国語につまずく
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は今までの経験から気づいたことを書かせてください。
最後に赴任した学校での話です。
いわゆる帰国子女をたくさん預かる高校でした。
担当の分掌についたため、他の先生方より彼らとの付き合いも増えました。
帰国子女のための学校相談会へ担当者として出かけたこともあります。
ブースに資料を置き、本人、保護者と次々面談します。
たくさんの親子が都心のビルの中の会場にやってくる様子は、やはり壮観でした。
多くの人が一時帰国中の時期に開かれるのです。
4月の他に9月入学もありますので、その少し前に設定されていました。
帰国子女といっても現地校と日本人校では対応が全く違います。
日本人校は全く問題がありません。
バラツキがあるのは現地校です。
学校では英、独、仏語を代表とする現地の言葉が共通言語です。
家では日本語を使っている家庭が圧倒的でした。
だから読み書きもきちんとできるだろうと思うと、そうでもありません。
現地の言葉の方が流暢なケースが目立ちました。
日本語の能力がきちんと備わっていない生徒も多いのです。
話すのはなんとかなります。
問題は読み書きです。
特に漢字は厄介でしたね。
親は帰国に際してとまどったことと思います。
学校相談会にまさかこれほど人が集まるとはと、その数に驚いている人もいました。
小学生連れの親子
なかには小学生連れの親子もいました。
これから中学校へ入るのでしょうか。
あるいはもう少し現地の学校にいて、適当な時期に戻ろうという人もいるのでしょう。
日本は島国ですから、出かける時よりも、戻ってきた時の方が難しいという話をよく聞きます。
この国のシステムに子供をどう適応させていくのかということに悩む人も多いそうです。
よく耳にしたのが、9才の壁という言葉です。
小学校4年生頃です。
国語を教えていた実感としては、この時にきちんと日本語教育を受けていないと、漢字の読み書きができなくなります。
一気に言葉が抽象的な概念語になり、内容が高度になるのです。
その時どの言葉を使っていたのかということで、大きな影響を受けます。
いわばアイデンティティにからむ重要なテーマを使った表現が増えるワケです。
幼い頃から父親の仕事の関係で外国を転々としている生徒がかなりいました。
一見、周囲の生徒と全く同じに見えます。
しかしその行動パターンや言葉遣いなどを見たり聞いたりしていると、全く日本人とは違う人格の人間にみえてくることがありました。
つまりこの国の事情がわからないまま、戻ってきているために、どういう行動が望ましいのかということを阿吽の呼吸で理解する能力に欠けているのです。
島国の中で同じ民族の一員として暮らしていると、どうしても視野は内向きのものになります。
さらに自己主張をあまりしません。
そうしたことがよくわからないまま、再適応しようとしても、大変に難しいようでした。
特に大きなネックになるのが漢字の読み書きです。
全く書けないとか読めないということではないにしても、小学校の4、5年レベルからやり直さなければならないケースもありました。
これには想像以上に大変な時間と労力を使います。
本格的な学習段階へ
小学4年生になると、勉強の質が本格的な教科学習へ突入します。
一気に難しくなるのです。
日本の学校でも勉強についていけない子が増える傾向にあります。
国語では話し言葉中心の学びから書き言葉中心の学習に変化します。
抽象的な概念やレベルの高い学習言語も含まれるため、これらが理解できなくなるのです。
このことは自己肯定感と深く繋がっています。
アイデンティティの形成に密接な関係があるのです。
この時期に現地校にいると、漢字の読み書きがほとんどうまくいかなくなります。
と同時に自分が学校で習っている言葉と、家で話している日本語との間にギャップができてくるのです。
日常的な会話で抽象的な概念を使うことはあまりありません。
さらに学校では現地の言葉で習います。
相互の関係が切れてしまうのです。
うまくリンクしません。
算数の場合も同様です。
暗記で解ける基礎問題は終わりです。
図形問題や文章問題なども出題されるようになります。
しかしそうした学習経験をあまりしないまま、日本に戻ってくるケースが多いのです。
親は相談会などで9歳の壁の話を聞くことになります。
もちろん知識としては知り、それなりに手当てをしてはいるのです。
しかし目の前で起こっている話を聞かされると、やはり焦ります。
責任を感じる場合もあるでしょう。
最近は中高一貫の学校が増えました。
学校の特色を出すために、なるべく帰国子女を別枠でとろうとするところもあります。
これが一時の流行でなく、きちんと個人の資質の問題とあわせて、十分に議論されていれば問題はありません。
しかし現実はそれほど容易ではないのです。
たくさんの例を見て
ぼくは日常的にそうした生徒をたくさん見てきました。
幼い頃から多くの国を経巡るという経験をした生徒は、明らかに苦しんでいたように感じます。
いわゆる日本人的な感性が抜け落ちています。
基本的に論理性を重視する外国語の場合、つねに自己主張することを要求されます。
そうしなければ生きてこられなかったのです。
9歳の頃の自己認識がそのまま身体の中に沁み込んだと考えるのが普通です。
劣等感や羞恥心などを強く意識する子が増えるのも9歳の頃からです。
場合によっては否定的な自己評価につながってしまう子供もいるのです。
個人主義が発達している国では、教育のシステムも日本とは大きく異なります。
なにもかもが担任の仕事などということはありません。
分業がきちんと成立しています。
同じ民族が狭い国土の中で息をひそめて生きるなどという構図もありません。
学校の規則1つをとってみても全く違います。
その1つ1つに適応しながら、帰ってきて難しい日本語の教科書についていくというのは並々でない努力が必要でしょう。
かつて9月入学の生徒に、古文の補習をしたこともあります。
わずか2週間で、3か月分の内容を全て教え込むのです。
ほとんど見たこともない構造の日本語の文章を短期間で学ぶのがいかに困難かは、誰にでも想像がつくでしょう。
それでもきちんとついてくる生徒はたくさんいました。
しかし残念ながら、全く理解できない生徒がいたことも事実です。
9歳の壁はさまざまな場面で表面に浮き上がってきます。
重いテーマです。
この時期、親はじっくり子供と向き合っていく必要があると思います。
学童保育が切れるとか、仕事が忙しいなどの要因も複雑に絡み合います。
教育は一般論だけでは語れません。
9歳の壁は厚いのです。
その事実を認識して欲しくてここに書きました。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。