「SDGsと多様性」典型的な小論文のテーマをどう扱い考えればいいのか

小論文

SDGsの考え方

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は小論文のテーマ「SDGs」について「多様性」との関係を意識しながら、考えていきたいと思います。

ずいぶん長い間、この議論は続いていますね。

SDGsそのものについて知らないという人はいないでしょう。

このブログでもずいぶん取り上げました。

持続可能な開発目標のことです。

Sustainable Development Goalsの略称ですね。

2030年までに達成するべき17の世界的目標です。

残り、あと数年しかありません。

具体的には169の達成基準と232の指標が定められています。

2015年に提唱された時にはなんとしてでもという機運が盛り上がっていました。

しかしその後に訪れたロシアとウクライナ、アメリカとイランの戦争などを経て、かなり遠い目標になりつつあるような気もします。

誰もがこの開発目標を少しでも前に向けて頑張りたいと願ってきたと信じたいです。

しかしそれもはるかな夢になってしまうのでしょうか。

今回はSDGsと多様性という2つの考え方の中に潜む問題を掘り起こしてみます。

近年、「多様性」という表現は実に多くの場面で目にするようになりましたね。

しかしその本質をきちんと把握しているのかとなると、かなり疑問も残ります。

ここに掲載した文章は、文化人類学および民俗学の研究者である高橋五月氏が、SDGsを念頭に置きながら、「多様性」について述べたものです。

論点を整理しながら、あなたの考えを800字程度にまとめてみてください。

課題文

あなたは多様性と聞いて、どのようなものを想像するだろうか。

世界各地に住む様々な人種の人びと、もしくは自分が慣れ親しんでいる日常とは違ったかたちで生活をしている人びとのことを思い浮かべるだろうか。

もしかしたらあなたは、人間以外の動植物について思いを巡らせるかもしれない。

人種の多様性、文化の多様性、生物の多様性、その他にも多様性にはいろいろなカタチがある。

では、私たちがすむ世界をより持続可能なものにするために、私たちは多様性とどのように向き合うと良いのか。

まず第一歩としては、自分とは異なる「何か」を持って生きている存在を認めるということが大切なのだと思う。

色々な考えがあり、色々な生き方があっていい。

こうした多様性に寛容な姿勢が広まれば、世界はもう少し生きやすい場所になるのではないだろうか。

しかし文化人類学者の松村圭一郎が指摘するように、そこで立ち止まってしまっては、本当の意味で多様性について向き合っていることにはならない。

なぜなら「色々」を認めるだけでは、私は私、あなたはあなた、と線引きをして世界を細分化するだけで終わってしまうから。

ではどうすれば良いのだろうか。

私が考えるもう一歩先に踏み込む方法は簡単ではないが、可能であると思う。

それは相手の話に耳を傾け、同意しなくてもいいからその人の言っていることについて知ろうとする姿勢を持ち、真剣に考えることだ。

こうした対話を重ねることで、個々が細分化した世界から、個々が繋つながる世界に変わっていくのではないだろうか。

もう一つ、多様性について踏み込んで向き合うために大切なことがある。

それは、多様性と「わたし」の繋がりを考えることだ。

多様性のことを考えるとき、私たちは自分以外の存在のことを想像しがちである。

しかし、多様性と向き合うということは、自分と向き合うことでもある。

私たちはどこに住んでいても、周りの人、動物、ものたちと会話をしたり、触れ合ったり、音を聞いたり、見つめたり、色々な方法で多様性と関わり合いながら「わたし」を形成している。

多様性と共に生きる世界を目指すことと持続可能な世界を目指すことは密接に関わっている。

多文化共生、多種共生、そんなきれいごとができるのか?という意見もあるかもしれないが、可能性はある。

SDGsにも同じことが言えるだろう。

名称に「ゴール」が含まれているので勘違いしてしまいそうだが、持続可能な世界の探求にゴールは永遠に訪れない。

問題が深刻すぎるからではなく、常に周りの自然や社会環境の変化に伴って様子を変えながら存在し続けるからだ。

そのため、常に探求し続けることが重要なのだ。

多様性との共生や持続可能性を実現するために私たちが大切にすべきことは、ゴールの実現を夢見ることではなく、身の回りの「わたし」を含めた様々な繋がりを観察し、対話し、考察し、悩み、行動することを繰り返し続けることなのではないだろうか。

考察の糸口

筆者の論点はわかりやすいものです。

多様性とは単に人種や文化、生物などの違いを認めることではないというのです。

それよりも大切なのは、異なる存在と対話し、自分自身との関わりまで考えることだというのが基本です。

したがって大切なことは、相手の話に耳を傾け、同意できなくても理解しようと努める姿勢をとれるのかという点です。

さらにいえば、多様性との共生や持続可能な社会の実現には終わりがないという事実を確実におさえておくべきだとしています。

そのために周囲の変化に応じて対話や観察、行動を繰り返し続けることが大切だと論じているのです。

あなたはここに示されたことを実践できているでしょうか。

多様性を尊重することが重要だという掛け声は語られているものの、実際には「違いを認めよう」という表面的な理解にとどまる場合も少なくないのではないでしょうか。

相手を「自分とは違う人」と分類するだけでは、本当の理解にはつながらないのです

むしろ、なぜそのように考えるのかを知ろうとする姿勢が必要です。

多様性との関係

その論理をさらに広げていくなら、多様性との関わりを通して自分自身を見つめ直すことも重要だということです。

違う文化や考え方に触れ、自分にとって当たり前だと思っていた価値観を相対化しなくてはなりません。

その結果として、自分自身がよりよく見えてくるのです。

違うから仕方がないという結論づけは、ある意味容易です。

しかしそれでは何も先に進みません。

線引きがいくら正確であっても、それ以上の意味は持たないのです。

多様性との共生はむしろ自分の内側を掘り続けていく作業を意味するのでしょう。

偏見や、思い込みから自由になるのはけっしてやさしいことではありません。

しかしそれを続けていかなければ、変化し続ける世界の中で、対話や行動を粘り強く続けることはできないのです。。

例えば、外国人労働者や障害を持つ人々に対して、表面的には配慮を示していても、実際に交流する機会は少ないのが現状です。

相手の立場や困難を知らないままの場合が多いのです。

そのような状態では、本当の意味で共に生きる社会は実現できないに違いありません。

多様性と向き合うことは自分自身を見つめ直すことを意味します。

他者との違いに触れることで、自分の価値観や常識が絶対ではないことに気づかされるからです。

他者の異なる意見を聞くことは、ある意味苦しいことです。

それまで培ってきた価値観と対峙する場面も当然あるに違いないからです。

それでも多様性の時代を生きていくには、その生みの苦しみを経験する必要があるのではないでしょうか。

耳障りのいい言葉ばかりを並べても意味はありません。

知ることは見ることだと言います。

戸惑う経験を積み重ねて自分の考えをより深く見直していくしかないでしょう。

目標の1つである「人や国の不平等をなくそう」という表現は確かに理想的なものです。

確かに外国人労働者や多文化共生を進めることは、多様性を尊重する社会につながります。

しかし地域の人々との交流が進まないまま受け入れを拡大すると、摩擦が生じやすいのです。

その結果が「多様性」への反発です。

それだけに段階的に順序だてて進めていくことが重要になります。

SDGsは理想を掲げるだけで終わりではありません。

現実の社会で人々が受け入れ、継続できる方法を考えることが必要なのです。

多様性や持続可能性の甘い言葉だけに酔っていては実現は不可能だという事実を知るべきです。

あなたの経験に即して、論じてください。

実感のある文章になります。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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