多文化共生社会
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はグローバル化の時代に、日本が生き残れるのかということについて考えます。
現在、日本には人口の約2%にあたる外国人が住んでいると言われています。
コロナの影響でこの2年ほどはかなり減りましたが、次第にまた増えつつあります。
中国、韓国、ベトナム、フィリピンなどを筆頭にさまざまな国の人達が居住しているのです。
インバウンドの旅行者も今年に入って一気に増えました。
円安と治安の良さで、日本が人気の旅行先であることは間違いありません。
京都、浅草、箱根などを訪れると、外国人が本当にたくさんいます。
また、労働者の高齢化にあわせ、各国から若い技能研修生と称する外国人を積極的に招聘している現実があります。
特にベトナムから来日している人の数は、全体の約半数に達しています。
農業、工業などの現場で、彼らの姿を見ない日はありません。
言葉が十分に流暢でないこともあり、現場での力仕事などを任されているケースが多いようです。
建築現場の足場組立などはベトナムから来ている研修生がいなかったら、今日仕事が全く先に進まないのです。
似たようなことは鉄骨の組み立てや、農作業の現場などでも見られます。
何年かすれば、帰国を余儀なくされるため、なかには会社が用意した宿舎などから逃げ出してしまうケースもあると聞きます。
グローバル社会の中で、多文化共生などというと、聞こえはいいですが、現場では特に日本人がやりたがらない分野での労働者を充足する手段として、彼らを利用してきたという側面もみられるのです。
もちろん、全てがそうだというわけではありません。
人格を尊重し、ていねいな対応をして、日本人と全く同じ待遇をしてきた企業もあります。
それだけに多文化共生社会という言葉には、日本人のホンネとタテマエが交錯しているのです。
「論理国語」の教科書の中に、このテーマにふさわしい内容の文章がありました。
教育学者、相原次男氏のものです。
本文
「共生」という言葉は、日本人には受け入れやすい、響きのいい言葉である。
しかし、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」は、決して容易ではない。
外国籍の人々が日本に定住し、生活するには、国や自治体、地域住民の多様な支援なしには不可能である。
ここで大切なのは、支援の内容、方向である。
要約的に言えば、多文化共生を促し、日本社会(地域)に外国籍の人々が自立できるような支援である。
また、外国籍の人々は地域社会の構成員であるという認識に立ち、彼らを支援される「対象」としてだけでなく、地域社会を支える「主体」であるという視点からの支援(かかわり)が求められる。
いうまでもなく、「共生」は「同化」を意味しない。
「共生」の目的は、外国人を日本人にすることではない。
また、「多文化共生」は「多文化の共生」(複数の文化の並存)でもない。
共に生きるのは文化ではなく、あくまでも文化の担い手である人間(人と人)である。
文化は通常、固定した概念で捉えられがちであるが、状況により変容しうるという理解が重要である。
例えば、外国籍の人々が日本の文化のある側面に影響を受け、次第に母国の文化でも日本の文化でもない、独自の文化を築くことはよくある。
また、外国籍の人々の発想や考え方、美意識や規範意識などに影響を受け、日本の文化それ自体が 次第に変容していくケースもまれではない。
このように考えると、日本人(側)の観点に立った共生の考え方の見直しが迫られる。
外国人問題のほとんどは、日本人(側)の問題であるといわれる。
多文化共生のねらいの一つは外国籍の人々が抱える問題を日本人(側)が自らの課題であると捉え、自らを変容し、共に解決していく姿勢に立つこと。
さらにいえば、日本人(側)が共生のための枠組みを決めてしまうやり方でなく、非対称である日本人と外国人の関係を転換する。
ふだんからの相互の認め合い、働き合い、学び合いを通して、日本人(側)の社会を少しずつ変えていくことにある。
設問例
この文章を使って、小論文の設問を自分で作ってみましょう。
与えられた問題を解くだけでは、なかなか実力はつきません。
むしろその先に自作自演という筋道をたてるべきです。
課題文の中からキーセンテンスを探し、その流れにそって問題をつくり解いてみるのです。
最初の設問は筆者の論点のまとめです。
例えば次のような問題はどうでしょうか。
設問1 筆者のいう多文化共生社会とはどういうものか。200字以内でまとめなさい。
ここで内容をある程度整理し、次の設問に繋げます。
設問2 多文化共生社会の構築のため、あなたはどのようなことをしていくべきだと思いますか。経験を通じて考えたことを800字以内で書きなさい。
これだけで、十分に大学の入試小論文になります。
特に設問2でどうすればいいのかという、方法論に切り込んでいます。
さらに自分の経験にてらして書けという指示があります。
どちらもやってみる価値は十分にあると思います。
筆者の文章の中に次のような一節がありますね。
「多文化共生のねらいの一つは外国籍の人々が抱える問題を日本人側が自らの課題であると捉え、自らを変容し、共に解決していく姿勢に立つこと」という内容です。
具体的に外国籍の人たちが抱える問題とは何でしょうか。
経験があれば、それが1番強いです。
まず常識的に考えましょう。
多文化共生社会をつくるために、最も必要なものは何か。
それは「言葉」です。
コミュニケーションのための大切な道具ですからね。
ここから喫緊の問題に入っていくのは1つの方向です。
草の根の繋がり
外国人が地域に溶けこむために必要なものは、言語の他にもいろいろとあります。
従来は行政レベルで、ほとんどの施策が行われてきました。
たとえば、地域の施設や店舗などでの多言語表示などがあげられます。
その他に、ゴミ捨てのマナーやルールを他言語にまとめたパンフレットの作成や配布などもあります。
これらは確かに大切な役割の第1歩と言えます。
しかしこの施策の根幹には、外国人を「弱者」と捉え「助けるべき存在」とみる視点が強く働いているとはいえないでしょうか。
常に助けるものと助けられるものという、2つの項目が並行しているだけで、からみあう接点がありません。
特に日本には出入国管理に関する厳しい法律がたくさんあり、最も身近なところでは選挙権や社会保険、戸籍などの問題もあります。
もともと島国に似たような民族だけで生きてきたという歴史があります。
非常に閉鎖的なのです。
グローバル時代になったから、多文化が共生して生きていかなければならないというテーマがすぐに受け入れられるとも考えられません。
国籍取得の問題を1つとってみても、それほど簡単ではないのです。
住居の賃貸契約をするにも、保証人の存在が必要不可欠です。
どれ1つをとってみても、それほどに開かれた国でないことが、よく理解できるはずです。
地域の防災情報や避難訓練などの共同開催などを通じて、顔が見える交流を繋げていかない限り、いつまでたっても同じことの繰り返しになるでしょう。
民間企業、NPO法人、各種ボランティア団体がなどの存在がカギです。
草の根から運動が始まらない限り、地域社会が一体となることは至難なのです。
自分の頭に浮かんだことを、メモしてまとめてみてください。
そこから確実なテーマが生まれていくに違いありません。
とにかく書いてみましょう。
難しい内容ではありますが、様々なことに気づくはずです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。