【女の一生・杉村春子】文学座はこの戯曲とこの女優の存在で花開いた

ノート

女優の業

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語教師、すい喬です。

今回は文学座を代表した女優・杉村春子について書きます。

文学座は1937年、岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄の発起にて結成された日本を代表する劇団です。

その結成当時から活躍した座員が杉村春子だったのです。

彼女がこの世を去ったのは平成9年。

91歳の春4月でした。

その少し前に『午後の遺言状』という映画に出たのが最後になりました。

新藤兼人監督の作品です。

彼の妻、乙羽信子の最後の作品でもあります。

老いた舞台女優とその別荘の管理人。

そして老女優の夫が管理人に生ませた子供。

偶然に出会う泥棒と死に場所を求めてさすらっている能役者夫婦。

それぞれが不思議な味わいを醸し出した作品でした。

モチーフは一つの石です。

その石が生の意味を限りなく感じさせる重い意味を担っていました。

最後にこの石で自分の棺をたたいて欲しいと願う老女優を杉村春子が、そのままの姿で演じたのです。

この作品の監督をした新藤兼人がその後、『杉村春子の生涯』という作品を上梓しました。

表紙を見た瞬間、つい本を手にとってしまいました。

妻、乙羽信子がガンにかかり残り1年と宣告された時、新藤兼人はどうしても杉村春子と一緒に妻の最後の映画をとりたいと思ったそうです。

場面は蓼科の彼の別荘でそのほとんどを撮り、最後の海のシーンだけは金沢にしました。

その頃、乙羽信子は発熱が続き、もう映画を撮る状態ではなかったといいます。

しかしその日だけは不思議と熱がひき、ラッシュを見たとき、彼女は本当にうれしそうな吐息をもらしたそうです。

ひょっとすると自分の命の限界を悟っていたのかもしれません。

その数ヶ月後、彼女は静かに息をひきとります。

監督の妻になるまで、どれほど苦難の道があったのかということについては、それだけでひとつのドラマになります。

同志

前妻が病に伏して亡くなるまできちんと愛情こめて面倒をみた後、新藤兼人は近代映画協会時代から同士であり、愛情を持ち続けていた乙羽信子と再婚したのです。

実に気の遠くなるほど長い間、彼女は夫になるべき男性を黙って待ち続けました。

新藤兼人にとってどれほど大切な人であったのかが、理解できるのです。

こういう意志的な生き方をした人が存在したのだということを忘れてはいけません。

ぼくは1度だけ銀座のセゾン劇場で彼女が観劇にきたところをみかけたことがあります。

まだ元気な頃でした。

美しい人でしたね。

新藤兼人の映画にはほぼ全てにわたって出演しているのです。

もう1人の主人公、杉村春子は実に2度、夫となった男性と死に別れています。

女の悲しみがそこには漂います。

いつも愛するものに先立たれてしまう彼女は、それでも愛する人を探し続けていました。

そこに登場したのが劇作家、森本薫です。

昭和19年、『怒濤』という北里柴三郎をモチーフにした作品で、杉村春子と森本は急接近します。

もちろん彼には女優である妻がいました。

しかし前夫、長広岸郎と死別して2年。

39歳の彼女は誰か愛する人を求めていたのです。

その前にたちはだかったのが、後に文学座の財産となる『女の一生』を書いた森本薫でした。

彼は杉村春子のために、この作品を完成させました。

女の一生

その頃、彼は肺を病んでいたのです。

戦争が次第に苛烈さを増す中で、次はいつ上演できるかわからない『女の一生』をどんな気持ちで演じたのか。

平和な今の時代に想像することはできません。

文学座の顧問、久保田万太郎は最後の公演の後、こう言いました。

時節を待ってまた集まろう、それまでお互いの身体を大事にしよう。

そう呟いたきり、しばらく絶句してしまったといいます。

感極まって、杉村以下女性陣たちも泣き崩れてしまったのです。

『女の一生』は激しい芝居です。

1幕目の最後に主人公、布引ケイの言う台詞には万感の思いがこもっています。

舞台の真ん中にすわり、正面をきっと睨み付けた杉村春子の表情が今でも忘れられません。

団員の脱退騒動、自分の後継者だと公言してはばからなかった太地喜和子の事故死。

彼女の周辺にはいくつものつらい歴史が積み重なっています。

自分の後継者として育てていた矢先の事故でした。

岸壁から車が海中へ沈んでしまったのです。

公演先での事故でした。

平幹次郎や中村勘三郎などと演じた太地喜和子は真の俳優でした。

ああいう女優は現在いません。

全身が理屈抜きに女優そのものでした。

その大切な人が突然亡くなってしまったのです。

高齢だった杉村春子にとって、痛恨の災難でした。

劇団の命

現在のコロナ禍において、芝居を続けることは至難です。

地方に展開していた演劇鑑賞団体も高齢化の波の中で、経営は非常に厳しいものがあります。

杉村春子が『女の一生』をひきさげて全国を回った頃の勢いはどこにもありません。

それでも文学座にとってこの戯曲は命なのです。

杉村春子主演の上演回数は通算947回におよびました。

その後も女優たちはなんとかして炎を絶やさずに演じ続けてきたのです。

2016年、平淑恵より布引けい役を引き継いだ山本郁子が、見事にこの大役を演じ切っています。

文学座以外では大竹しのぶもチャレンジしているのです。

1度はやってみたい役柄なのでしょうね。

明治の時代、天涯孤独の境涯にあった布引ケイが、不思議な縁から拾われて堤家の人となるところから話は始まります。

kareni / Pixabay

清との貿易で一家を成した堤家は、その当主もすでになく、息子たちはまだ若いのです。

けいは一族をまとめるだけの器量をもっていると見込まれ、長男の嫁となります。

本当は次男に心を寄せていたのです。

しかし戦争は個人の思いなどまでかまってくれません。

堤家のため、一族を守るために前を向いて歩かなければならなくなりました。

その彼女が1幕目の最後に語るセリフの一節が最も有名なものなのです。

原文をそのまま載せましょう。

誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩きだした道ですもの。
間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ。

これです。

自分に言い聞かせるようにして、布引ケイが正面を向いた時の形相はすごい迫力でした。

人の運命はこういう風に決まっていくのだなと感じたものです。

ぼくにとって忘れられない芝居ですね。

きっと杉村春子も万感の思いをこめて呟いたのだと思います。

是非、脚本を読んでみてください。

幸い、青空文庫に所収されています。

女の一生とは実に含蓄のあるタイトルだとしみじみ感じます。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました