「住吉物語・初瀬の霊夢」信仰と因果応報が女性の忍耐と絡む継子いじめ物語

継子いじめ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『住吉物語』を取り上げます。

継子いじめの物語です。

原型は平安時代の10世紀後半に成立しました。

その後の鎌倉前期に擬古物語として改作されたものが、伝わったと考えられています。

主人公の姫君は、母を早くに亡くし、父が再婚したため、継母から冷たく扱われます。

姫君は都での暮らしに耐えきれず、住吉明神にすがる思いで住吉へ下ります。

その信仰が通じ、彼女は次第に不遇を脱し、やがて高貴な男性と結ばれました。

以前とは比べものにならないほど幸福な生活を送るようになります。

一方、姫君を苦しめた継母は、その行いの報いを受けることになりました。

『住吉物語』は継子いじめ、信仰による救済、最終的な幸福という構成が特徴で、『落窪物語』と並ぶ教訓的な物語としてよく知られています。

全体として、因果応報、女性の忍耐と救済が描かれた物語です。

姫君は、継母のひどい仕打ちに耐えかねて、摂津国住吉に隠れ住んでいます。

中将は姫君の居場所を求めて神仏に祈り、九月に長谷寺に参籠し、霊夢を見ました。

ここに示したのはその時の場面です。

この夢のお告げによって中将は姫君と結ばれ、その後中将家は栄え、継母は零落していきます。

物語全体の流れが大きく変わっていく契機となる重要な場面です。

夢の内容とお告げに従おうとする中将の強い意志を読み取ることで、より物語の意味が理解できます。

遠い昔に生きた人々は何を信じて日々を生きてきたのか。

それが大変によくわかる話です。

本文

春秋過ぎて、九月ばかりに初瀬に籠りて、七日といふ、夜もすがら行ひて、暁がたに少しまどろみたる夢に、やんごとなき女、そばむきて居たり。

さし寄りて見れば、わが思ふ人なり。

うれしさ、せんかたなくて、「いづくにおはしますにか。かくいみじきめを見せ給ふぞ。いかばかりか思ひ嘆くと知り給へる。」

と言へば、うち泣きて、「かくまでとは思はざりしを。いとあはれにぞ。」

と言ひて、「今は帰りなん。」と言へば、袖をひかへて、

「おはしまし所、知らせさせ給へ。」

とのたまへば、

わたつ海のそことも知らずわびぬれば住吉とこそあまは言ひけれ

と言ひて立つを、ひかへて返さずと見て、うちおどろきて、夢と知りせばと、悲しかりけり。

さて、仏の御しるしぞとて、夜のうちに出でて、住吉といふ所尋ねみんとて、御供なる者に、

「精進のついでに、天王寺、住吉などに参らんと思ふなり。おのおの帰りて、この由を申せ。」

と仰せられければ、

「いかに、御供の人なくては侍るべき。捨て参らせて参りたらんに、よきこと候ひなんや。」

と慕ひあひけれども、

「示現をかうぶりたれば、そのままになん。ことさらに、思ふやうあり。言はんままにてあるべし。いかに言ふとも、具すまじきぞ。」

とて、御随身一人ばかりを具して、浄衣のなえらかなるに、薄色の衣に白き単着て、藁沓、脛巾して、竜田山越え行き、隠れ給ひにければ、聞こえわづらひて、御供の者は帰りにけり。

現代語訳

春と秋が過ぎて、九月頃に中将は長谷寺に参籠しました。

万願となる七日目という時、一晩中勤行して、夜明け前に少しうとうとと眠ったその夢の中に、高貴な女性が出てきたのです。

その人は顔をそむけるようにして座っていました。

近寄って見ると、私が思いを寄せている姫君だったのです。

そのうれしさは、言いようもなくて、

「いったいあなたはどこにいらっしゃったのですか。このように私をつらいめをあわせなさるのですか。私がどれほど思い嘆いているか知っていらっしゃいますか。」

と言うと、姫君は少し泣いて、

「これほどまで私のことを思ってくださるとは思ってもみませんでした。とても感無量です。」

と言って、「それでは帰ることにいたします。」

と言うので、中将は姫君の袖を引っ張って、

「今、いらっしゃる場所を、お知らせください。」とおっしゃると、

海の底ともそこがどこともわからず心細い思いで住んでいたところ、住みよいところだと漁師は言います。

わび住まいをしているところは住吉と申します。

と言って立ち去ろうとするのを、引き留めて帰そうとしないというところまで夢に見たところで、はっと目が覚めて、中将はもし夢と知っていたならば目を覚まさなかっただろうにと、悲しかったのです。

そこでこの夢は仏のご利益だと思って、夜のうちに長谷寺を出て、住吉という所を尋ねてみようと思いました。

お供の者たちに、

「仏教修行のついでに、天王寺、住吉などに参詣しようと思う。おまえたちはそれぞれ京に戻って、このことを父に申しあげよ。」とおっしゃったところ、

「どうして、お供の人がいなくていいわけがありましょうか。お供申し上げずに帰参したならば、よいことがありましょうか。」

と言ってお供をしたがったけれども、

「お告げを受けたので、そのとおりにする。特別に、考えがあるのだ。言うとおりにしてくれ。どんなに言ったとしても、連れて行くつもりはないぞ。」

と言って、

お供の者を一人だけ連れて、白い衣で柔らかくなった浄衣に、薄紫色の衣に白い単衣を着て、藁沓に、すねに巻きつけ足を保護する布を巻きつけました。

一行が竜田山を越えて、見えなくなってしまったので、これ以上お願い申し上げることも出来かねて、お供の者は帰ってしまったということです。

なぜ住吉明神なのか

たくさんある神仏の中でなぜ数ある住吉明神が登場するのかという疑問も当然ありますね。

これには、物語的・宗教的・歴史的な理由が重なっています。

住吉明神は古くから航海安全と国家を守護する正義の神として信仰されていました。

特に重要なのは、偽りや不正を嫌い、正しい者に味方するという神だということです。

『住吉物語』の姫君は、何の落ち度もないのに継母から虐げられます。

それでも道徳的に非のない生き方をしたのです。

こうした人物を救う神として、住吉明神は大変な説得力がありました。

さらに住吉明神は海の神です。

中世の人々にとって海は、日常と非日常の境目であり、不幸から救済へ移る「転換点」
を象徴する場所でした。

物語の中で姫君は、現実社会で行き詰まり、住吉へと身を寄せます。

つまり住吉明神は、人生を「ひっくり返す力」を持つ神として配置されたのです。

さらに和歌や文学の守護神だったこともあげられます。

和歌三神のなかの神として篤く信仰されてきました。

姫君はただの被害者ではなく、教養があり心が清らかで和歌を詠む素養を持つ理想的な女性像として描かれています。

その彼女を救う神が「和歌の神」である住吉明神、というのは中世の読者にとって非常に納得感のある設定でした。

人々は住吉明神なら、最後には助けてくれるに決まっているとごく自然に受け止めました。

仏の慈悲を神の姿で示す存在として理解されていたのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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