嫉妬の感情
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は人間の心理について少し考えてみましょう。
人間は複雑な生き物です。
あなた自身の心の内側を少し覗いてみてください。
いやな言葉がありますね。
「人の不幸は蜜の味」というのがそれです。
俗に「メシウマ」ともいいます。
その反対は他人がさまざまなことに成功して、昇り調子でいる時のことです。
これを「メシマズ」といいます。
意味はすぐに分かりますね。
人間には厄介な「嫉妬」という感情があります。
これは女性特有のものといわれています。
しかし実際には男性にもたくさんあります。
むしろ男の嫉妬の方が厄介な側面を持っているのです。
女性の嫉妬が愛情に関するものに偏っているのに対して、男性のそれは社会的な地位、学歴、年収などいった要素を多く孕みます。
感情を外に出してしまうのは男らしくないという評価があるためか、むしろ内向するのです。
特に女性が社会的な成功を収めた場合などは、男性はセクハラなどの要素を含めた厄介な対応を見せます。
いずれにしても、嫉妬の感情ほど、人間の立ち位置を変えるものはないのです。
長い間、教員をしていて、嫉妬に絡む教材をいくつか取り上げてきました。
1つは『源氏物語』の「葵上」です。
能にもなっていますね。
もう1つが夏目漱石の『こころ』です。
「葵上」と「こころ」
この2作は嫉妬の感情が複雑に絡んだ作品と言えます。
内容に関しては、このサイトにも記事があります。
関心がありましたら、後で覗いてみてください。
記事の最後にリンクを貼っておきます。
『源氏物語』は大変に複雑なストーリーです。
しかし女生徒は生霊になって、嫉妬する女性の心に共感できるのでしょうか。
この教材を好む傾向がありましたね。
自分の中にも、同じ感情があることを自覚しているのでしょう。
もう一方の『こころ』は男性2人と下宿先のお嬢さんとの恋愛話です。
しかしそれ以上に要素として大切なのは、生きることと、学問を続けることへの意志です。
そこに力点がおかれているので、単純に嫉妬だけが主題であるワケではありません。
しかし嫉妬に似た複雑な感情は存在します。
主人公は友人Kが大学へ行っている間に、仮病で休み、下宿先の母親にお嬢さんとの結婚を申し込みます。
その承諾が得られると、友人にその話をしません。
突然、その話を聞かされたKの動揺ははかりしれないものでした。
お嬢さんへの恋の感情を、信頼していた主人公にいつも話していたからです。
その心の図式を全てみながら、弱点を突き、お嬢さんとの結婚話を進めつつ、友人を自殺に追いやってしまったのです。
主人公には焦りも嫉妬もあったでしょう。
友人Kのためを思って、自分の下宿先を紹介したところまでは通常の友人としての感覚です。
しかしKがお嬢さんへの恋情を告白し始めた頃から、厄介な感情が芽生え出したといえるのではないでしょうか。
シャーデンフロイデ
シャーデンフロイデという言葉を聞いたことがありますか。
ドイツ語です。
たまたま中野信子氏の本を読んでいろいろと考えました。
「Schadenfreude」は、不幸や損害を意味するシャーデンと喜びを意味するフロイデを合成した単語です。
Freudeは喜び、Schadenは損害、毒、という意味です。
近年、ネットが人々の間に広く普及するようになりました。
以前なら週刊誌に載っていたようなことが、今ではツイッターなどですぐに拡散します。
最大のターゲットは今「目立っている人」です。
その人の過去の行状から現在までを攻撃して鬱憤を晴らすのです。
その際に最も有効なのは、匿名性です。
自分の姿は完全に闇の中に紛れているため、なんでもできます。
排除の論理が深く存在しています。
基本は嫉妬の感情です。
自分よりも優位な人間が、おいしい思いをしていることに対する妬みです。
これほど厄介な感情はありませんね。
それを支えているのは何なのか。
最近の研究では、ほぼ物質の名前までピンポイントで指摘されています。
「オキシトシン」という脳内物質がそれです。
オキシトシンは、愛情ホルモン、幸せホルモンなどと呼ばれています。
基本的には人間に良い影響を与える物質なのです。
出産や授乳に関わるホルモンということで女性の専売特許のように扱われていますが、そんなことはありません。
男性の脳内にも同じように存在します。
うまく機能している時には、最高に幸福な関係をつくろうとする素晴らしい物質なのです。
しかしひとたび、マイナスの方向に動き始めると、収拾がつかなくなってしまいます。
人との繋がり
愛情を形成する場合、オキシトシンが有効な働き方をすることは事実です。
しかしその反対の場合はどうなるのか。
当然、強力なバネをきかせます。
絆を断ち切ろうとするものに対してNoを全身で表現します
愛情や友好関係が不安定になりつつある組織を守るため、逆に負のバイアスをかけます。
つまりマイナスにマイナスをかければプラスになるという発想です。
これは「悪」だというものを発見し、潰しにかかります。
そのことによって集団の利益を守ろうとするワケです。
その意味で「悪」と糾弾された人は、ほぼ「魔女狩り」にあったのと同然の仕打ちを受けます。
2度と立ち上がれないように、打ちのめされるのです。
そうしないと、集団が生存できません。
他人を引きずり下ろす快感はこの一点で担保されます。
通常の時ならば、そんなひどいことをするワケがないという人も、匿名性の陰にかくれて、あらゆるアクションを起こします。
その人の存在が眩しくて目立てば目立つほど、悔しいのです。
人間は自分が優位にいる時、あまりそうした感情を持ちません。
俗に「金持ち喧嘩せず」と言いますね。
しかしいったん、何かの不都合が起こると、オキシトシンが増量され、猛攻撃を加えたくなるのです。
どうしたらそんな感情を抱かないようになるのか。
これは難しい問題です。
ローマのコロセウムはなんのためにあった施設なのか。
考えたことがありますか。
ライオンと奴隷を戦わせ、その一部始終に人々は熱狂したのです。
「サーカスとパン」とはよく言ったものです。
為政者は常に人々の熱狂を喚起しました。
それが自らの政策に向かうエネルギーを削ぎ落すことを知っていたからです。
あなたはこの事実をどう思いますか。
今回も最後までお付きあいいただき、ありがとうございました。