学問と世間
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は歴史研究者、阿部謹也氏の著書『学問と世間』から「日本の学問の現在」というテーマを取り上げてみました。
日本は明治維新以来、西洋に追いつけ、追い越せという国家目標を達成するため、死に物狂いで進んできました。
そのために必要だったのは、国家の形です。
どのようなシステムを取り入れればいいのか。
欧米列強に少しでも弱いところをみせたら、すぐに属国化される危険性に満ちていたからです。
最も有効な方策は、欧米の概念をまず取り入れることでした。
政治の仕組みから、学制にいたるまで、全て真似をしたのです。
欧米に追い付くこと以外には、何も見えていなかったといってもいいのではないでしょうか。
和魂洋才とよく口にしますが、実際はそれほど内容のあるものではありませんでした。
学問の上では欧米に追随したものの、現実の生活には旧来の慣習がそのまま、根付いていたのです。
この文章はそのことを厳しく論じたものです。
ポイントはこの論点に対して、あなたがどういう切り込み方をするかにあります。
課題文を読みながら、どの切り口から小論文を書くか、検討してみてください。
設問は以下の通りです。
欧米から受け入れた概念や制度などが、日本人の日常生活になかなか生かされない具体的な例を、上記の文章を参考にして考え、なぜそのようなことが起こるかについて、あなたの意見を800字以内でまとめなさい。
課題文を読む時には、キーワードにマークしながら読むのが有効です。
課題文
わが国の学問と教養概念は、ドイツや欧米を範として位置づけられたものであったということは、わが国の学者たちに欧米崇拝を生み出すきっかけとなった。
すでに明治時代に多くの知識人たちは欧米を訪問し、その文化に圧倒されていた。
二院制度、裁判制度、軍制、郵政、教育制度など,わが国の諸制度自体が、明治時代に欧米の制度を範して作られたものであった。
西欧に範をとることができなかったのは、家のあり方や親子の関係などの人間関係だけであった。
人間関係に関わる諸問題は、わが国の近代化が進められていく中で、近代化しえない部分として残存することになった。
近代的諸制度は全て欧米に範をとってつくられたために、どのような問題でも、まず欧米の諸事情を調べるという慣行が生まれ、あらゆる問題に関して欧米が模範とされた。
そのために人文社会科学においては、欧米研究そのものが国民的な価値を持つものとして位置づけられることになった。(中略)
このような事情は、戦後の民主主義の展開の中で広まっていった、さまざまな言葉についても見ることができる。
たとえば、人権という言葉がある。
「人権を守ろう」とか「人権週間」といった形で、この言葉は様々な機会に使用されている。
しかし、頻繁に用いられてはいるものの、その実質は無に等しい。
人権を守れという掛け声がかけられるだけで、一人一人の人権の問題はほとんどの場合 無視されている。
いわば、人権という言葉は安全パイなのである。
もしある組織の中で、不当に扱われている者がいたとしても、そのことは取り上げられず、ただひたすら人権を守れという掛け声だけがこだましている。
人権という抽象的な価値があるのではなく、一人一人の人間の権利の問題があるのだということが、十分に理解されていないのである。
わが国で、人権問題が人権問題として正当に扱われないのは、そこに原因があるからである。(中略)
わが国では人権問題は固有名詞を持たない問題として、人々の口に上るが、固有名詞を持った問題としては、ごく少数の人々の問題となるに過ぎない。
もちろん、そのような状況に対して、闘っている人々はいる。
そのような人々によってわが国の人権問題は、かろうじて支えられてきた。
しかし、人権問題が大きな反響を呼ばない背景には、このようなわが国の文化のあり方をめぐる事情があることに注目しなければならない。
人権問題だけでなく、西洋に由来する概念には、このような問題がいくつもついて回るのである。
広い視点から検証する
実際の文章はもっと長いです。
ここにはエッセンスの部分だけを示してあります。
この文章を読んであなたはどう思いましたか。
かなり厳しい論評ですね。
筆者の論のポイントを最初に捉えてください。
欧米の概念、制度を追いかけたところまでは事実として認識しましょう。
問題はそれを「日本に根づかせる努力」をしたのかどうかという点にあります。
ここでは「人権」が俎上にのぼっています。
これ以外にもありますね。
たとえば、「民主主義」の概念1つを考えたとき、「選挙」の持つ意味はどうでしょうか。
あまりにも低い投票率に驚いたことはありませんか。
政権交代をおこりやすくするために変えた「小選挙区制」も十分に機能しているとはいえません。
2世、3世の政治家が選出されやすい風土を、どう考えたらいいのでしょうか。
選挙の地盤という表現を耳にしたことはありませんか。
あるいは「個人」の尊重という概念はどうでしょうか。
今日の登校拒否の背景には、全員を同じように指導するという日本人特有の学校システムがあります。
そこに「世間」という言葉が登場してくるのです。
あるいは、「ボランティア」という概念が社会になかなか定着しない背景は何でしょうか。
どの立場から書くか
日本人が世間体というものをなぜ重視するのかということを、あなたは考えたことがありますか。
これは大きなテーマですね。
明治以降、西洋の学問や制度を取り入れようと努めたことは、事実です。
しかしそれが思想的背景をともなっていなかったというところに、この問題の根の深さがあります。
人権のテーマもそこから出てくるのに違いありません。
その原因はどこにあるのか。
これ追求するのは大変に難しいです。
元々「公民」とか「公共」といった概念を広くもたなかったのかもしれません。
「ウチ」と「ソト」の論理がたえず働き、自分の仲間に対しては非常に優しい反面、「ソト」の人には厳しいのです
島国に住み、農業を基盤とした共同生活を長い間続けてきた結果、生まれた考え方によることも考えられます。
もちろん、「教育」が十分にその役割を果たさなかったという指摘も有効です。
地縁、血縁で結び付けられている社会構造は、いまだに解決しているワケではないのです。
今後の日本のあり方を論ずるとするなら、欧米の水準を脱却し、あらたな日本型の社会構造をつくりあげなければいけません。
AI優先の時代です。
過去の良い点はこれからも継承し、不必要な点は即刻切って捨てるべきでしょう。
そのための教育であれば、有効だといえます。
しかし現実はそれほどに簡単ではありません。
格差社会が深刻な状態を作り出しているのです。
高齢化する一方の国家をどのように引き上げて行くのか。
あなたの考えをうまくまとめて表現してください。
筆者の論点に正面から反論することも可能でしょう。
しかしその場合には、よほどの説得力が必要となります。
キーポイントを友人と語り合ってみるのも、役に立ちます。
そこからこのテーマの深さが見えてくるはずです。
あなた自身の「人権意識」も深掘りしてみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。