藤壺の宮の入内
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『源氏物語』のテーマの発端になる、藤壺の宮の入内を扱いましょう。
光源氏が3歳の時に、母、桐壺の更衣が亡くなります。
光源氏は恋しい母がいなくなり、つらい日々を過ごしていたのです。
帝の寂しさも癒えることがありませんでした。
後になって、父である桐壺帝は亡き更衣に似た先帝の四の宮に、心ひそかに好意を抱くようになります。
光源氏も母によく似ていると言われる藤壺の宮を、慕うようになりました。
光源氏、11歳。
藤壺の宮が16歳の時のことです。
源氏の心の中で、母親に対する思慕の情が、次第に愛情へと変化していきます。
そのことが、『源氏物語』を壮大なロマンに仕立て上げてしまうことになりました。
光源氏は18歳の年、病のために退出した藤壺の宮を訪れます。
その頃になると、母親であるというよりも、1人の女性に対する愛情そのものを抱くようになっていました。
ついに2人は契りを結んでしまうことになったのです。
翌年、懐妊した藤壺の宮は、光源氏によく似た皇子(後の冷泉帝)を生みます。
父、桐壺帝はたいそう喜びました。
しかし藤壺の宮は罪の意識におののき、光源氏への愛情を持ちながらも、皇子の将来を考えて、以後、光源氏を拒み通します。
彼女は皇子が次の帝になったのを見届けて、37歳で亡くなるのです。
光源氏は、誰にも言えない秘密を抱いたまま、生きていかなければならなくなりました。
父である桐壺帝はその秘密を知っていたのかどうか。
光源氏が生まれた時、ある人の子供という体裁で、高麗人の人相見に運勢をみてもらったことがありました。
相人は驚いて、何度も首をかしげて不思議がったのです。
人相見によれば、本来は帝王という無上の地位にのぼるはずの相があるという話でした。
しかしそれでは国が乱れるから、臣下にし朝廷を支える高官にするのがよろしいという
ことだったのです。
それで気持ちを固めて、ますます政治家として必要な、多方面にわたる学問を修めさせます。
光源氏は母親を恋しく思うあまり、藤壺に恋慕し、その後、正妻葵の上をめとったものの、心の空洞を埋めることができません。
やがて彼女の親戚筋にあたる後の紫の上に出会うのです。
いかがですか。
『源氏物語』の持つスケールの大きさが理解できるでしょうか。
本文
源氏の君は、御あたり去り給はぬを、ましてしげく渡らせ給ふ御方は、え恥ぢあへ給はず。
いづれの御方も、我人に劣らむと思いたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うち大人び給へるに、いと若ううつくしげにて、せちに隠れ給へど、おのづから漏り見奉る。
母御息所も、影だにおぼえ給はぬを、
「いとよう似給へり。」
と、典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひ聞こえ給ひて、常に参らまほしく、
「なづさひ見奉らばや。」
とおぼえ給ふ。
上も、限りなき御思ひどちにて、
「な疎み給ひそ。あやしくよそへ聞こえつべき心地なむする。
なめしと思さで、らうたくし給へ。
つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見え給ふも、似げなからずなむ。」
など聞こえつけ給へれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見え奉る。
こよなう心寄せ聞こえ給へれば、弘徽殿女御、また、この宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、「ものし。」と思したり。
世にたぐひなしと見奉り給ひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、「光る君」と聞こゆ。
藤壺ならび給ひて、御覚えもとりどりなれば、
「かかやく日の宮」
と聞こゆ。
現代語訳
源氏の君は、父帝のおそばをお離れにならないので、帝がましてしきりにお通いになる藤壺の宮は、源氏の君に対して、恥ずかしがって隠れてなどはいらっしゃれません。
どの女御や更衣の方も、自分より人が劣っているだろうとお思いになっている方があるでしょうか。
そんなことがあるわけはありません。
それぞれにたいそう美しいものの、その中で少し年長でいらっしゃる藤壺の宮はたいそう若くかわいらしくて、しきりに隠れていらっしゃいます。
しかし源氏の君は、自然と物の隙間からお見かけ申しあげるのでした。
源氏の君は母の御息所のことも、面影さえ覚えていらっしゃらないけれど、
「藤壺の宮は母君様にたいそうよく似ていらっしゃる。」
と、典侍が申しあげたりするので、幼心にたいそう懐かしいとお思い申しあげなさって、いつもおそばに参りたくなるのです。
「慣れ親しんでお姿を拝見したい。」
とお思いになられます。
帝も愛情を注ぐ者どうしなので、藤壺の宮に、
「この君によそよそしくなさらないでください。不思議なくらい、あなたを源氏の母親に見立て申しあげてもよいような気持ちがするのです。
無礼だとお思いにならないで、可愛がってやってください。
顔つき、目もとなどが、とてもよく似ているので、あなたが源氏の母君であるように、似てお見えになるのも、不似合いではないのです。」
などとお頼み申しあげなさいます。
源氏の君は幼心にも、藤壺の宮に好意をお見せ申しあげるのでした。
この上なく心を寄せ申しあげなさるので、弘徽殿女御は、また、この藤壺の宮ともお仲がしっくりいきません。
藤壺の宮への嫉妬に加えて、以前からの源氏の君への憎しみもよみがえり、「不愉快だ。」とお思いになっています。
世に並ぶものがないと、女御が見申しあげ、評判が高くいらっしゃる第一皇子のお顔立ちに比べても、やはり源氏の君のつややかな美しさはたとえようもありません。
とてもかわいらしいので、世間の人は、「光る君」と申しあげるのです。
藤壺の宮も源氏の君とお並びになり、帝の寵愛も二人それぞれに厚いので、「輝く日の宮」と申しあげることとになりました。
紫の上との出会い
源氏は12歳で元服し、左大臣の娘、葵の上(当時16歳)と結婚します。
官位も進んで中将となりました。
しかし藤壺の宮への思いは募るばかりです。
ところが源氏が18歳のおり、わらわ病みの治療に北山の聖の元を訪れます。
わらわ病みとは発熱や悪寒が間隔をおいて起こるものです。
現在のマラリアに近い熱病をイメージしください。
当時はこれといった薬もなく、病は加持祈祷で治すのが普通でした。
霊験あらたかな高僧に祈ってもらうのが、最善の方法だったのです。
そこで小柴垣をめぐらした僧房に目をとめました。
偶然、そこにいたのが藤壺の宮によく似た少女だったのです。
紫の上の父親が藤壺の宮とは兄妹の関係です。
顔が似ているのは、ある意味当然のことですね。
光源氏は母によく似た藤壺を思慕し、さらに彼女に瓜二つだった紫の上を愛するのです。
母親を恋しく思うばかりに、その面影を追い続けた男の寂しい姿もそこには見て取れます。
この後、話はどんどん複雑になっていきのです。
よく1人の書き手がここまで複雑な物語を書き分けていったという事実に、あらためて驚かされてしまいます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。