玉勝間
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は本居宣長の随筆集『玉勝間』を取り上げます。
御存知ですか。
高校では最も有名な「師の説になづまざること」を学ぶことが多いです。
成立したのは18世紀後半。
本居宣長といえば『古事記』の研究に取り組んだ国学者として最もよく知られています。
それまで、ほとんど正面から光をあてて研究した人はいませんでした。
どうしても『日本書紀』の脇に追いやられていたのです。
もう1ついえば、やはり『源氏物語』の研究でしょうね。
有名な「もののあはれ」という言葉は文学の本質をあらわす表現として、今も使われています。
日本人の考え方の基本として、今も大切に扱われている概念なのです。
それでは今回の『玉勝間』はどのような位置を占めるのでしょうか。
「たまかつま」あるいは「たまがつま」と呼ばれます。
「玉」は美称です。
特に意味はありません。
「かつま」は籠のことです。
美しい籠の中にしまわれた随想というような意味でしょうか。
宣長が古典の研究で得た知識を収録した本だと考えて下さい。
有職故実や語源の考証、談話などが自由に記されています。
今回扱う段は、その中でも彼の学問観を知る上で、大変貴重なものです。
学者として歩んできた中で感じたことが様々にあったのでしょう。
それを自由に書き込んだところが興味深いです。
原文を読んでみましょう。
少し長いので、割愛してあります。
原文「師の説になづまざること」
おのれ古典を説くに、師の説と違へること多く、師の説の悪き事あるをば、わきまへいふこともおほかるを、
いとあるまじきことと思ふ人多かめれど、これ、すなはち、わが師の心にて、常に教えられしは、
「後によき考への出で来たらんには、必ずしも、師の説に違ふとて、なはばかりそ」となむ、敎ヘられし。
こはいと尊き教へにて、わが師の、よに優れ給へる一つなり。
おほかた、いにしヘを考ふること、さらに、一人二人の力もて、ことごとく明らめ尽くすべくもあらず。
また、善き人の説ならんからに、多くの中には、誤リもなどかなからむ。
必ず悪きことも交じらでは、えあらず。
そのおのが心には、今は、いにしへの意ことごとく明らかなり。
これをおきては、あるべくもあらずと、思ひ定めたることも、思ひのほかに、また人の異なるよき考へも出で来るわざなり。
あまたの手を経るまにまに、先々の考ヘの上を、なほよく考へ究むるからに、次々に詳しくなりもてゆくわざなれば、
師の説なりとて、必ずなづみ守るべきにもあらず。
善き悪しきを言はず、ひたぶるに古きを守るは、学問の道には、言ふ効なきわざなり。
また、おのが師などの悪きことを言ひ表すは、いともかしこくはあれど、
それも言はざれば、世の学者、その説に惑ひて、長く善きを知る期なし。
師の説なりとして、悪きを知りながら、言はず包み隠して、よさまに繕ひをらんは、ただ師をのみ尊みて、道をば思はざるなり。
現代語訳
私が古典を説明するときに、先生の説と違うことが多くあり、先生の説の良くないところがあるのを、
はっきり違いを見分けて言うことが多かったのを、まったくとんでもないことだと思う人が多いようですが、
これはつまり私の先生の心であって、いつも教えられたのは、
「あとで良い考えが浮かんできたときには、先生の説と違うからと言って必ずしも遠慮してはならない。」と教えられました。
これはとても立派で優れた考えであって、私の先生がとても優れていらっしゃることの一つなのです。
そもそも、昔のことを考えることは、決して一人二人の力でもって何もかもを明らかにし尽くせるわけもありません。
また、優れた人の説であるからと言って、その中にどうして誤りが無いことがあるでしょうか。
いや、あるはずです。
良くないことも混じらないと言うことは決してあり得ないのです。
その自分の心には、「今は古代の人の心は全て明らかです。自分の説を除いては、真実があるはずもないのです。」
などと思い込んでしまうことも、思いのほかに、また他人の違う良い考えが出てくることの理由です。
多くの研究者の手を経ていくと、前の人々の考えの上を、さらによく考えきわめるので、次々と詳しくなって行くものなのです。
先生の説だからといって、必ずしも執着して守らねばならないわけではありません。
良い悪いを言わずにひたすら古い説を守るのは、学問の道ではとるにたらないことなのです。
また、自分の先生の良くないところをはっきり言うのは、とても恐れ多いことではありますが、
それも言わなければ、世の中の学者は良くない説に惑わされ、長い間、良い説を知ることができなくなります。
先生の説だからと言って、良くないのを知っているのに言わずに黙っていて、良いように格好つけているようなことは、
ただ先生だけを尊んで、学問のことを思っていないのと同様なのです。
誤りは誤り
本居宣長の発言は今、読めば、ごく当たり前のことかもしれません。
しかし江戸時代にこの内容を書くにはかなりの勇気が必要だったのではないでしょうか。
先生の言っていることで間違っていると確信したたことは、遠慮なく告げた方がいいというのです。
先生だから間違わないはずはないという考えはNGだというのです。
正論ですね。
しかしそれを指摘すると、自分の立場が危うくなるといったようなことは、今でも多々あります。
よくアカハラという言葉を聞きます。
アカデミックハラスメントの略です。
指導教授の指示した内容に不満があっても、それにNoとは言えない。
あるいは考えに納得できないところがあっても、それを言ってしまうと、あとの自分の立場が急激に悪くなる。
そういうシチュエーションは非常に多いのです。
医学の世界でも、芸術の世界でも、似たような話をよく聞きます。
そこで下の位の者たちは忖度するのです。
こういえば、悪い感情を持たないだろうという方向に流れていきます。。
宣長は先生を立ててるだけで、学問を考えようとしない態度には我慢ができませんでした。
彼にとっての師といえば、契沖や賀茂真淵でした。
しかし学問を進歩させるということは、彼らを尊敬しつつも、同時に踏み越えていかなけばなないのです。
そういう意味では、彼自身も後の人達に踏まれる宿命を持っていました。
逆にいえば、若い世代の人たちに批判された時、それを糧に自分も成長しようとしない研究者は存在する意味がないということです。
日々、進歩するための努力を惜しんではいけません。
誤りに気づいたら素直に直し、そこから再出発する。
その繰り返しが学問を発展させるのでしょう。
道を明らかにするためには、師といっても踏み越えていかなければならないのです。
それだけの覚悟をもって学ぶということが大切なのでしょう。
厳しいけれど、正しい考え方だと思います。
しかし現実には実践できていないところが多くあります。
自戒をこめてじっくり読むと、この言葉は胸に刺さりますね。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。