縁側のある風景
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は端近(はしぢか)という言葉に込められた時代のことを少し考えます。
この表現を聞いたことがありますか。
なかなか味わいのある表現ですね。
これは平安の頃、廂の間と簀の子敷きとの境の御簾の傍に坐ることをいいました。
そこは端近ですからといわれれば、決して縁側の近くに寄ることは許されなかったのです。
特に女性が縁側の近くに寄ることは許されなかったのです。
なぜでしょうか。
垣間見られるからです。
いまでいえば、のぞきですかね。
垣根の中に首を突っ込んでなまかを覗くのです。
身分の高い女性が外に出るなどということはありませんでした。
ほとんどが几帳の陰で暮らしていたのです。
縁側から外に向かって顔を出すなどということは考えられませんでした。
『伊勢物語』の中にはそれまで一度も外に出たことのない深窓の女性が登場します。
はじめて葉の上におく露をみてあれは真珠なのと男に訊く話までのっているのです。
それだけで、どんな環境だったか、理解できるのではありませんか。
それほど縁側の近くに寄ることははしたないことでした。
『源氏物語』の若紫の巻でも、はじめて源氏が後の紫の上を垣間見たのはまさにこの縁側でです。
「すずめの子をいぬきが逃がしちゃったの」といってべそをかいている可愛い女の子を見て、源氏は心穏やかではありませんでした。
この若紫の段は『源氏物語』の中でも人気のある美しいシーンですね。
高校の教科書にも出てきます。
女三宮と柏木
源氏が正妻に迎えた女三宮を柏木がはじめて見てしまうのも、まさにこの場所です。
ふっと風が吹いて、几帳がめくれあがります。
端近にいたため、彼女の様子が柏木の目に触れるのです。
その瞬間から、恋心を抱くようになってしまったのです。
端近にいるということは、間違いを犯しやすい元でした。
縁側はいつも新しいストーリーが始まる予感を与えてくれるところだったのです。
『枕草子』173段にも雪の降り出した日の夕方、突然男性が一人で様子を見にやってくるシーンが描かれています。
「今日の雪でみなさんがどうなさっているかと思いまして」と呟く男の様子がユニークです。
片足を縁側からぶらぶらと下げ、明け方近くまで、清少納言や他の女房たちと話に花を咲かせるのです。
女性たちばかりの環境で、このように風流を解する男性が、半分あぐらをかいてリラックスしながら、実に愉快な話をしてくれることは大きな楽しみであったことでしょう。
これもある意味で縁側のとりもつ会話なのです。
しかし男性はけっして部屋の中に入ってこようとはしません。
縁側で全ての用件が終わってしまいます。
ここはある意味で男女が出会う結界なのです。
これ以上の侵入はまったく別の意味を持つことになります。
やがて少し時代が下がると、この縁側の端に閼伽棚(あかだな)が設けられるようになりました。
そこに花などをいけるのです。
これが後に書院造りの家に入って、床の間に発展していったといわれています。
このように日本の家屋の中で縁側の持つ不思議な異空間的領域は、大きな意味を持っていました。
外界との親和性
それはその家でありながら、外との接点ともなりえたのです。
つまり外界との親和性をたくさん持っていたといえるでしょう。
しかしかつて多くの家にあった縁側はいまや、過去のものとなりつつあります。
井戸で冷やしたすいかを縁側でほおばり、子供たちは再び遊びに出ていったものです。
ご近所の人が訪ねて来る場所も、この縁側でした。
ここでお茶を飲みながら、世間話をして、コミュニティを形成していったのです。
しかし時代はそうしたゆとりを全く失ってしまいました。
最近の家に設けられるウッドデッキに、その役割を担えるでしょうか。
やはり難しいような気がします。
現在、この機能のベクトルの矢は外よりも、むしろ内側に向かっています。
核家族化された人々がさびしい思いを抱きながら、それでも個別化への道を歩むとしたら、なんという皮肉なことでしょう。
日本にはよく広場がないといわれます。
かつて井戸の周囲にあった語り合う場も今はありません。
『伊勢物語』には「筒井筒」とよばれる章段があります。
子供の頃から男女がそこで出会ってきたのです。
背比べをしながら、それぞれの恋心を育ててきました。
母親同士がおしゃべりをしている間に、子供たちは別の世界を築きあげていたのです。
日本には広場の発想がありません。
そのかわりになったのが、こういう共同炊事場のようなところだったのかもしれないのです。
ヨーロッパの町へいくと、どこにも中心には広場があります。
そこで祭りが行われたりしました。
広場との差
今日では、コミュニティセンターと呼ばれる行政の作り出した場が唯一、それにあたるのかもしれません。
しかしそれらは自然発生的に作り出されたものではありません。
そうした公の場に、縁側や井戸端の持つ魅力に匹敵する何かがあるのでしょうか。
かなり疑問ですね。
しかしそこにしかすがる手段がないとしたら、現代は本当に寂しい時代と言えるのかもしれません。
縁側のある家を知っている世代の人は、幸せなのかもしれません。
最近では、他人の家を訪問するということもほとんどなくなりました。
玄関先で話をするくらいがせいぜいです。
どうぞと言われて中に入るという近所づきあいも滅多にみません。
それだけ個人主義が発達したともいえます。
家の中の様子を覗き見しながら、おしゃべりをするというケースも見ないですね。
他人の家は、かなり敷居の高い結界で遮られているのです。
よく考えてみると、現在の土地に引っ越しして以来、近くの他人の家を訪問したことは数えるほどです。
ましてや、縁側に座ってお茶を飲みながら、話をするなどということも皆無です。
日本の風景は、たった1つのキーワードを通して考えてみるだけで、全く変わってしまったということがよくわかります。
それがいいかどうかではありません。
その背後にはたくさんの生活があるのです。
時代の流れの中で、大きく変貌してきたことは間違いありません。
コミュニケーションのためのツールも大きく変化しました。
SNSの時代に縁側は不向きなのでしょう。
いいか悪いかではありません。
そういう風景の中にいるという厳然とした事実があるのです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。