【性悪説・荀子】人間は弱い存在であるが故に学問が大切だという教え【礼】

学び

性悪説・荀子

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は荀子の「性悪説」について考えます。

高校でもこの単元は必ず学習します。

孟子の性善説と必ずセットになっています。

性悪説は今から2300年も前に生まれた思想なのです。

人は生まれながらにして悪であるというと、なんとなく悲しくなりませんか。

やはり「性善説」の方がいい気持ちですよね。

しかしあまり「悪」という表現を単純に考えてはいけません。

荀子はどういう意味で、この言葉を使ったのか。

そこがポイントです。

性悪説とは、人が生まれながらにして持っている性質のことであるのは間違いありません

しかしここでいう「悪」とは「悪い人」という意味ではないのです。

「悪」とは、「さまざまな意味で人は弱い存在だ」ということなのです。

人は生まれながらにしてみんな弱い。

さまざまな欲望に負けて、人としてしてはならない犯罪を犯すこともあります。

それならば、どうしたらいいのか。

方法は1つしかありません。

「絶え間ない努力」をすることです。

努力で人は善人に変わっていきます。

ではどのような努力をすればいいのか。

一言でいえば「礼」の研鑽です。

礼によって心を整え,社会的秩序を維持しなければなりません。

最初に原文を読んでみましょう。

書き下し文にしてあります。

「人の性は悪なり」原文

人の性は悪なり、其の善なる者は偽なり。

今人の性、生まれながらにして利を好む有り。

是に順ふ、故に争奪生じて、辞譲亡ぶ。

生まれながらにして疾悪(しつお)有り。

是に順ふ、故に残賊生じて、忠信亡ぶ。

生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好む有り。

是に順ふ、故に淫乱生じて、礼義文理亡ぶ。

然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合して、暴に帰す。

故に必ず将(まさ)に師法の化、礼義の道(みちび)き有りて、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。

此を用(も)つて之を観れば、然らば則ち人の性は悪なること明らかなり。

其の善なる者は偽なり。

現代語訳

人間の生まれたままの本性は悪なのです。

それが善になるのは、努力を積み重ねた結果によります。

人の本性を考えると、生まれながらにして利益を好む性質があります。

感情のままに生きていれば、他人と争い奪いあうことが生じ、譲る心も失ってしまうものです。

また、人間は生まれながらにして、他人を憎む性質を持っています。

その結果、他人を危うくすることとなり、まごころと誠実さを失ってしまうものです。

さらに人間は生まれながらにして聞くことと見ることの欲を持っています。

その結果、美しい音楽や美しい人を好む性質があります。

やがて淫らな心が生じて、礼儀や物事の筋目を失ってしまいます。

人間というのは生まれつきの性質に従い、人の感情のままに従っていると、必ず他人と争い奪いあいがあり、物事の筋道を乱すことになります。

だからこそ、必ず規律を学び礼儀を知ることで、その後にはじめて人に譲る心が表れ、条理にかない、世の中が平らかに治まるのです。

以上の点から考えてみると、人間の生まれたままの本性というものは悪であることが明白です。

それが善であるのは、人間が絶え間なくと努力をしてきたからなのです。

性悪説の背景

荀子と正反対の論点を唱えたのは孟子です。

「性善説」とは、人の本性は善であると言う考えをさします。

本来、善なる性質を持っているため、努力を惜しまなければ立派な人間になることが出来るという意味です。

しかしこの内容を裏側からみれば、努力を怠れば「悪」にもなり得るという戒めの意味が含まれています。

「性悪説」とはどのような思想だったのでしょうか。

人間は悲しい性質をもった生き物であるからこそ、日々の鍛錬が必要だという内容です。

よく考えてみてください。

この2つの思想を見比べてみると、実はほとんど違いがありませんね。

最初にどちらの側から真実を突き止めようとしたのかという点が、ポイントなのです。

学問によって研鑽を積み、礼の心をはぐくむ。

そのことによってしか、人は変わらないということです。

孟子と荀子の違い

努力をしない人間は、真の人間にはなれないのです。

儒教における勉強は、知育ではありません。

ものを知ることももちろん大切です。

しかしそれ以上に、人間として身につけなければならない道徳が最も重要でした。

「仁義礼智信」とよく言われますが、とくに「礼」を重んじたのです。

人として、他者に対する尊敬の気持ちをどう表現するか。

正しい教育を身につけ、敬愛の精神を築き上げた人間は、けっして道を間違えることはないと信じられました。

春秋戦国時代は、群雄が割拠した複雑な世の中でした。

天子はつねに神の申し子でなければならず、徳の深い人智にあふれた人間であるべきだと考えられていました。

それだけに資質を磨くことに対して、貪欲でもあったのです。

荀子は諸国を遊説して侵略に反対しました。

さらに王道によって統治する理論を展開したのです。

彼の考え方は法家にも大きな影響を与えました。

韓非子や李斯などの思想に色濃く影が滲んでいます。

荀子の思想が「礼」によるものだというと、では孟子や他の儒家とはどこが違うのかという質問もよくあります。

荀子は天や自然よりも人為を優先しました。

最も大切なのは、人民ではなく君主を中心とする政治だと主張したのです。

古代の君主が定めた「礼」を守ることを強く唱えたのです。

これが後の法家に強い影響を与えました。

孟子は反対に「民を貴し」としました。

ここが孟子と荀子の決定的な違いです。

荀子は儒家の中でも異端とされている理由が、ここにあるのです。

これらの違いをよく読み取りながら、それぞれの思想の背景を探ってみてください。

今回も最後までお付きあいいただき、ありがとうございました。

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