【人生読本落語版・矢野誠一】ラップ全盛の時代に急がない生き方の極意がこれ

人生読本落語版

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、アマチュア落語家のすい喬です。

今はスピード時代ですね。

なんでもショートカットで、いいところだけとる。

音楽も映画もみんな短かくまとめて、紹介してくれるサイトまであります。

誰ものんびりとお付き合いなんかしている暇はないのでしょう。

生き馬の目をぬくというのは、このことなのかもしれません。

いつも後ろから背中を押されているようで、慌ただしい日々です。

今日は朝からこの本を読んでいました。

随分昔に読んだ本です。

タイトルは『人生落語読本』。

岩波新書です。

なんとなく開いて読み始めたら、とまらなくなりました。

筆者は演芸評論家の矢野誠一です。

ご存じですか。

都民寄席などに応募して、落語を聞きに行く人ならすぐに思い当たりますね。

毎年、解説者として登場し、実に軽妙な話をしてくれます。

1935年生まれです。

かなりの高齢ですね。

この人の落語に対する蘊蓄には頭が下がります。

ご存知、東京やなぎ句会のメンバーでした。

このメンバーのユニークな話には、枚挙に暇がありません。

東京やなぎ句会

この会は1969年に結成されました。

「やなぎ」は宗匠だった噺家の入船亭扇橋と柳家小三治の亭号である「柳」からとったそうです。

なんとなく気のあった、落語を愛している人たちが、月に1回食事でもしながら話をしようということから始まったとか。

そのうちに心得のあった扇橋師匠を宗匠格にして、始めたもののようです。

ところがそのメンバーの多くが既に鬼籍に入ってしまいました。

メンバーの名前をみれば、そのことがよくわかると思います。

9代目入船亭扇橋、永六輔、小沢昭一、江國滋、3代目桂米朝、大西信行、10代目柳家小三治などです。

歳月は容赦ありませんね。

そこで後にかなりの人が参加しましたが、その人々もかなり亡くなっています。

今も新たにメンバーを追加し、活動はしています。

後に参加したのは神吉拓郎、加藤武、小林聡美、南伸坊、下重暁子などです。

この会には細かな会則があり、欠席の場合は必ず未婚女性を代理で出席させることや、句友の女性に手を出した人は即時除名するなどといった愉快なものもあります。

本当に故人になってしまった方が多いですね。

それだけ月日が過ぎたということなのです。

永六輔、小沢昭一などという一癖も二癖もあるようなメンバーの名前を見ると、この会の性格がよくわかります。

つまり、洒落のわかる大人の会だったということです。

矢野誠一は子供の頃から落語を聞いていました。

『さらば、愛しき芸人たち』『落語読本』『落語歳時記』などはみな文庫本に入っています。

やなぎ句会の楽しさについて書いたものを読んでいると、丁々発止とはこのことだと実感します。

ほとんどが他愛のない馬鹿話ばかりだったそうです。

雑談の花とでも呼べばいいのでしょうか。

旅館やホテルなどで開くと、必ず隣室から苦情が出たそうです。

その理由はあまりに笑い声がうるさいということだったとか。

なんとなく想像がつきますね。

こういう時間感覚がいかに大切かということを最近しみじみと感じます。

4つの章

この本は4つのセクションに分けられています。

「命あっての」「渡る世間に」「金は天下の」そして「遊びをせんとや」の4つの章です。

内容は落語を素材にした処世訓的なエッセイです。

全部で約80の演題が素材となっています。

ポイントは何か。

古今亭志ん生の口癖だった「こんなこと学校じゃ教えない」の一言に凝縮されます。

例えば、その1つが吉原のことです。

こんなことは、確かに学校では教えてくれませんものね。

しかし大切なのはよくわかります。

確かに、学校では『五人廻し』や『お直し』などという噺を教えてはくれません。

『道灌』などという噺の面白さは落語を聞かなければわからないのです。

これは柳家に入門した噺家が1番最初に習う落語です。

「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という歌を御存知ですか。

この歌は『道灌』という噺のついでに、皆が自然に覚えたものです。

国語の教科書の副読本にはなりそうもありませんね。

そこがまたいいのです。

こののんびりとした時間感覚が貴重なのです。

聴覚の話

いろいろな話が載ってますけど、一番の傑作は「聴覚」でしょうか。

八代目桂文楽の耳が遠くなったという話です。

「黒門町の師匠」と呼ばれ、独特の言葉遣いで有名でした。

なかでも「あばらかべっそん」と「べけんや」は定評があります。

演じた演目の数はそれほど多くはありませんでした。

「明烏」「船徳」「寝床」などは何度でも聞きたい噺です。

徹底的に練りこまれた噺には艶がありました。

戦後の名人の1人に間違いはありません。

その文楽にまつわるエピソードが次のようなものです。

だんだんと耳が遠くなっていくのを、文楽も自覚していたのでしょう。

聞こえない時もきこえたふりをして喋っていると、どうしても返事をしなければならない時がやってくるものです。

そこで彼はそういう時、「近頃はたいていそうだよ」でごまかしたそうです。

それで話の相手も、なんとなく納得していたのです。

この手があることを知った矢野誠一は、ある時、歌舞伎座で知り合いに会い、しきりに話しかけられて困ったそうです。

そのとき、とっさにこの会話のやり方を思い出したんでしょうね。

相手に向かって「近頃はたいていそうですよ」と言ったそうです。

ところが相手が口にしたセリフは次のようなものでした。

「そうかね、ぼくが最初に頼んだアイスクリームがまだ来ないんだけど」

これにはさすがの矢野誠一も返事のしようがなかったそうです。

思わず、相手の目をみつめて言葉を失ったとか。

いい話じゃありませんか。

こういうのを極上のエスプリというのです

つい読みながら、笑ってしまいました。

何かの折のためにとっておきたい「いい話」の1つです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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