横並び教育
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今年も都立高校の推薦入試が終わりました。
あとは発表を待つだけです。
昨日、何校かの試験問題を検討しました。
重点校の問題はますます難化しています。
各学校ごとの詳しい話は後日の分析まで待ってください。
今回は全体を通じての話です。
それぞれの学校が独自性を出して、新入生を迎えようとしているのがよくわかります。
基本は過去問の踏襲です。
例年の設問からあまり突飛なものにならないように工夫されていました。
哲学的な人文系の問題が1問と科学の分野からのが1問という設定も多かったです。
当初はSDGsからの出題が多いのかと考えました。
しかし出退者もそこを少し外して、より人間の思考の在り方を問おうとしていたものもありました。
もちろん、ジェンダーフリーなどに関する問題があったのは予想通りです。
今年のテーマとして気になったのは横並びの学校教育ということです。
これは特にコロナとの関連が濃いです。
どこの学校でもリモートでの授業を模索しました。
オミクロン株の蔓延と同時に休校になった学校もかなりあります。
その背景にICT教育の普及があるのは明白です。
しかしここで問題になったのは、どの家も一律に同じ環境ではなかったということです。
リモート授業が実施できない理由は単純です。
全ての家庭に同じようなデジタルの設備が整ってはいないのです。
機器の貸し出しもままなりません。
それともう1つ。
他の学校ではしていないのに、自分の学校だけで行うことができないというワケです。
落ちこぼれと吹きこぼれ
最近よく耳にするのがこの「落ちこぼれ」と「吹きこぼれ」という2つの言葉ですね。
「落ちこぼれ」という表現は以前からよく聞きます。
授業についてこられない生徒をどうしても置きざりにしたままにしてしまうというのです。
教師は全ての生徒を同じように手をかけてみることができません。
クラスの生徒数を少なくすることには自ずと限界があります。
どうしてもわからなければ、別の場所で補習などもしなくてはならないでしょう。
しかしそのための時間が雑用に追われてとれないということもあります。
塾などで授業を受けるだけの経済的なゆとりが親にないケースもあります。
少しのつまづきから大きな遅れになってしまうことが多々あるのです。
その反対が「吹きこぼれ」です。
聞いたことがありますか。
「吹きこぼれ」とは優秀であるがゆえに学校の授業内容に物足りなさを感じてドロップアウトしてしまうことです。
どのくらいの割合でいるのか。
調査によれば授業の内容が簡単すぎると悩みを抱えている小学生が約13%いるそうです。
落ちこぼれと同じくらいの比率で存在しています。
日本ではまだあまり馴染みが薄いので、発達障害と混同されているケースもあります。
しかし今のままでは全く先にのびることができないと悩みを抱えている人も多いのです。
いわゆるエリート教育とか飛び級などと一緒にすることはできません。
今までは教室で静かに座っていただけなのでしょう。
プレゼンテーションを巧みに操るなどという能力を持っている生徒もいます。
グローバル時代に必要なコミュニケーション能力の1部です。
しかし現実には、その力を発揮するシーンがほとんどありません。
どのような教育をしているのか
基本は暗記や計算ばかりに比重を置いた授業ではありません。
世界を自分の視点から切り拓いていく学びがメインです。
例えば学校では算数で単純な図形の面積を求めます。
しかしそれをさらに抽象化して立体のパズルを解いたり自分で描いたりというのを試みるのです。
答えが出なくてもかまいません。
ある決められた体積でどう建築物を作るかという課題が出たりすることもあります。
とにかく自分の力で解答を探す。
教師が正解はこれだといって、覚えさせるという授業はしません。
当然のことながら答えがみな違います。
その中からどれが可能な解になるのかを再び議論するのです。
これらのメソッドでは唯一絶対の解に到達するという目標を最初から放棄しています。
知識はあくまでも解決していくための補助です。
ポイントはより創造的な突き詰めだと言っていいでしょう。
宇宙工学、バイオテクノロジー、脳科学、エンジニアリングなどとその分野は日々広げられています。
今、ここまでお読みになってどう思いますか。
そんなことが今の日本でどこまでできるのか。
確かに学びの個別化、最適化が進められているのは事実です。
「落ちこぼれ」も「吹きこぼれ」も出さない教育に向けて、色々な工夫がなされているのも事実です。
しかし教える側からいえば、ものすごい力量がなければ、全体を把握するのは大変ですね。
とくにデジタル機材の扱いが不得意な先生にとっては、現場に立つことさえ怖ろしく感じるかもしれません。
現在でも1人1台のタブレットはごく当たり前の風景になっています。
しかしそれを十分に使いこなして、授業の中で活用していくのは、大変なことなのです。
同じものを同じように
ここで現場の学校をもう少し見てみましょう。
学校にいると、「みんなと同じ」「他の学校と同じ」という意識がとても強いことがよくわかります。
横並び意識そのものだと言っていいでしょう。
理由は幾つも考えられます。
その第1がクレームと失敗を恐れるという体質にあります。
親からのクレームは想像以上に激しいものがあります。
管理職にとっては戦々恐々といったところです。
教育委員会は親からクレームをつけられると、それを学校の現場におろしてきます。
最終的にはそちらで解決しなさいという態度です。
つまり新しいことを取り入れるのに消極的にならざるを得ません。
わかりやすくいえば前例を踏襲していくことになります。
当然、上位にいる教育委員会の指示を守る姿勢が強くなる一方なのです。
学校は「新しいことをやってクレームが来るより、しない方がいい」という考えに傾いてくのも当然でしょう。
それでなくてもブラックなどといわれ、公務員バッシングもあります。
なるべく静かにしていようという意識が働いています。
まわりの学校と足並みをそろえていれば、特に文句をいわれることはありません。
新しいことがなかなかできない土壌がそこにあるのです。
最後は忖度の度合いで現場が動いていくということになります。
学級閉鎖や休校などの判断も、きちんとしたお墨付きがでるまで、神経をすり減らして待っているのです。
これならばやってみたいという裁量で動ける場面が極めて限られています。
落ちこぼれもも吹きこぼれも出さない学校になるのはいつのことなのでしょうか。
ましてや、格差社会の現実があります。
Wifiなどの環境を一律に整備できる環境の家庭とそうでないところの差は広がる一方です。
私学がはやくリモート授業に着手できたのも、そこに一因があるのはごく当然なのです。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。