「徒然草・第百七十五段」700年前にアルハラを批判した兼好法師の人権意識

酒は毒水

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はお酒についての話をします。

『徒然草』は243段からなる兼好法師の文章をまとめたエッセイ集です。

成立については、諸説あります。

現在は1350年頃にまとめられたのではないかと考えられています。

今から約700年前のことです。

高校ではかなりの数の段を扱い、授業をしました。

しかし全ての内容を網羅していたわけではありません。

有職故実などに関する内容は、ある意味特殊でしたので、かなり省略しました。

それよりもむしろ、人としてどう生きればいいのかというような内容や仏教的な無常観を論じたものが多かったです。

話の中には滑稽なものもかなりあります。

読んでいてもっとも面白いのは、今と変わらない人間の性とでも呼べるようなものに根ざした文章でした。

一言でいえば、究極は人間の欲望に付随したあれこれということになるのかもしれません。

教科書にない話の中でユニークだったのは、お酒に関する叙述です。

さすがに授業で扱う内容ではありませんしね。

彼のハラスメントに対する観察眼は実に鋭く冷静です。

今回扱うのは飲酒の功罪について語ったものです。

酒は百薬の長という人もいれば、その反対に人間を狂わせる毒水だという人もいます。

どちらにも真実味がありますね。

かなり長いので今回は「罪」に関する部分だけを取り上げました。

特にアルハラに関する部分は興味深いです。

酒飲みの酔態はいつの時代も変わらないものです。

さらに問題なのは、飲酒を強要する人間がいつの時代にもいることなのです。

本文

世には、心得ぬ事の多きなり。

ともある毎には、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたるを興とする事、如何なる故とも心得ず。

飲む人の、顔いと堪え難げに眉を顰め、人目を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、すずろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。

祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。

明くる日まで頭痛く、物食はず、によひ臥し、生を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、公・私の大事を欠きて、煩ひとなる。

人をしてかかる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも背けり。

かく辛き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。

人の国にかかる習ひあなりと、これらになき人事にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。

人の上にて見たるだに、心憂し。

思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子歪み、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日来の人とも覚えず。

女は、額髪晴れらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴(さかな)取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。

声の限り出して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒く穢き(きたなき)身を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎し。

或(ある)はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、下ざまの人は、罵り合ひ、争ひて、あさましく、恐ろし。

恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果は、許さぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、過しつ。

物にも乗らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築泥(ついひじ)・門の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押へて、聞えぬ事ども言ひつつよろめきたる、いとかはゆし。

かかる事をしても、この世も後の世も益あるべきわざならば、いかがはせん、この世には過ち多く、財を失ひ、病をまうく。

百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ。

憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思い出でて泣くめる。

後の世は、人の知恵を失ひ、善根を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒を破りて、地獄に堕つべし。

「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。

現代語訳

世間には、理解に苦しむことが多いですね。

何かある度に、「まずは一杯」と、無理に酒を飲ませて喜ぶ風習は、どうしても理解できません。

飲まされる側は、嫌そうにしかめっ面をし、人目を見計らって盃の中身を捨てて逃げます。

それを捕まえて引き止め、むやみに飲ませると、育ちの良い人でも、たちまち乱暴者に変身して暴れ出したりします。

健康な人でも、目の前で瀕死の重体になり、前後不覚に倒れたりもします。

祝いの席でしたらそれこそ大惨事です。

翌日は二日酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込んでしまいます。

生きた心地もせず、記憶などほとんど残っていません。

大切な予定も全てキャンセルし、生活にも支障をきたすのです。

こんなにひどい目にあわせるのは、思いやりが無く、実に無礼な話です。

辛い目にあわされた本人も、恨みと妬みでいっぱいになることでしょう。

もし、これがよその国の風習で、人づてに聞いたとしたら、不気味さに驚くに違いありません。

他人事だとしても、酔っぱらいは見ていて嫌になるものです。

用心深く、真面目そうな人でも、酔えば馬鹿のように笑い出し、大声で喋り散らしたりします。

髪をふり乱し、普段の本人からは想像もできない醜態なのです。

女性が酔えば、前髪をかき上げ、恥じらいもなく大口で笑い、男の盃を持つ手にまとわりついたりもします。

もっとひどくなると、男に食べ物をくわえさせ、自分もそれを食べたりするのですから、なんとも汚らわしい話です。

声が潰れるまで歌い、踊っているうちに、年老いた僧が呼び出され、黒くて汚らしい肩をはだけて、身体をよじって踊ったりもします。

この見るに堪えない余興を喜ぶ人達が、鬱陶しく憎ったらしいではありませんか。

さらに自分がいかに人格者であるか、端から聞けば失笑も辞さない話を大声でし、仕舞いには泣き出す始末です。

家来達は罵倒し合い、小競り合いを始めます。

挙げ句の果てには、いけないものを取ろうとして窓から落ちたり、転げ落ちて大怪我をします。

乗り物に乗らない人は、大通りを千鳥足で歩き、塀や門の下を汚してしまいます。

年を取った僧が薄汚れた袈裟を身にまとって、子供に意味不明な話をしてよろめく姿は、悲惨なものです。

お酒は事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのです。

「酒は百薬の長」と言う人もいますが、多くの病気はお酒が原因です。

「酔うと嫌なことを忘れる」と言うものの、ただ単に悪酔いしているだけとも見られます。

酒は脳味噌を溶かすのです。

邪悪な心が広がって、法を犯し、死後には地獄に堕ちます。

「酒を手にして人に飲ませれば、みみずやムカデに五百度生まれ変わる」と、仏は説いているのです。

兼好の主張

兼好が言いたいことを大別すると次の3点になります。

➀ 無理に酒を飲ませる文化は理解できない
② 酒は人の品位・理性を壊す
③ 健康にも道徳にも悪い

つまり飲酒そのものより、無理に飲ませる行為を強く批判しているのです。

この段はよく「日本最古のアルハラ批判」と言われています。

逃げようとする人を、無理に引き止めて酒を飲ませるという行為は、完全に飲酒の強要です。

宴会などでよく見られる風景ですね。

かつては上司や先輩に囲まれると、いやだと言えない雰囲気もありました。

最悪なのは飲めない体質の人にも強制することです。

その結果、体調が悪化し、最悪の場合、意識障害などを引き起こしたりもしました。

兼好法師はさらに「無理に飲ませる文化」を批判しています。

とくに酔わせて笑い者にするというた風景には厳しい目を向けます。

立派な人でも狂ったようになるという実態については今も鎌倉時代と少しも変わりませんね。

多くの病は酒から起こるというのは、まさにここに根差しているのです。

もっと悪いのは、社会的信用の失墜です。

彼が見ていた風景はこれが古典なのかと思わせるほど、生々しい内容です。

近年、ハラスメントという表現が登場するにつれ、以前とはお酒との付き合い方もかなり変化してきました。

あなたはどのようにお考えでしょうか。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました