【マレーシア・JICA研修】たった1日のホームステイが心に残る

ノート

大歓迎

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師でブロガーのすい喬です。

今回はかつてスタディツアーでマレーシアを訪れた時のことを書きます。

JICA(国際協力機構)のお世話で企画されたツァーでした。

ご存知ですか。

JICAは、日本の政府開発援助(ODA)を行う実施機関です。

開発途上国への国際協力を行っているのです。

現地で青年海外協力隊がどのような活動をしているのかを見るというのが今回の旅行の主旨でした。

その時に組まれたのプログラムの1つがホームステイです。

訪れたのはコタティンギ村というところでした。

ジョホールバルの北東約40kmのところにある古い地区です。

最初から大歓迎を受けました。

太鼓を叩いてみんなで小学校に用意された会場へ入場したのです。

その後はセレモニーです。

_Alicja_ / Pixabay

お祈りをした後、農業省の偉い女性のお話がありました。

村の人たちはみなさん、神妙な顔をして聞いています。

マレーシアの言葉は日本語の発音に近いので、聞いていてもあまり疲れません。

その後、ホストファミリーとのご対面タイムがやってきました。

ちょっとどきどきしましたね。

初めてお目にかかったファミリーのご主人も奥さまも終始ニコニコ。

奥様はちょっと小太り、それにひきかえ旦那様は細身です。

民宿に立ち寄る前のご対面という風情でした。

奥さんにぐいぐい手を引っ張られて、隣へ坐らされたものの、何を話したらいいのか困りました。

さっそく息子さんの車で家まで案内してもらうことになりました。

歩いている途中でもたくさんの人達が興味深そうにこちらを見ています。

人寄せパンダみたいなもんです。

こちらも手を振りました。

みんな応えてくれます。

初めての日本人

それでもやはり不思議な感じなのでしょう。

村に突然現れた旅芸人かサーカス団のようでもあります。

後で訊いたら1942年以来、初めて村にやってきた日本人らしいのです。

ここにもきっちりと戦争の爪痕は残っていました。

車の中で覚えたばかりの言葉「スラマパギ」と「テリマカシ」を連発しました。

意味をご存知ですか。

「スラマパギ」はこんにちは。

「テリマカシ」はありがとうの意味です。

しかし奥さんがもうスラマプタンの時間だと教え諭してくれました。

とにかく声が大きいのです。

どちらかというとガハハのタイプですかね。

5分ほどで着いた家はとても立派でした。

広いリビングの床はタイル張りです。

素足でいるとひんやりして気持がいいのです。

なんと8人も子供がいるとのこと。

初め心配していた言葉も、お嬢さんが小学校の先生をしていたおかげで、英語が通じました。

息子さんも喋れるのです。

日本から持参のカラーペンや、羊羹を取り出してまずは国際親善から。

それからはもういろいろな質問責めにあい、地震の話や、腹切り、芸者、日本語の発音などなど。

皆面白がって、一緒に発音してくれました。

持参の竹とんぼ、コマ廻しとなかなか忙しかったです。

お風呂の話

とくにお風呂に入る話では大いに盛り上がりました。

なんでわざわざ熱い湯に入らなければならないのかと訊ねるのです。

それもお金を払って温泉に行って泊まるのが楽しみだというと、実に怪訝そうな表情をします。

ご主人はぼくに向かって、『見よ、東海の空明けて』という軍歌を朗々と歌ってくれました。

63才という年齢から計算すると、7、8才の頃に聞いた歌ということになるのです。

それからしきりに首を軍刀かなにかで切るまねもしていました。

戦争の傷跡はいつまでも残っています。

その夜は皆と写真を撮ったりしながら、夜遅くまで語りあいました

最初にお金の話。

特に月給の額には興味があるようでしたね。

koshinuke_mcfly / Pixabay

おしん(お母さんの大好きなTV番組だった)フジヤマ、子供は何人、ちょんまげはいるか。

返事する度に驚きの声です。

奥さんはそろそろ、お湯を沸かそうかとしきりに心配してくれました。

いえいえ、水だけで十分ですとぼく。

マンディ(水浴び)をしに、トイレと風呂場が一緒になったところに赴きます。

カメに入った水を桶で頭からかぶること数度。

当たり前の話ですが、あたり一面あっという間にびちゃびちゃになります。

勿論、便器も水浸しなのです。

しかし、ローマに行ったらローマ人のようにするしかありません。

これが文化のギャップというものなのです。

イナイの風習

汗を流してさっぱりしたところで、息子さんのお嫁さんに、マニキュアにあたるイナイをしてもらいました。

木の葉をすりつぶしたものを、指先に数時間巻いておくのです。

最初、息子さんの指の先が何本も茶色だったので、これは何かと訊いただけのつもりが、よかったらやってみろということになりました。

ついお願いをしたという次第なのです。

ちなみにこれはちょっとやそっとでは色が落ちず、つまり指先はヨーチンを塗った状態のままになります。

ほぼ1カ月の間、色が落ちませんでした。

翌朝は心地よく目覚めました。

お母さんにおはようを言ってから、お決まりのマンディです。

これをしないと1日が始まったような気がしません。

それからまたお話。

特にラマダンの間、何も食べないのは本当につらいとのこと。

しかしそれが終わった後の祭り、ハリラヤプアサや、ハリラヤハジは本当に楽しみらしいのです。

盆と正月が一緒に来たようなもののようです。

言葉がわからないお父さんは、息子さんに時々意味を訊いてはニッコリ笑ってくれます。

朝食は春雨のようなものにスープ。

どうやら鶏らしいです。

それと日本のおもちのようなもの。

忘れてならないのは甘い紅茶です。

マレーシアの人は糖尿病にならないのでしょうか。

とにかく前日のパーティーの飲み物といい、この紅茶といい、めちゃくちゃに甘いのです。

日本ならまず医者に叱られるのは確実です。

最近、日本ではお砂糖を入れて飲まない人も多いと言ったら、目を丸くして、どうかしてるんじゃないかとお母さんは不思議そうな顔をしていました。

息子さんのお嫁さんがいつまでも食べずに見ています。

一緒に食べようというと、ちょっとはずかしそうにしてやっと食卓に向かいました。

やっぱり嫁と姑の関係はマレーシアにもあるのでしょうね。

食卓には他にマンゴスチンとドリアン。

食べろ食べろと勧められ、なんとか匂いにめげずいただきました。

匂いはすごいのですがおいしいです。

それでもスイカやナシがやはり恋しいですね

味覚というのは実にやっかいなもんです。

leovalente / Pixabay

家を出る時もきっと今度は奥さんと子供達をつれておいで、と皆が口にしてくれました。

本当に連れて来ようかなと、ちょっと思い、本当に我が家族を説得できるかと少し不安になったのです。

別れる時も最後までバスの中を心配そうに、ずっと覗き込んでくれたお母さん。

メッカ巡礼を終えた後のご夫婦の写真は本当に幸せそうでした。

私は幸せな放蕩息子を演じたまま、いい思い出をたくさんつめこんで、村を後にしてしまいました。

家に置き忘れた上着をバイクに乗ってわざわざ持ってきてくれたお父さんの優しさが身に沁みました。

敬虔なイスラムの人たちの温かさに触れた貴重な1日でした。

今も忘れられません。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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