関路の落葉
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は鴨長明の歌論書『無名抄』(むみょうしょう)を扱います。
この作品は彼の随筆『方丈記』より前に完成していたと言われています。
題材は建春門院の殿上の歌合の場に、どの歌を持っていったらいいのか悩んだ源三位頼政(げんざんみよりまさ)の相談から始まります。
当日の題は「関路の落葉」でした。
あなたは頼政についてご存知ですか。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第3話に登場しましたね。
以仁王を奉じて打倒平家に立ち上がった人です。
武人として大活躍をしました。
「平治の乱」では、後白河上皇を守る立場から、平清盛のもとで戦いに臨みました。
戦後は源義朝をはじめ大半の源氏が姿を消す中で、源氏の代表として平家政権下で生き延びたのです。
その後、源平がいよいよ死闘を繰り返していくなかで、頼朝などが蜂起するきっかけをつくりました。
打倒平家の画策に賛同した頼政はやがて平家に追われる身となります。
以仁王が逃げる時間を一刻でも稼ごうとしたものの、全身に傷を負い、平等院の観音堂にて自害したと言われています。
亨年77歳でした。
彼の活躍はそれだけにとどまってはいません。
武勇以上に歌人としての名声が際立っていたのです。
「頼政卿はいみじかりし歌仙なり」と長明の師にあたる俊恵法師が彼のことを評しています。
歌合の席に持っていく最良の歌はどれか。
きっと悩み抜いたことでしょう。
本文を読むと、頼政の心の中が透けてみえるようです。
登場人物が輻輳していて少しわかりにくいですが、基本は頼政と俊恵法師です。
それを一歩下がって、長明が評しているという構図です。
本文
建春門院の殿上の歌合に、関路落葉といふ題に、頼政卿の歌に、
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散り敷く白川の関
と詠まれはべりしを、そのたび、この題の歌あまた詠みて、当日まで思ひわづらひて、
俊恵法師を呼びて見せられければ、
「この歌は、かの能因が『秋風ぞ吹く白川の関』といふ歌に似てはべり。
されども、これは出で映えすべき歌なり。
かの歌ならねど、かくも取りなしてむと、いしげに詠めるとこそ見えたれ。
似たりとて難ずべきさまにはあらず。」と計らひければ、
車さし寄せて乗られける時、
「貴房の計らひを信じて、さらば、これを出だすべきにこそ。
後の咎をばかけ申すべし。」と言ひかけて出でられにけり。
そのたび、思ひのごとく出で映えして勝ちにければ、帰りてすなはち悦び言ひ遣はしたりける返り言に、
「見るところありて、しか申したりしかど、勝負聞かざりしほどは、あいなくこそ胸つぶれはべりしに、いみじき高名したりとなむ、
心ばかりは覚えはべりし。」とぞ俊恵法師は語りてはべりし。
現代語訳
建春門院の殿上で催された歌合の時に、関路落葉という題にあわせて頼政卿は次のような歌を詠まれました。
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白川の関
都を出るときは初夏、木々の梢はまだ青葉の状態で見たものでしたが、白河の関にさしかかった今は秋も既に深く、紅葉が一面に道に散りしいていることですよ。
この題に合う歌をたくさん試作して、当日まで思い悩み、俊恵法師を自邸に呼んでお見せになったのです。
その時にこのような話が頼政卿の口から出ました。
「この歌は、あの能因法師のおつくりになった『秋風ぞ吹く白川の関』という歌に似ているのではないでしょうか」ということでした。
俊恵法師は次のように答えました。
この歌は、歌合などの晴れの場で披露したときに引き立つに違いないと思われます。
能因の歌と全く同じというワケではありません。
よくこのように見事に歌を仕立て上げることが出来たものです。
まことに巧みに詠んだ歌だと思われます。
似ているからといって非難すべきような詠みぶりではありません。
そう断じなさいました。
そこで俊恵法師が牛車にお乗りになる時、頼政卿は、
「あなたさまの判断を信じて、それでは、この歌を出そうと思います。
以後の責任はあなたに負わせ申し上げますよ。」と話しかけられたのです。
その歌合で、この歌が俊恵法師の思った通り見栄えがするということから、勝ちになりました。
頼政卿は屋敷に戻るとすぐ喜びの意を、俊恵法師に伝えたということです。
俊恵法師は私(長明)のところへやってきて、こんなことをおっしゃいました。
「歌に見所があったので、あのように申し上げたのです。しかし勝負の結果を聞くまでの間は、むやみと胸が高鳴り心配でした。おかげでたいへん面目を施したと、心中密かにそう思いました」
歌合
歌合(うたあわせ)とは、歌人を左右2組にわけて優劣を競う文芸批評の会です。
どちらの歌がよりすぐれているかをその場で争うため、歌人たちは自分の面目にかけて、負けるワケにはいきませんでした。
源三位頼政の立場にたってみれば、絶対に負けられないのです。
その席へどの歌を持っていくのかということについては、神経をすり減らしたことだろうと思います。
だからこそ、わざわざ長明の歌の師である俊恵法師を招いて、直接講評をしてもらったのです。
彼の作は百人一首にもあります。
次の歌です。
よもすがらもの思ふころは明けやらで閨(ねや)のひまさへつれなかりけり
聞いたことがありますね。
さて頼政が1番心配したのは自分の歌が能因法師のものに似ているのではないかということでした。
有名な白川の関がでてくる和歌です。
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白川の関
頼政の歌をここでもう1度、引用してみます。
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散り敷く白川の関
この2つの和歌の共通点と相違点について少し詳しくみてみましょう。
2つの歌は、どちらも京の都を出発して白河の関(福島県)へ秋に到着したという内容ののものです。
全く同じイメージといってもかまわないでしょう。
文法的に説明すると2つとも、逆接の意味を持つ接続助詞を使っています。
構成も確かに似ていますね。
ではどこが違うのか。
1つは出発をした季節です。
能因法師のは春、頼政のは夏の季節だと考えられます。
「秋風ぞ吹く」と季節をはっきり伝えたところと「紅葉散り敷く」と風景描写にした点も随分趣が違います。
あなたはどちらの歌の方が好きですか。
頼政は歌合などの晴れの場で披露したときに引き立つに違いないと信じて、この歌を持参したのでしょう。
その真意を俊恵法師もみてとったに違いないのです。
この段を読んでいると、歌人の歌に寄せる強い思い入れがみえてくるような気がしてなりません。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。