説苑(ぜいえん)
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は逸話を紹介します。
『説苑』(ぜいえん)は、前漢時代の劉向(りゅうきょう)が編纂した、中国古代から前漢中期までの故事・伝説・説話をまとめた書物です。
君主を戒めるための教育書として作られました。
儒教思想に基づいた賢人たちの逸話を多く収録しています。
構成は全20巻からなり、それぞれ「君道」「臣術」などの主題ごとに序説と逸話が収録されています。
抽象的な教訓を具体的な比喩や逸話を用いて分かりやすく説いた形式が特徴です。
その中で、今回は恵子(けいし)にまつわる話を考えてみましょう。
恵子は、紀元前370年頃~紀元前310年頃に活躍した、古代中国戦国時代の政治家で思想家です。
宋の出身で魏の宰相として活躍し、諸子百家の名家の筆頭にあげられています。

後世には蔵書家としても知られました。
彼の論理的な弁論の仕方は有名で、『荘子』などに多くの逸話があります。
恵子は、荘子の思想を深めるための「対話相手」として登場し、荘子の自由な発想や、論理を超えた真理への到達を描き出す上で重要な役割を担いました。
最も有名なのが二人のこの問答です。
ある日、二人が濠水(ごうすい)の橋の上を歩いていたときのことです。
恵子が荘子に問いかけました。
荘子は「魚が楽しそうに泳いでいるな」と発言しました。
恵子が 「あなたは魚ではないのに、どうして魚の楽しみがわかるのだ」と聞くと、
荘子は 「あなたは私ではない。それなのにどうして私が魚の楽しみを知らないことがわかるのだ」と答えたということです。
恵子は自分とは違う者の心境は永遠に理解できないものだと主張しました。
この話は、理屈で割り切れない感覚の世界をどの程度論理で認識できるのかという、難解な哲学的テーマでもあります。
このような会話をして、恵子と荘子は互いに理解し合えていたのでしょうか。
二人は大変に仲がよかったそうです。
恵子は、その複雑な論理や概念を説明する際に例え話をよく使いました。
書き下し文
客(かく)、梁王(りょうおう)に謂ひて曰はく、
「恵子の言事や、善く譬(たと)ふ。王、譬ふること無からしめば、則ち言ふこと能(あた)はず。」と。
王曰はく、「諾。」と。
明日見え、恵子に謂ひて曰はく、
「願はくは先生、事を言はば則ち直ちに言へ。譬ふること無かれ。」と。
恵子曰はく、
「今、人有りて、此に弾(だん)を知らざる者に向かひて曰はく、『弾の状、何のごときか』と。
応へて曰はく、『弾の状は弾のごとし』と。諭(さと)れるか。」
王曰はく、「未だ諭らず。」と。

「ここに於いて更に応へて曰はく、『弾の状は弓のごとくして、竹を以て弦と為す』と。
則ち知るや。」
王曰はく、「知るべし。」と。
恵子曰はく、
「夫(そ)れ説く者は、固(もと)より其の知る所を以て、其の知らざる所を諭し、人をして之を知らしむ。
今、王、譬ふること無かれと曰はば、則ち不可なり。」
王曰はく、「善し。」と。
現代語訳
ある客が梁王に言いました。
「恵子が物事を論じるときは、うまく譬え話を用います。もし王が譬えを禁じたら、恵子は話すことができなくなるでしょう。」
王は「わかった」と答えました。
翌日、王は恵子に会って言いました。
「先生、これからは物事を話すとき、直接に言ってください。譬え話は使わないでほしいのです。」
恵子は言いました。

「いまここに、弩(いしゆみ) を知らない人がいて、『弩とはどんなものか』と尋ねたとしましょう。
その人に『弩とは弩のようなものだ』と答えたら、わかるでしょうか。」
王は「わからない」と言いました。
「ではさらに、『弩とは弓のような形で、竹を弦にしたものだ』と答えたなら、わかるでしょうか。」
王は「それならわかる」と言いました。
恵子は重ねて言いました。
「そもそも物事を説明するというのは、自分が知っているものを使って、相手の知らないものを理解させることです。
今、王が『譬えを用いるな』とおっしゃるのは、道理に合いません。」
王は結局「その通りだ」と言うしかありませんでした。
説話と比喩の活用
恵子はいつも議論をする際、比喩を巧みに使って相手を説得してきました。
ある人が王に「恵子に比喩を使わせないで議論をしたら勝てます」とけしかけたのです。
王は言われたとおりにしてみました。
しかし恵子に比喩の必要なワケを例をあげて説明され、逆に比喩の必要性を説得されてしまったのです。
彼のした弁論の冴えがここにはみごとに描かれています。
話の核心は「弾」という知らない武器を説明するのに、だれもが知っている「竹」や「弓」を用いて説明し直しているところです。
弾とは弩(いしゆみ)のことです。
しかしそれでも人々はなんのことかわかりません。
そこで彼は次々と比喩を繰り出しました。
相手の知っていないことを説明するためには、相手の知っていることを喩えとして使いながら説明する以外に方法はなかったのです。
考えてみれば至極当たり前のことですが、それを理論立てて説明し、説得したところが恵子の論理の鋭いところです。

恵子が難解な思想を比喩で説いたとされることと、『説苑』が教訓を伝えるために比喩や故事を多用するという点で、手法としては共通しています。
天下篇によれば、恵子の著作は五台の車に積めるほど膨大にあったそうです。
恵子は他の弁者たちと奇怪な学説をぶつけ合って楽しんだとか。
南方の黄繚という奇人とは、天が落ちてこない理由や気象現象の原因について語り合ったりもしたそうです。
これは恵子ではなく孟子の逸話ですが、『孟子』中にあるの「五十歩百歩」の故事成語は、王に対し比喩を用いて説得する例として有名です。
こうした比喩による説得の技術は古代中国において、よくなされたということがわかります。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
