゃならないということになると、これは大変です。
その間は無給みたいなもんですからね。
さりとてアルバイトもできず、ひたすら親のすねを囓るということにもなりかねません。
よほど実家が裕福でないと、これからは落語家になれない時代がやってきます。
さて苦難の日々を越え、やっと前座になれたら、さっそく落語を教えてもらいたいところです。
大学の落研にいた人は、ものすごく妙な癖がついてますから、
まず見習い期間中に全部真っ白にしてもらうという漂白期間がいるのかもしれません。
いずれにしても芸の道は長いのです。
そう簡単に身につくものではありません。
一番最初に習う噺というのは、長いのは無理です。
かといってあまりに短すぎてもダメ。
よく右と左をみて喋ったら終わりという小咄があります。
隣の空き地に囲いが出来たね。
へえ。
なんていうのは超古典的です。
あの鳥なんか落としたよ。
ふ~ん。
なんていうのもいいですかね。
しかしこれではたったの5秒で終わりです。
やはり落語の基本が全て入っているような、書道でいえば永字八法に通じる落語でなくちゃいけません。
そこで落語界の最大勢力、柳家一門では入門者には「道灌」からと決めています。
道灌
この噺を聞いたことがありますか。
柳家の噺家は全員この落語から始めるのです。
かれらにとっての究極の目標はこの「道灌」でトリをとり、客席を笑いの渦にすることなのです。
柳家喬太郎の書いた文章にこんなのがあります。
落語らしい落語を喋ってて、のんびりと楽しいのである。
いや勿論、高座の上で独りよがりになってちゃいけないけれど。
将来『道灌』でトリをとれるようになるのが、夢である。
いや、ただ演るだけなら今だって出来る。
しかし、ただ演るだけではなくて、トリの『道灌』で、
お客様達に充分な満足感を味わって
もらって、その日の興行を終えるのが夢なのだ。
ことさらなケレンなど無しにである。
ハハハッ、いやはやたぶん生涯、無理だ。
しかし存外、『道灌』でトリをなんて考えている、そういう噺家は多いのである。
勿論、特に、柳家に。
たぶんだけど。
『落語こてんパン』
ここに柳家の噺家の矜恃のようなものを感じるのは、ぼくだけでしょうか。
みんなつまらない噺だといいます。
稽古してるといやんなると述懐する落語家もいます。
それでもやる。
つまりここが狭き門の入り口だからです。
実はぼくもこの噺をよくやります。
ただし稽古でだけ。
一度も高座にかけたことはありません。
なんにも稽古をしたい噺がない時は、必ずこれを最初にまずやります。
やはり、原点に戻れるようなうれしさを感じるからです。
柳家小三治もかつて一人で稽古してたら、あんまりつまらない噺なので、自分でも呆れたと言ってました。
ところが師匠の五代目柳家小さんはよくこれを高座にかけたのです。
普段は15分くらいの噺ですがいくらでも伸びます。
今でも残っている小さんの道灌には30分くらいのものもあります。
ぼくは橘家文蔵のが好きです。
彼もきっとこの噺には自信があるんでしょう。
よく高座にかけます。
八っつぁんになんとも愛嬌があって面白い。
あらすじ
あらすじはそんなに複雑なものではありません。
隠居のところへ遊びに来た八っつぁんは、暇つぶしの会話を楽しみます。
八五郎は奥の床の間にかかった絵のひとつについて、
「シイタケみてぇなシャッポをかぶって、虎の皮のモモヒキ履いて突っ立ってるあれは誰です?」と聞きます。
隠居は八っつぁんに向かって次のような説明をします。
これは太田道灌の逸話を描いたものだ。
室町時代時代の人、太田道灌は、狩りをしている最中に雨にあい、雨具を借りようと一軒の家に立ち寄った。
すると少女が出てきて、「おはずかしゅうございます」と言いつつ山吹の枝を盆に乗せて差し出し、頭を下げた。
道灌にはこの意味がわからなかったんだ。
すると家来の一人が「『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』という古歌がございます。
これは「実の」と「蓑」をかけ、「お出しできる雨具はございません」という断りでございましょう」と進言した。
これを聞いて道灌は「ああ、余はまだ歌道に暗いな」と嘆き、それ以来和歌に励み、歌人として知られるようになったということなんだ。
これを聞いた八っつぁんは「うちにもよく傘を借りに来る男がいるんですよ。ひとつその歌で追っ払ってやろう」と思いつきます。
歌を隠居に教えてもらって家に帰ります。
しばらくして雨が降り出し、一人の男が飛び込んできます。
ところが男はすでに傘を持っていて、「提灯を貸してほしい」と八五郎に頼むのです。
雨具でなけりゃ貸さないというと、蕎麦の割り前を返せと迫られます。
そこで八っつぁんは困り、「『雨具を貸してください』と言やぁ、提灯を貸してやらァ」と男に告げるのです。
男がしかたなく「雨具を貸してくれ」と言うと、八っつぁんは少女を演じ、
「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ、歌が書かれた紙を差し出します。
男はそれを「ナナヘヤヘ、ハナハサケドモ、ヤマブシノ、ミソヒトダルト、ナベトカマシキ」とつかえながら読みます。
「短けぇ都々逸だな」と感想を漏らしました。
八っつぁんは「都々逸? おめえ、よっぽど歌道に暗ぇなぁ」とからかうと男は、「角が暗ぇから、提灯借りに来た」
というのでオチになるというわけです。
角が暗いと歌道に暗いののシャレというのがポイントです。
どこが面白いのか
さあ、どこでしょう。
ぼくにもよくわかりません。
でもやってるとなんとなく落語らしくて、幸せな気分になれるのです。
途中に、太田道灌から徳川様が買ったんだ。
安かったでしょうね。
家康っていうくらいだからという台詞があります。
これも家が安いというシャレです。
さらにあまり多くの人がやるわけではありませんが、
本当にのちに歌の道に励み、返歌をしたという挿話をいれている落語家もいます。
橘家文蔵などはそのうちの一人でしょうか。
これは道灌の作です。
この落語のポイントはやはり兼明親王作といわれる
『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』という古歌につきるのではないでしょうか
田端の里に狩りに出かけた道潅と、少女とのかけあいに、
古歌をひっぱりだしてきて使うあたりは、相当に詳しい人でなくてはつくれない噺です。
八っつぁんは元々歌など知りません。
さらには漢字も読めない。
そこでひらがなで書いて教えると、どこを濁って読めばわからず、とんでもないことになります。
「ナナベヤベ バナバザケドモ」などという読み方をして、隠居をウンザリさせます。
このあたりも日本語のひらがな表記でうまく遊び、笑いをとろうということになるんでしょうか。
元々太田道灌という人は室町時代末期の武将です。
江戸城を築城したことでも名高い人物です。
そのあたりからこのテーマを考えついたのでしょうか。
道灌に和歌の意味が解けなかったということはないと思われます。
父親も歌人でした。
落語には百人一首や和歌が登場する噺がたくさんあります。
一番すごいのはなんといっても「千早振る」ですかね。
この噺はあんまりばかばかしいので、時々高座にかけたくなります。
しかしやってみると、意外に難しいです。
もう1つは「崇徳院」。
こちらは桂三木助か、古今亭志ん朝でしょうかね。
いずれにしても「道灌」は柳家一門の落語家にとって故郷のように大切な噺なのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。