全篇が新宿の大旦那、北村銀太郎翁へのインタビューで構成されています。
読んでいて、本当に面白いです。
芸人の世界がそこに現出されています。
志ん生、文楽、圓生、小さん、正蔵、三木助、柳橋、三亀松、アダチ龍光。
その人となり、人間の質、品位。
大旦那の目にはどう映ったのでしょうか。
芸と人は自ずと違うものです。
そのことが、ごく自然に、まるでそこに芸人がいるかのように語られています。
北村銀太郎は戦中に日清製粉の工場建設を請け負ってかなりの蓄財をしました。
それをすべて、末広亭購入のために費やしたのです。
建築材料があって、寄席経営の経験があって、人望厚い五代目柳亭左楽の勧めもありました。
130坪の土地を当時のお金で50万、30万、さらに25万払い、ついに買い取ったのです。
これが借り地だったら、人形町の末広と同じ運命になっていたことでしょう。
いい材木を使って、寄席の雰囲気をなんとか出そうと努力しました。
それが今につながっているのです。
さて当時の若手に対する期待も歯に衣きせぬ、物言いによく出ています。
一番が志ん朝、この人はこのまま伸びる。
談志は気が弱いのを隠そうとして、毒舌を吐き虚像を無理してつくってる。
円楽はとても圓生にはなれない。不勉強だ。
しかし自分の持ち味を生かしていくしかない。
小三治あたりが伸びるだろう。成長株だ。
寄席は道場そのものです。とにかくふらりと入ってきた客をいかにつかむかが大切なのです。
ホール落語で最初から特定の噺家を聞きにくる客とは違います。
真剣勝負そのものです。だから寄席が大切なのです。
そういう意味で例の協会脱退騒動の時に、よく戻ってきたと志ん朝を褒めています。
寄席で決着をつけるといった、彼のあの言葉は重いとも…。
大旦那の一言でこの騒動は大団円をみました。
翁があの時、三遊協会の旗揚げを認めていたら、現在とはまた違った景色になっていたことでしょう。
銀太郎翁はいつも二階の奥にいました。
少しくらい人気が出たからといって、いい気になるなよと、小朝に小言をいったのもその部屋ででした。
何十人も抜いて真打ちになったばかりの小朝は泣き崩れたとか。
当時の町の様子がよくわかります。
新宿で圧倒的な力を持っていた小津組との関係。
覚醒剤ヒロポンに犯される芸人の素顔。これもすごい。
五代目左楽の歴史に残る葬儀の様子。
歌笑の事故、その後を継いだ痴楽の芸の質。
続編もありますが、やはりこちらの方が断然光っています。
銀太郎翁の死が、一つの時代の終わりでもありました。