【沢木耕太郎・深夜特急】身体の中が熱くなるホンモノの旅本はこれ

旅をして学ぶ

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

コロナウィルスのせいでどこへも行かれなくなりました。

海外旅行へ出かけることなど無理な話です。

航空会社がここまで低迷するとは誰も想像していませんでした。

海外路線はほぼなくなったに等しい状態です。

今後どうなるのか、誰にもわかりません。

まさに神のみぞ知るというレベルですね。

若者といえば、かつてはバックパッカーとして世界へ飛び出ていったものです。

ぼく自身、夏の休みを利用して、1カ月ヨーロッパを歩いたことがあります。

到着した日と帰りの1日だけのホテルを予約し、残りは周遊券を買って、まさにどこへいくかわからない旅でした。

北欧と東欧を除いて、ほぼ全域を移動したのです。

ロンドンからアテネまでの1か月間、見たもの、聞いたものは今のぼくの血になっています。

それ以降、あちこちへ旅をしましたが、あの時のインパクトには遠く及ばない気がします。

それは全く予定もなく、その日眠るところも決まっていない旅だったからこそ、味わえたものだと感じるのです。

バックパックの旅には若さの特権が潜んでいますね。

作家沢木耕太郎の『深夜特急』は彼のベストセラーです。

長い間、これほど読まれ続けている本も珍しいのではないでしょうか。

26才の時に始めた香港からロンドンまでの旅の様子は、多くの青年達の心を熱くしました

ことに香港からインドまでの旅は心に残ります。

何度読んでも面白い。

それだけではありません。

作家自身がその中で成長していくのを実感できるから魅力的なのです。

何でも見てやろう

小田実という作家の名前をご存知でしょうか。

ベ平連などというと、今ではもう昔話に近くなってしまった平和活動の代表でした。

代々木ゼミの講師としても有名でした。

『現代史』という小説もあります。

その彼が書いた本が『何でも見てやろう』なのです。

これは彼が学生だった時、米フルブライト基金により渡米。

その後、一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周旅行に出かけた時の記録です。

一泊1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあいました。

世界を自分の目で見てやろうと決意した旅です。

タイトルに意気込みが全て出ていますね。

今読んでも大変面白いです。

時代の違いは確かにあるものの、若者がどうやって世界と交わっていけばいいのかを教えてくれます。

インターネットもSNSもない時代でした。

どこからも情報は入ってこない。

その中を素手で走り抜けた青年の記録です。

どうにもお金がなくなったら、大使館に走り込む。

当時在学していた東大の学生証を見せれば、借金ができました。

出世払いなどという神話も存在していたのです。

沢木耕太郎が『何でも見てやろう』に触発され、いつか旅に出たいと考え出したのはいつなのか。

ルポライターとして少しずつ売れてきたという実感を持つようになった時分でした。

新しい文体を持った切り口の鮮やかなルポをたくさん書き出した頃だったのです。

1979年には演説中に刺殺された日本社会党委員長の浅沼稲次郎と、その犯人である少年の交錯を描いた『テロルの決算』を出版。

第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。

今までにない新鮮な本でしたね。

夢中になって読みました。

それ以後、『敗れざる者たち』というスポーツを題材にしたノンフィクションなども書き始めました。

深夜特急

沢木は大学卒業後、富士銀行に入行します。

しかし初出社の日に退社しました。

出社途中、信号待ちをしている時に退社を決めたといいます。

その後、横浜国大の指導教官だった後の長洲一二神奈川県知事から「何か書いてみないか」と誘われたのをきっかけに、文筆活動を始めたという逸話の持ち主です。

1度決めると、もう後には戻れない人なんでしょうね。

それくらいでなければあれだけきっぱりとした文章は書けないと思います。

その彼がなにもかもをご破算にして、もう1度全部最初から始めてみたいと考え出したのは彼の性格かもしれません。

それも全ての旅程をバスで走破するという突飛な内容のものでした。

かつて五木寛之はナホトカから大陸間横断鉄道でロシアに入るというこれも壮大な旅を計画しました。

後に『青年は荒野をめざす』という小説に結実したのです。

しかし沢木耕太郎の旅はそれとも違います。

最初は日本からデリーまで直行してしまうつもりでした。

しかし途中2か所のストップオーバーが認められる航空券を手にすることができました。

それで香港とバンコクを選びます。

特にアジアでの記事は面白いです。

刊行後は、この本を読んで世界に旅立つ若者たちが増えました。

香港での熱狂

香港での熱狂シーンは実に愉快です。

マカオでのギャンブルにのめり込むところはぼくの大好きなところです。

ルーレットに近い形の博打にある一定の流れがあるのを見抜き、それまでの負けを次第に回復していきます。

しかしそれも簡単なことではありませんでした。

ディーラーとの心理合戦の様子は実にスリリングです。

AbsolutVision / Pixabay

最後にそれまでのマイナスをほぼ取り返したからいいようなものの、もしここで負けがこんでいたら、彼のこの後の旅はなかったかもしれません。

とにかくここの記述は面白い。

手に汗握ります。

次のハイライトはインドでしょうか。

とくに死者を火葬するシーンをずっと見続けていたという一章は胸にせまるものがあります。

一方で不幸な死に方をした人たちは、そのまま川に沈められ、やがて浮いてきたところを鳥についばまれていくのです。

人の死があまりにも日常の近くにある場所を訪れ、本当に衝撃を受けたようです。

彼はそれ以後、何もかもを捨てるという単純な行為を続けます。

その土地の人と同じものを食べ、同じような衣類を着て、さらにもっとも安いホテルに泊まります。

時にそれは淫売宿であったりもしました。

娼婦にからまれ、さらには彼らと友達になり、そのヒモたちとも親しく話をします。

子供たちとの出会いはいつも最も印象的な場面をたくさん提供してくれました。

インドでは親しくなった子供が、お別れにたったひとつのピンをくれます。

それがその子にとって唯一の財産だったのです。

そうした光景が、ベナレスでもカトマンズでも繰り広げられていきます。

熱を出し、終日ホテルの天井のしみをみつめ、なんでこんなところに自分はいるのかと朦朧とした意識の中で考え続けたこともあります。

バスに乗り、三等車に乗り、時にたばこを勧められ、子供と遊び、彼の旅は続けられました。

このシリーズを読んでいると、沢木耕太郎という人間の柔らかさをしみじみと感じます。

その心の襞が後に多くの仕事を生み出していったのではないでしょうか。

彼の父を描いた『無名』という本もあります。

いつも無名であろうとし、しかし敗れざる者としてしたたかに生きていく力の源泉をここにはみることができます。

旅は人を磨きます。

真に望む者には、豊かな時の堆積となるでしょう。

しかし逆にそうでない者にとって、それはたんなる移動でしかありません。

そこにこそ、この『深夜特急』というシリーズの持つ真骨頂があるのではないでしょうか。

多くの若者達に1度は読んで欲しい本です。

貧しさの質が当時とは明らかに変化しています。

ネットの普及も世界を変えました。

しかし人間はそれほどに違っていません。

70歳を過ぎた沢木耕太郎の若き日を味わってみてください。

必ず何か得るものがあると信じます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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