次世代への希望
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は中学校の教科書に載っている魯迅の『故郷』について考えてみましょう。
3年生で必ず習う小説がこれです。
ぼくも数年前に中学3年の国語を担当したことがあります。
卒業を前にして、この作品を読めたことは幸せでした。
質の高い小説は必ず人の心に宿ります。
魯迅の持つ熱い思いが、生徒の胸を打ったに違いありません。
彼の本名は周樹人。
1881年9月25日、浙江省紹興市に周家の長男として生まれました。
南京の軍学校に学んだ後、日本に留学。
帰国して北京大学その他で教職に就きます。
中国の新文学運動を導きました。
主な著作に『阿Q正伝』『狂人日記』などがあります。
日本人にも非常に馴染のある作家だと言えるでしょう。
中学校では『故郷』がほぼ全ての教科書に、高校ではいくつかの教科書会社が『藤野先生』を所収しています。
魯迅といえば、最初に『故郷』という作品が頭に浮かぶのではないでしょうか。
大変に内容の濃い、すぐれた作品です。
周一族は古くからの大地主でしたが、魯迅が生まれた頃には家運が衰えていました。
祖父の入獄や、父の病死も重なって、先祖伝来の土地を手放さなければならないほど困窮していたのです。
その頃のことをイメージしながら、この小説を書き上げたに違いありません。
貧しさと戦う人々の現実を自分の目で見ていなければ、とてもこれだけのリアリティを持ちえなかったでしょう。
細部に至るまで、透徹した目で描かれています。
留学後
魯迅は11歳の時に紹興で最も厳格な塾で学んでいましたが、父が亡くなったため17歳の時に南京へ。
海軍学校、江南水師学堂に給費生として入学しました。
続いて陸軍学校へ。
その後、日本に留学したことはよく知られています。
清国は新しい学問を日本から積極的に取り入れようとしていたのです。
彼は仙台で医学の勉強を開始しました。
その時のことは『藤野先生』に詳しく書かれています。
この小説については今回の記事の後にまとめようと考えています。
高校では何度も授業で取り上げました。
読めばよむほど、味わいの深くなる小説です。
中国では多くの人が魯迅を敬愛し、彼の小説を読んでいるそうです。
日本人で1番よく知られた人がまさにこの小説の主人公、藤野先生なのです。
魯迅は彼から解剖学を学びました。
なぜ途中で医学を放棄し、帰国したのか。
その理由は『故郷』を読むとよくわかります。
彼は中国の貧しく無知な民衆を描き、当時の祖国の人々に国民性の改革の必要性を訴え続けました。
どうして偶像崇拝までして、自分の愚かさを露呈するのか。
その事実へのいら立ちが強く作品に滲んでいます。
しかし彼らが偶像に頼らざるを得ない現実を見逃していたワケではありません。
魯迅にとっても形は違うものの、同じような考えがどこかにあったのでしょう。
『故郷』の最後の部分にその反省もこめられています。
あらすじ
一族が長い間住んでいた家が他人の持ち物となります。
明け渡しの期限までに引っ越しを余儀なくされたのです。
主人公の私は20年ぶりに故郷を訪れました。
自宅の庭先にくると母と8歳になる初対面の甥の宏児(ホンル)が迎えてくれました。
母は閏土(ルントー)が私に会いたがっていると言います。
閏土は家の雇い人の息子でした。
当時は人出が足りない時だけ祭器の番のために呼ばれていたのです。
少年だった私は、同じ歳の頃の閏土とすぐに仲良くなりました。
海辺に住んでいた閏土は、鳥を捕る方法や、西瓜畑を荒らしに来るチャーという動物を突く話を教えてくれました。
閏土の話はなにもかもが新鮮で魅力的だったのです。
4、5日後、閏土が訪ねてきます。
再会した閏土の顔には深い皺が刻まれていました。
眼の周りが赤く腫れているのです。
私は胸がいっぱいになり、昔のことを話そうとしても言葉が出てきません。
閏土はうやうやしい態度で「旦那さま」と呟きます。
2人の間には既に厚い壁ができていたのです。
閏土は、息子の水生(シュイション)を紹介してくれます。
水生は30年前の閏土そのものでした。
閏土は生活の苦しさを訴えます。
私と母はいらない家の品物を好きなように選ばせました。
9日後、私たちの旅立ちの日に閏土が再びやってきます。
私は忙しく、閏土と話す機会もありませんでした。
船に乗り込むと、宏児が私に再びいつここへ戻ってくるのかと聞きます。
水生が自分の家に宏児を誘ったようでした。
私と閏土との距離は離れてしまいましたが、若い世代の2人の心は繋がっているようです。
そこに国の未来と希望を見る以外、私には明るさをみつけることができなかったのです。
主従関係
子供の時代は親が主従関係にあろうと、身分意識はそれほど強くないものです。
しかし大人になってからの出会いは痛々しいですね。
再会の喜びは「旦那様」と呼ばれたことで完全に消え去ります。
子供の時代はとうに過去のものになってしまっていたのです。
閏土と会わない方がいいくらいでした。
むしろ何も知らずに年月を終えることの幸せというのはあるのかもしれません。
暮らし向きが悪く、偶像崇拝に頼る閏土。
短気で欲深な楊おばさん。
典型的なこの時代の民衆の姿です。
貧しいとはいえ、実直に生きている閏土の描写は胸を打ちます。
魯迅の周囲には彼のような人がたくさんいたのでしょう。
彼らの姿を見るたびに切ない気持ちになったのは十分に想像できます。
無知ではあっても人のいい優しい心根の持ち主たちです。
2人の間に友情と呼べるようなものはもう残っていません。
あるとすれば、それは次の世代への希望だったのでしょう。
宏児と水生の友情を目の当たりにした私は、少し未来に希望を持てるような気持になりました。
子供達だけは身分の差を意識せずに、みな同じように生きて欲しい。
そのためには貧富の差のない新しい国を作らなければいけない。
自分にできることはなにか。
魯迅は考え続けたことでしょう。
結論は医者になることではありませんでした。
少しでも人々の意識を発揚する文学の創造です。
それこそが国の未来を切り拓くものだと強く信じたのです。
その願いはかなえられたのでしょうか。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。