【日知録・コンプライアンス】法令が細分化されると人間は次第に無気力になる

日知録(にっちろく)

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は明の末期から清の時代にかけて活躍した儒学者の本を読みます。

高校で学ぶことはほとんどありません。

最近は漢文の授業も随分少なくなりました。

私立大学では入試に出題しないケースが大半です。

そのこともあってか、授業で扱う比重も軽くなりつつあります。

しかし漢文を読み通す力は、大切なものです。

学びを深めるためにも、ぜひ時間をとってほしいですね。

今回の『日知録』は中国の清朝の顧炎武の著書です。

その研究範囲は広く、経学、史学、文学、政治、社会、地理、風俗などの分野にわたっています。

それも理論だけでなく、実証的に論じた書なので、実学としても十分役に立ちます。

その初版本が出たのは1670年です。

その後、さらに整理されて、1695年に完成しました。

のことであった。自序は、1676年に記されている

中国も清の時代に入ると、いよいよ政治が不安定になってきました。

宦官に代表される宮廷政治が、方向を見失いつつあったのです。

反清運動もおこりつつありました。

著者、顧炎武は経学や史学の傍ら、実学を盛んに説いたのです。

彼の論理はわかりやすいです。

法令が細分化されるにつれて、人のスケールはどんどん小さくなっていくというのが、それです。。

才能を発揮することのできた漢代でさえ、事務官僚が我が物顔にのさばりました。

ましてや、清りの時代はなおさらその傾向が強くなったのです。

どれほど有能な人物も腕がふるえず、無気力になってしまいがちでした。

彼は言います。

法令が悪を防止するメリットは三割、人材を阻害するデメリットは七割である、と。

今回はその文章を読みます。

本文

宋の葉適言ふ。

法令日に繁に、治具日に密にして、禁防束縛せられ、動くべからざるに至る。

而して人の智慮、自(おのづか)ら縄約の内より出づる能はず。

故に人材も亦(ま)た以て振るはず」と。

今人と稍(やや)談じて度外の事に及べば、すなわち手を揺(ふ)って敢えて為さず。

夫(そ)れ漢の能く人材を尽くすを以てすら、陳湯(ちんとう)も猶(な)ほ文墨の吏に扼腕(やくわん)せり。

而(しか)るを況(いわん)や今日に於(お)いてをや。

宣(むべ)なるかな豪傑の士、以て自ら奮ふ無くして、同じく庸だ(ようだ)に帰するや。

故に法令なる者は、人材を敗壊するの具なり。

以て姦き(かんき)を防いで、之を得る者十の三、以て豪傑を阻んで、之を失う者、十の七なり。

現代語訳

宋の葉適は言っています。

法令が日ごとに煩雑になり、統治の手段が日ごとに緻密になるにつれて、人々の生活は禁止条項によって締めつけられ、身動きできない状態に立ち至る。

そして人々の考えは自然と狭い枠の中から出られなくなる。

だから才能のある人も振るわなくなる、と。

今わたしが誰かと少々語り合って、たまたま枠からはみ出た話に及んだとしましょう。

すると、相手は決まってとんでもないと手を振って断り、やってみようとはしないものです。

漢は才能ある人を存分に活躍させることのできた良き時代でした。

しかし、それでもあの豪胆な陳湯さえ、事務官僚の石頭には腹を立てずにはいられなかったのです。

まして法令でがんじがらめの今日は、なおさらそうです。

せっかくの優れた人物が腕を振るうこともできず、みな一様に平凡な意気地なしに終わってしまうのも、もっともなことです。

だからして法令というものはいわば、人材をだめにしてしまう道具なのです。

法令によって悪者を防止する、その得点は三割、逆に有能な人物を阻害する、その失点は七割と考えるべきです。

コンプライアンス

この文章を読んで1番最初に思いついたのはコンプライアンスという言葉でした。

コンプライアンス(compliance)は「法令遵守」と訳されることが多いですね。

最もよく使われる場所は企業です。

最近では学校、病院、役所など、あらゆる場所で同じ表現を聞きます。

会社ぐるみのコンプライアンス違反としては、「粉飾決算」「脱税」「談合」などが最初にあげられます。

個人レベルでは、「パワハラ」「セクハラ」でしょうか。

「業務上横領」「インサイダー取引」なども挙げられます。

しかし最近ではもっとモラル全般に広がっています。

社会的なルールやモラルまで広くカバーしています。

「不祥事」がよくないのは当然です。

社会的な信用がなくなれば、会社や組織の存続も危ぶまれます。

最終的には経営が悪化し、廃業・倒産にまで至ることもあるでしょう。

そのために、「コンプライアンス」は現代のお題目となりつつあるのです。

無気力化

最近では組織の中にコンプライアンスのための専門部署が生まれています。

秘密裏に内部告発などができるシステムです。

これによって、従来は表沙汰にならなかったケースも明らかになっています。

企業にとって、1番怖いことは対応が遅れることです。

小林製薬の「紅麹サプリ」などを例に出すまでもなく、その対応が少しでも遅れると、大きな損害を受けることになります。

全品の回収や、被害者への対応を後手に回してはいけません。

さらにマスコミへの情報伝達が遅れると、それだけで企業体質が弱まってしまいます。

対応が遅ければ遅いほど、何かを隠蔽・偽装しようとしているのではないかと疑われます。

宋の葉適の言葉に戻りましょう。

法令が日ごとに煩雑になり、統治の手段が日ごとに緻密になるにつれて、人々の生活は禁止条項によって締めつけられ、身動きできない状態に立ち至る。

今はまさにこの状態に近くなりつつあります。

新しいことをやろうとしても、減点主義が行き過ぎると、何もしたくなくなります。

法令を守るふりをしている方が楽ですからね

統治の手段がどんどん細分化され、緻密になっています。

知りえた情報を外に持ち出すことは難しいです。

さらに内情を外部から遮断するために、多くの神経を使います。

それも適度なものならば、致し方がありません。

ところが、えてしてこのレベルの規制はどんどん強まる性格を持っています。

その結果、多くの人々は委縮し、自由な発想をとれなくなっていきます。

法令遵守という思想は確かに大切です。

しかし別の一面で、創造的なパワーを確実に失わせます。

あえて反感を持っていえば、人材をだめにしてしまう道具ともなりえます。

顧炎武は言いました。

法令によって悪者を防止する、その得点は三割、逆に有能な人物を阻害する、その失点は七割と考えるべきです、と。

あなたはどのように考えますか。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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