虫めづる姫君
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は満を持して、この物語を取り上げます。
『堤中納言物語』がそれです。
タイトルを聞いたことがありますか。
実はなぜこういう名前がついているのかよくわかりません。
10編の物語の中に「堤中納言」という人物は登場しないのです。
平安時代後期以降に成立した短編物語集といわれています。
作者は複数いたようです。
成立年代や筆者も違い、13世紀以後にできたらしい作品も入っています。
実に不思議な本なのです。
高校でも代表的な短編だけを勉強します。
その筆頭にあげられるのが、この「虫めづる姫君」なのです。
「めづる」というのは漢字で「愛づる」と書きます。
つまり大好きなという意味です。
普通の女性は虫を嫌いますね。
ちょっと部屋に侵入してきただけで、大騒ぎになります。
それは昔も同じこと。
ところがここに登場するお姫様は、殊の外、虫が好きなのです。
古典の中で虫の幼虫などを正面から取り上げたのはこれに尽きるのではないでしょうか。
鳥はよく出てきます。
蝶となると、ほとんど見かけません。
ましてや、幼虫の類が話に出てくるというのは皆無です。
それだけでもこの姫君の特異性が感じられます。
なぜ好きなのか。
少しだけ、本文を読んでみましょう。
原文
蝶めづる姫君の住み給ふかたはらに、按察使大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづき給ふこと限りなし。
この姫君ののたまふこと、
「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」
とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む。」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせ給ふ。
中にも、「かは虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ。」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手の裏に添へ臥せて、まぼり給ふ。
若き人々は、怖ぢ惑ひければ、男の童の、もの怖ぢせず、言ふかひなきを召し寄せて、箱の虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、いま新しきには名をつけて、興じ給ふ。
「人はすべて、つくろふところあるはわろし。」
とて、眉さらに抜き給はず、歯黒め、さらに、「うるさし、きたなし。」
とて、つけ給はず、いと白らかに笑みつつ、この虫どもを、朝夕に愛し給ふ。
人々怖ぢわびて逃ぐれば、その御方は、いとあやしくなむののしりける。
かく怖づる人をば、「けしからず、はうぞくなり。」とて、いと眉黒にてなむにらみ給ひけるに、いとど心地惑ひける。
親たちは、「いとあやしく、さまことにおはするこそ。」と思しけれど、
「思し取りたることぞあらむや。あやしきことぞ。思ひて聞こゆることは、深く、さ、答へ給へば、いとぞかしこきや。」と、
これをもいと恥づかしと思したり。
「さはありとも、音聞きあやしや。人は、みめをかしきことをこそ好むなれ。むくつけげなるかは虫を興ずなると、世の人の聞かむも、いとあやし。」
と聞こえ給へば、
「苦しからず。よろづのことどもをたづねて、末を見ればこそ、事は故あれ。いと幼きことなり。かは虫の蝶とはなるなり。」
そのさまのなり出づるを、取り出でて見せ給へり。(後略)
現代語訳
蝶を可愛がる姫君が住んでいらっしゃる屋敷のそばに、按察使を兼任する大納言の姫君が住んでいらっしゃいました。
その姫君は奥ゆかしく並々でない様子に、親たちが大切にお育てになることこの上なかったのです。
この姫君がおっしゃることには、
「人々が、花よ、蝶よともてはやすのは、浅はかで不思議なことです。
人間には、誠実な心があり、物の正体を突き止めることこそ、心のあり方が優れているのです。」
と言って、いろいろな虫で、恐ろしそうなのを採集して、
「これが成長する様子を観察しましょう。」
と言って、さまざまな虫籠などに入れさせなさいました。
中でも、「毛虫が、思慮深い様子をしているのは奥ゆかしい。」
と言って、朝晩、額髪を耳の後ろにはさんで、毛虫を手のひらにおいて這わせて、じっと見守りなさるのです。
若い女房たちは、ひどく怖がったので、男の童で、物おじしない、身分の低い者を召し寄せました。
箱の中の虫たちを取らせ、名を問い聞き、さらに新しい種類の虫には名をつけて、おもしろがっていらっしゃるのです。
姫君は「人は総じて、取り繕うところがあるのはよくありません。」と言って眉毛は全くお抜きになりません。
お歯黒も、全く、「煩わしくてきたない。」と言って、おつけにならないのです。
真っ白な歯を見せて笑いながら、この虫どもを、朝夕にかわいがっていらっしゃいました。(中略)
姫に使える童の名は、普通によくあるようなのはつまらないと思って、虫の名をおつけになります。
けらを、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまひこなどとつけて、お召使いになっていたのです。
虫大好き人間
今なら、NHKの「昆虫大好き」に特別ゲストで出られそうですね。
とにかく変わっていることは少し読んだだけでもよくわかります。
虫の飼育、観察への熱中度が並々ではありません。
眉を抜かず、お歯黒もしない。
これも姫君としては驚くべき日常の風景です。
つまり全くお化粧をしないということなのです。
一言でいえば虫を偏愛するとでもいえばいいのでしょうか。
卑しい身分の男童に命じて次々とかわった虫を集め、虫の名を聞き、見たことのない虫には自ら命名するまでの異常さです。
蝶の羽化する様子を親に見せる場面も出てきます。
毛虫を見たい一心で我を忘れて簾の中から姿を現し、遂には毛虫を扇に載せて間近に観察します。
さらには、カマキリ蝸牛に関する歌を歌わせ、自分でも歌を朗詠します。
もっとすごいのは男童に「けらを、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまびこ」と昆虫や両生類の名までつける始末です。
上流貴族が虫を愛するという以上に偏執的な要素も加わっていますね。
いったい何が彼女をそうさせたのでしょうか。
本人はいたって真面目です。
一点の曇りもありません。
蝶を愛する人はその本質を見ていないというのです。
必ずその根本を辿れば、蝶は毛虫が成長した後の姿に他なりません。
としたら、その元である毛虫を愛するのはごく当然だという論理なのです。
この考え方はどうなのでしょう。
言われてみると確かにそんな気もしますね。
いずれにせよ、日本文学の中でも実に不思議な性格をもった話です。
こういう古典もあるのです。
どの作品も恋愛だけが主題であったワケではありません。
物語の後半では上流貴族の御曹司で右馬佐を務める男が姫君に興味を持ち始めます。
リアルな蛇の作り物をプレゼントして驚かそうとしたり、ちょっかいを出す人物として登場したりもします。
しかし根本は人や事物を見た目で判断してはいけないという信念です。
今の言葉でいえば自然児の元祖かもしれません。
時間があったら是非読んでみてくださいね。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。