師匠噺
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は少しだけ、落語界の話をさせてください。
興味のない方にとっては、まるで世界が違うよと言われてしまいそうです。
しかし誰の弟子になるのかというのは、芸人にとって一生を左右します。
だいたい入門して14~15年ほどたつと、真打になれます。
前座が4~5年、その次の二つ目が10年というところでしょうか。
大学を出てからなると、36~37歳になっています。
随分と長い間、修行しますね。
前座の頃は師匠が食事の面倒をみてくれ、お小遣いもくれますから、なんとかやれます。
1番苦しいのは次の二つ目の10年です。
全て自己責任の世界になります。
寄席にも出られません。
自分で仕事を探してくるしかないのです。
ギャラもそれほどもらえるワケではないので、とにかく苦しいのです。
しかしこの時代をどう過ごすかによって、それ以後の噺家人生が決まります。
師匠にスカウトされてなるという図式はありません。
とにかく頭をさげて、入門を願い出るのです。
最初は食えないからやめておきなと言われるのが普通です。
それでも何度か頼み込み、やっと弟子にしてもらえます。
師匠の芸が好きだからというのが、1番の理由でしょう。
なかには知人が間に入ってくれたなどという話もあります。
しかし基本は入門したいといって入るという構図です。
だからイヤならやめろと師匠も強く言えるのです。
不思議な縁
浜美雪の『師匠噺』には、そのあたりの複雑な関係が面白く描写されています。
とにかく師匠はその弟子に寝る場所、食事、衣服、さらには芸までを無償で与えます。
前座から二つ目、さらに真打ちになる時まで、あれやこれやと世話をやくのです。
正月には前座にお年玉を出します。
俗に内弟子といわれる住み込みの弟子が家にいると、師匠の奥さんはほとほと疲れるといいます。
親子以上に気をつかい、それでいて、師匠にどの程度のメリットがあるのかといえば、それは謎です。
しかしこれが噺家の世界というものなのです。
自分自身も師匠に面倒を見てもらい、噺を教わり、さらに他の兄弟子や、師匠方に稽古をつけてもらう道筋までつけてもらったのです。
その恩返しといえばいいのかもしれません。
しかし弟子になるのも容易なことではありません。
今は希望者が多いので、前座の前に見習いなどということもあります。
寄席の手伝いに行き、師匠の高座を毎日わきで聞いているわけですから、わざわざ稽古なぞしてもらわなくても、その間合いまでが似てくるということになります。
その影響は絶大です。
語り口調を聞いていると、誰の弟子かわかるようになります。
以前は、3べん稽古といって、師匠が同じ話を3回だけしてくれました。
それをひたすら覚えたものです。
今ではスマホの録音機能を使えば、楽なものです。
しかしその分、緊張感が緩むのでしょう。
なかなか覚えられないようです。
カーナビばかりを使っていると、道がわからなくなります。
やはり集中力が必要なのです。
集中力
最近の落語界には女性の噺家も多いです。
人気のある人も何人かいますが、なかなかはじけるというところまではいきません。
やはり落語は男向けにできています。
登場人物の思考回路も、まさに男仕様なのです。
その分、女性の噺家は苦労するようですね。
先ごろ亡くなった人間国宝に柳家小三治がいました。
柳家は最初、『道灌』という噺から覚えさせられます。
登場人物が2人だけという噺なので、基本を覚えるには恰好のものです。
ぼくもやりますが、それほどに大笑いをとるという噺ではありません。
しかしうまい落語家がやると、つい笑ってしまいます。
そこには特別な間の仕掛けがあるんでしょうね。
師匠は自分が培ってきた芸を無償で、入門したばかりの前座に教えてくれます。
どんな大看板といわれる人でも、これは同じです。
古今亭には古今亭の流儀があります。
同じ噺でも、誰に教えてもらったのかがすぐにわかるというのが、この世界なのです。
小三治の弟子の一人に柳家三三(さんざ)がいます。
彼が師匠から教えてもらったのは、道灌の最初の部分で「ご隠居さん、こんにちは」「誰かと思ったら八っつぁんか」だけだったといいます。
このやりとりの中に長屋での両者の関係、家の広さ、調度品の佇まいなどがあるわけです。
掛け軸に何がかかっているのかを想像させなければいけません。
それほどに難しいものが噺なのです。
一朝一夕にできあがるようなものではありません。
春風亭かけ橋
これはつい最近の話です。
この柳家三三のたった1人の弟子に柳家小かじというのがいました。
最初から噺の間が良かったですね。
うまいと思いました。
やがて4年が過ぎ、二つ目になったのです。
それがある日、三三の弟子をやめてしまいました。
破門になったのかどうか。
真相は今になっても藪の中です。
師匠をしくじるような人ではないからです。
その後、彼は春風亭柳橋の弟子になりました。
それもやっと二つ目に上がったというのに、再び前座からやり直したのです。
事情を知っている人ならば、すぐにわかりますね。
柳家三三は落語協会に所属しています。
一方の春風亭柳橋は落語芸術協会の人です。
つまり小かじはもう1つの協会に鞍替えしたというワケです。
なぜか。
真相はわかりません。
芸名を春風亭かけ橋とかえました。
これには両方の協会の架け橋になってほしいという願いも混じっていたとか。
その彼がこの7月、ついに二つ目になりました。
都合、8年間の前座生活です。
既に奥さんも子供もいます。
そのあたりの事情を「ヨネスケちゃんねる」でついに公開しました。
最後に貼りつけておきましょう。
おまえはどの師匠のところへ行きたいんだと当時の三三師匠に訊ねられ、柳橋師匠のところへと言ったそうです。
最初からやらなければ、向こうの協会の若手も納得しないだろうということで、前座1年生からやりなおしたのです。
複雑な人間関係ですね。
かけ橋は噺がうまいです。
しかしそこには兄さんと呼ぶべき、先輩の前座たちがたくさんいたのです。
師匠も悩んだといいます。
どういう態度で接したらいいのか。
芸人の世界は複雑です。
それが今度、前の師匠と次の師匠が2人並んで、二つ目昇進の口上をしてくれることになりました。
これも前代未聞のできごとです。
かけ橋の今後の成長が楽しみですね。
心から応援したいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。