ものづくしの段は面白い
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師のブロガー、すい喬です。
今日は『枕草子』について少し書かせてください。
授業でも隋分とりあげました。
日記風のところもかなりやりましたが、授業をしていて楽しかったのは「ものづくし」の段です。
俗に「類聚段」と呼んでいます。
「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」などがその代表でしょうか。
とにかく軽妙で楽しいです。
観察力がここまで鋭いと、ちょっと怖いなと感じることもありました。
しかし筆のタッチが軽いのです。
きついこともサラリと言ってのけてしまうという機知も持っています。
本当に頭脳の明晰な人だったのでしょうね。
たいていの男性は相手にされなかったと思います。
紫式部のことはかなり意識していたのかもしれません。
清少納言は一条天皇の中宮定子に仕え、サロンの中心的人物でした。
一方の中宮彰子には紫式部がお仕えしていたのです。
意識するなという方が無理でしょう。
やがて定子の父、道隆が亡くなり、家は次第に傾いていきます。
それに比べると彰子の父、道長は日の出の勢いです。
清少納言はなんとかして定子を盛り立てようとしたに違いありません。
そのあたりのことはじっくりと調べてみてください。
本当にさまざまなことがありました。
歌人の父
清少納言の父親は歌人で有名だった清原元輔です。
そこから「清」の一文字がとられています。
本当の名前がなんであったのか。
実はよく分かっていないのです。
「少納言」は父親の役名に過ぎません。
つまり清原少納言の娘というのが、その名前の由来なのです。
16歳の頃に結婚して男児を設けましたが、後に離別したと言われています。
正歴4年(993)頃、一条天皇の中宮定子(藤原道隆の娘)に出仕し、定子が没した長保2年(1000)まで仕えました。
その後の消息は明らかではないのです。
一説によれば、晩年は零落したとも伝えられています。
これだけの才能を持った人であっても、満足にその足跡を追うことはできません。
それくらい女性の地位が低かったということに、改めて驚かされます。
父が漢文を教えてくれたということが、彼女のバックボーンになりました。
当時、女性で漢字の読める人はほとんどいませんでした。
その意味でも紫式部とよく境遇が似ています。
ただし紫式部は自分の能力をひたすら隠しました。
一方の清少納言はおおらかなものです。
このあたりは2人の性格の違いでしょう。
彼女の漢文の知識がどのようなものだったのか。
いかにも誇らしく書かれたのが有名な「香炉峰の雪」の段です。
雪の降った朝、「香炉峰の雪」はどうと定子に訊かれた清少納言は、とっさに簾を上げます。
女房たちはなんのことか最初よくわかりません。
中国の漢詩人、白楽天の詩の中にそういう一節があるのです。
それを知っていて、わざと定子は彼女に質問したというわけです。
晴れがましい表情でさっと簾を上げた時の清少納言の様子がみえるようです。
他の女房たちが驚いたのは言うまでもありません。
その機転の鋭さに舌を巻いたことでしょう。
紫式部だったら、知ってはいても何もしなかったに違いありません。
そこに性格の差が出ています。
高校では必ず学ぶ段です。
何度やってもつい微笑んでしまうところです。
彼女についての小説が読みたければ、田辺聖子著『むかし・あけぼの』をお勧めします。
非常に明るく、楽しい本です。
「かたはらいたきもの」全文
かたはらいたきもの。
よくも音弾きとどめぬ琴を、よくも調べで、心の限り弾きたてたる。
客人などにあひてものいふに、奥のかたにうちとけ事などいふを、えは制せで聞く心地。
思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる。
聞きゐたりけるをしらで、人のうへいひたる。
それは、何ばかりならねど、つかふ人などだにかたはらいたし。
旅立ちたる所にて、下衆どものざれゐたる。
にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみかなしがり、これが声のままに、いひたることなど語りたる。
才ある人の前にて、才なき人の、ものおぼえ声に、人の名などいひたる。
ことによしとも覚えぬわが歌を、人に語りて、人のほめなどしたるよしいふも、かたはらいたし。
現代語訳
いたたまれないもの、うまく弾きこなさない琴を、十分に調律もしないで、自分の思うままに弾いている様子。
お客などと会って話をしている時に、家族などが家の奥の方で遠慮のない話などをするのを、制止することができないで聞いている気持ち。
愛いとしいと思う人がひどく酔って、同じことを繰り返ししている様子。
噂うわさの張本人が聞いていたことを知らず、その人の噂をしている様子。
それは、噂される人がどれほどの高い身分の人でなくても、使用人などでさえ、たいそういたたまれない。
自宅から離れて宿泊滞在している場所で、身分の低い者たちががふざけている様子。
かわいげのない赤ん坊を、自分の気持ちでかわいいと思うのにまかせて、
かわいがり、愛おしく思い、その子の声をまねて、その子に言ったことなどを人に話している様子。
学識ある人の前で、学識のない人が、物知りぶった口調で、有名な人の名前などを言っている様子。
特に優れているとも思われない自分の歌を、人に語って、その歌を人が褒めなどしたということを言うのも、いたたまれない。
どうでしょうか。
この細かな観察力は。
どのシーンも目に浮かぶようです。
清少納言という人は、人品にあわないことがよほど嫌だったのでしょうね。
他人の気持ちを考えることなしに、自己満足を前面に出すような人間が1番嫌いだったものと思われます。
逆にいえば、できる人間を愛したのです。
きちんとした教養を持ち、それを明晰に表現できる人。
そういう人間に対する憧れがあったのでしょう。
現実にはほとんどそういう人に会ったことがなかったのです。
いたとしたら、それは間違いなく中宮定子その人でした。
彼女のふるまいや教養に対する清少納言の敬慕は並々のものではありません。
僅かな期間だけしか一緒にはいられませんでした。
定子は知的で明るい女性だったそうです。
清少納言が「枕草子」でことあるごとに褒め称えているのを読むと、なんともせつない気持ちになります。
3人目の子供を出産直後に定子はこの世を去りました。
享年はわずか24歳だったのです。
昔の人の生きざまがみえてくるようです。
最後までお読みいただきありがとうございました。