人は哀しき
みなさん、こんにちは。
ブロガーでアマチュア落語家のすい喬です。
今回は名作「らくだ」について書かせていただきます。
この噺を稽古し始めたのはかなり以前のことです。
一言でいってすごく難しい。
人間の業の底を描いた噺です。
貧乏な長屋暮らしがウソに聞こえたら、そこでアウト。
気の弱いクズ屋の男が描けなければNG。
これ以上タチの悪い男はない通称「らくだ」と呼ばれた馬さんが表現できなければダメ。
後から出てくる仲間の丁の目の半次の性格が出せなければこれもアウト。
とにかく一癖も二癖もあるような人物が何人も出てきます。
貧乏長屋で暮らす男、らくだがフグの毒にあたって死ぬところから幕があきます。
といっても最初かららくだはもう死んでいます。
考えてみれは随分と不思議な噺ですね。
タイトルの人物が初めから不在という妙にシュールな落語なのです。
稽古は随分やりました。
いろいろな人の噺を聞きました。
権太楼師匠のは、後半になってクズ屋がらくだにいじらめられた話をしながら泣き、そして酒をのみ人格が豹変していくところがすごくいい。
ここが1番の見せ場でしょうね。
いつもは気の弱い人間が酒を飲むと、急に人格がかわるというのを実際に見ていないと、この落語はできません。
それくらいここの場面は難しいです。
しかし、今までに1度も高座にかけたことはありません。
なぜか、自分でもよくわからないのです。
たまたま機会がなかったとしか言いようがありませんね。
長い噺です。
30分では無理です。
後半をカットしてやっても40分はかかります。
早くにやっておけばよかったかもしれません。
今になってみると、あそこもここもと気になるところがたくさんあります。
あらすじ
ある長屋に酒乱で乱暴者の男が住んでいました。
名前が「馬」、あだ名が「らくだ」というのです。
丁の目の半次という兄貴分がらくだの家にやって来ると、らくだはフグを食べて死んでいます。
そこへクズ屋がやってきます。
これ幸いとクズ屋に香典を集めさせようとします。
嫌がるのを無理やり行かせたのです。
すると長屋の連中はらくだが死んだのをものすごく喜びます。
しかし香典の話をした途端、とんでもないという。
それでも無理に頼むと赤飯のかわりに届けると納得してくれました。
らくだの家に戻り、商売道具のザルと秤を返してもらおうとしたところ、半次がもう一軒、大家の所に行ってこいと言います。
仕事始めなので勘弁してくれと言っても聞いてはくれません。
今夜長屋で通夜の真似事をするから、大家と言えば親も同然、いい酒を3升、肴として煮〆を丼に2杯、飯を2升ほど炊いて持ってくるように頼んでこいと言うのです。
そんな事言ったら長屋に入って来れないと言いますが、許してくれません。
仕方なく大家のところへ出向きます。
しかし頼み事を聞き入れてくれそうもありません。
かえってらくだの悪口をきかされる始末です。
その話を戻ってから半次にすると、もう一度行って来いと言います。
死人の行き場がないので、こちらに持ってきて「かんかんのう」を踊らせると言ってこいと告げるのです。
大家は面白いから踊らせてみろと突っぱねます。
すぐに半次はクズ屋にらくだの死体を担がせるのです。
大家の所へ行って夢中で「かんかんのう」を踊ります。
次は八百屋です。
棺桶用に菜漬けの樽を貸してくれと頼みますが当然断られます。
そこで「かんかんのう」を踊らせると言うと、素直に貸してくれました。
樽を担いで帰ってくると、長屋から香典、大家からは酒肴が届いています。
半次はゲン直しに1杯やって行けと言います。
しかし酒が入ると仕事になりません。
それでも死人を担いだのだから酒で身体を浄めて出ていけと言いはるのです。
それではということで1杯だけ飲みます。
それがあっという間に3杯に。
酔いが回ってきたクズ屋はここから急に気が大きくなって兄貴分を怒鳴りつけ始めます。
性格が一気にかわっていくのです。
らくだの死体を落合の火屋まで運ぶシーンがラストシーンです。
途中で死体を落とし、道端で寝ていた乞食坊主を抱えていきます。
らくだと間違えて、これを担いで落合に戻り焼こうとしたのです。
酔っぱらいの坊主が突然跳ね起き「あちち!ここは何処だ」と訊きます。
「ヒヤ(火屋)だ」
「ヒヤ(冷や)でもイイから、もう一杯」というのが全体のオチなのです。
最後はカット
通常は長いので、クズ屋さんがだんだん酔っぱらって半次にからむところまでをやります。
どうでしょう。
この落語をアマチュアがごく自然にやれるようになるのに、どれくらいの稽古が必要かわかるでしょうか。
難しいのはお酒を飲むシーンではありません。
むしろ登場人物たちの心情の描写です。
気の弱いクズ屋が暮らしを守るために毎日我慢して働いているそのつらさ。
それと知らずに丁の目の半次がいい気になって脅し、やがて酒と肴を手にいれます。
その後でゲン直しにといって酒をクズ屋さんに無理に飲ませます。
仕事にならないからというのを無理強いすることで、完全にここから立場が逆転します。
かつてらくだにいじめられ半分泣きながら、それでも懸命に生きてきた男の暮らしが浮き彫りになります。
2杯や3杯の酒を飲んだからといって、暮らしがたたなくなるわけじゃあねえと逆にくってかかっていくのです。
このシーンのリアリティは、本当にどん底の暮らしをしている庶民の腹の底からの叫びでしょう。
ここがきっちりできないと、共感は得られません。
かんかんのうを踊るシーンはそれに比べればどうということはありません。
ご存知ですか。
かつてはやったんですね。
文政の頃、深川の永代寺に唐人踊という見世物が出て、これが大人気となり江戸中にひろまったといいます。
歌詞の「かんかんのう、きゅうれんす」も漢字で書けば「看看那、九連子」となるそうです。
ここは笑いをとれるおいしい場面ではありますが、本筋じゃありません。
らくだの可楽
八代目三笑亭可楽と言えば「らくだ」です。
十八番中の十八番でした
1度聞いてみてください。
この人の顔はなんともいえません。
笑ったところをみたことがないですね。
暗い芸風の人でした。
それがこの噺にピッタリなんです。
最初から最後までとにかく暗い。
ある意味、古今亭志ん生のやった「黄金餅」に少し似たところがあります。
貧しさが身体から滲み出てこないとうまくいきません。
志ん生の「らくだ」とも聞き比べてみてください。
談志のも迫力があります。
最近では橘家文蔵師匠ですかね。
この人の怖い表情の裏にある種の気の優しさが、この噺にはあっています。
歌舞伎の演目にもなっています。
いつかチャンスがあったらご覧になってくださいね。
ぼくももう一度稽古しなおして、高座にかけたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。