論理的な文章
いくら書いても論理的な文章にならないという人がたくさんいます。
そこからどうしたら抜け出せるのか。
はっきり言ってこれは難問です。
自分ではそこそこ書けるようになったと思っているから、かえって厄介なのです。
小論文を添削している人は、どこを見るのか。
もちろん論理の運び方です。
受験生はそこが本当によくわかっていないのです。
いくら反論を書いたつもりでいても、論点が不明確だと評価は高くなりません。
感覚的な印象から抜け出せない文章は最後まで苦しいです。
1つの理由は、書き出す前の対話が足りないからです。
自分の中で賛否を論じることが1番大切なのです。
これ以上賛成も反対もできないというギリギリのところまで検討したのかということです。
自分では反対したと思っていても、冷静に見るとそこまでの論理性はない。
まさになんとなくの論理なのです。
感覚的な印象だけで、文を構築しています。
読み手を完全に納得させるだけのものになっていません。
いつも問いがあって答えがあった勉強を続けてきたことの弊害が明らかに起きています。
小論文に答えがないということは、以前から随分語られてきました。
しかしそれが身体の中に十分浸透していないのです。
いわゆる「勉強」に馴れてきた頭から、正解癖が抜け落ちることはありません。
小学校時代から、ずっと先生が答えを教えてくれました。
問題があれば必ず答えがあって…。
無理もありません。
突然、全てを自分の頭で考えろと言われても、簡単にはできないのです。
正解神話
受験生の頭の中には偏差値の数字があふれています。
この大学のこの学部はどれくらいの偏差値があれば合格するのか。
ちゃんとわかっています。
模試でA判定が出ているから、落ちるワケはないとか。
これもある種の神話ですけどね。
さらに多くの参考書が一種の型をサンプルとして正解を提示してくれます。
実はこれも正解のための糸口に過ぎません。
どこまでいっても学ぶということの入り口に立てないまま、試験日を迎えてしまいます。
今まで見たこともない問題に遭遇して、茫然としてしまう受験生のなんと多いことか。
どうしたらいいのでしょう。
はっきりいいましょう。
決定的な方法はありません。
小論文は偏差値では割り切れません。
大学での学問には答えがないからです。
というか、社会にも世界にも答えはありません。
1つ1つ考え、悩みながら進む体力と知力が求められているのです。
自分でコツコツと考えてみる
究極の解法はないのです。
はっきり言っておきます。
イエスとノーで全てが書けない時はどうするのか。
とにかくまとめてみることです。
書いてみることです。
小論文に関しては、偏差値なんて関係ありません。
なんの保証にもならないのです。
その場で必死にテーマを理解し、解答への道筋をたどるのです。
苦しい作業です。
試されているのです。
ベクトル的解法
賛成、反対をじっくりと自分の頭の中で考えてみようと書きました。
全くその通りです。
しかしちょっと待ってください。
賛成の座標軸を左右どちらかにずらすとそれだけで反対になるのでしょうか。
完全に正と負の関係になってしまうだけなのでしょうか。
もう少しよく見てください。
X軸だけでなくY軸にも少しずれることはありませんか。
そうすると、ベクトルの力が働きます。
つまりぶつかった点に対して、原点から斜めに線が引けるワケです。
これは単純に正と負の数ではありません。
直線的な考えだけで、賛成と反対を考えてはいけません。
少し斜めにズレる発想があってもいいのです。
というより、むしろその方が好ましい時もあります。
まっすぐX軸を左右に動かして違う論点だけを探すのはやめましょう。
ナナメからも新しい視点はゲットできるのです。
どうしたらそんなことが可能なのか。
やはり経験です。
自分で1つ1つ学んで覚えていく以外に方法はありません。
問いの形をかえてみる
こういう考え方はどうでしょう。
ある設問に対して最も正攻法的な解答の仕方があったとします。
それに対して、まったく反対の立場から書いたらどうなりますか。
これで1つの文章が書けるに違いありません。
そうしたら今度は、方向性を変えるだけではない第3の道へ進むのです。
指示された問いの形を許される範囲内で自分なりに変形させてみることも考えてみてください。
どちらの意見を支持する数が多いか少ないかというレベルを超えるのです。
誰も思いつかない考え方の中に新しい価値はないか。
表でも裏でもなく、打ち捨てられた風景の中に意味はないのだろうか。
イエスもノーも言えない、判断を通り抜けたところにベクトル的な解法はみえないか。
効率では測れない懐かしさや匂いに正解への萌芽はないか。
あらゆる方向から探りをいれてみるのです。
先ほどのナナメからのベクトルと同じ視線です。
ひょっとすると、当たり前だと思っていたことの中に案外矛盾があるかもしれません。
もっと面白い視点が隠れているのかもしれないのです。
ビジネスの最前線でも戦略家たちはいつもニッチな誰も考えのつかない業態を探しています。
レストランひとつをとっても多くのパターンがあります。
椅子に座ればテーブルに料理が運ばれてくると考えているだけではもうダメなのです。
座らなくてもいいお客には立って食べてもらう。
料理が運ばれてこなくてもいいお客には、ビュッフェのように自分で選んで席についてもらう。
調理してなくてもいいお客には、自分たちで肉や野菜を焼いてもらう。
あらゆる可能性が小論文にもあるのです。
いつもパターンは1つしかないと考えないでください。
器を少し変えるだけで、世界がかわります。
型にこだわりすぎないことです。
論理性という1本の筋道さえ通っていれば、万全なのです。
たくさん練習してください。
ベクトル的解法のナナメの線を確保することです。
新しい局面が必ず開けます。
最後までお読みいただきありがとうございました。