新聞を意識する
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は小論文とジャーナリズムとの関係を考えましょう。
受験生がみんな記者になるワケじゃありません。
よくわかっています。
しかしここは少しおつきあいください。
新聞記者というのはどういう特徴をもっているでしょうか。
評論家森本哲郎は『私のいる文章』という名著にこう書きました。
新聞記者を長くやっていると、だんだん文章から「私」が消えていくのが寂しかったということです。
意味がわかりますか。
俗に5W1Hとよく言いますね。
誰がどこで誰と何をなぜどのようにしたのか。
これを書けば基本的な新聞の記事になるのです。
新米の記者は、とにかくこの5W1Hを徹底的に仕込まれます。
自分の感想がどのようであるのかなどいうことは要求されません。
ひたすら事件の現場に立ち、その裏側から「なぜ」を探し歩くのです。
実際の記事はごく短いものであっても、その文章を書くための作業は膨大です。
警察の記者クラブで発表される内容だけでは、不十分だと思えば、あとは足で歩いて記事を埋めていくしかありません。
同じ作業を何度もしているうちに、記事の中から「私」が消えていくのです。
自分はどう感じたのか。
何を取材の間に考えたのかということがなくなっていきます。
それが読者の要求している記事なのです。
もちろん、記事に自分の名前を載せてもらうチャンスも時にはあります。
しかしそれは実に稀なことなのです。
記事を書き方を真似る
それでは書き方がパターン化してしまうのではないかと思いませんか。
全くその通りです。
誰が書いても同じような記事が次々と量産されていきます。
それがつらいといって、記者をやめる人もいます。
あるいは後追い記事を専門にする週刊誌などに転身していく人もいます。
ここで文学を志す人のことを考えてみてください。
まさに正反対ですね。
小説家は内面にじっと目を据え付けて、自分を表現することだけに集中するのです。
まず自分です。
対象物は簡単にいえば自分を映すための鏡なのです。
毎日、自分の内面に沈み込み、そこから発する言葉だけを拾い上げていきます。
文章を書くといっても、新聞と文学にはこれだけの振り幅があるのです。
文字の世界の深さが想像できますね。
では小論文はどちらなのでしょうか。
ズバリ新聞です。
対象に切り込む形が記者のそれと似ています。
自分の感情にどっぷりとひたって小論文を書いたとしたら、それはユニークなものになるかもしれません。
採点者の間でおそらく評判になるでしょう。
皆が読みたがるかもしれません。
しかし評価は低いままです。
断言しておきます。
小論文のカテゴリーには入りません。
文学新人賞への応募作品にするしかないでしょうね。
必ず自分の主張を
それでは小論文を5W1Hだけで構成すればいいのでしょうか。
ここが1番難しいところです。
はっきり言っておきます。
それだけではダメです。
誰が書いても同じ内容の小論文になってしまう怖れがあります。
どうしたら新聞を真似しつつ、独自の視点をそこへ入れられるのでしょうか。
これができれば、いい小論文になります。
余程のことがない限り大きなミスをしないですむのです。
そのための方法は課題文の中にある矛盾、対立を見つけることです。
必ず与えられた文章の中には疑問を抱くような内容があるものなのです。
そこがあなた自身を表現する場所です。
「問題箇所」の発見です。
もしそれが見つけられたら、もう成功したも同然です。
どうしたらいいのか。
その問題を解くためにどうしたらいいのかを書くのです。
うまく書けなくてもかまいません。
どうしたら解決へ導くことができるのかを考えるのです。
その糸口を示せなくても仕方がありません。
その時は問題を発見したことを宣言します。
ここにこのようなテーマがあり、そこには大きな疑問を持たざるを得ないということを明らかにするのです。
現実との関連は
本当なら、解決策をきちんと述べて欲しい。
それが偽らざるところです。
しかしわからないということも大切なのです。
どうしてここまで追い詰めてきたのに、そこから先へいけないのか。
その軌跡をみせるのです。
それがあなたのテーマに対する解析力を示すことになります。
知らない、書けないということが入学後の伸びしろにつながるのです。
今はまだダメだけれど、ここに問題点のあることは見つけた。
そこまでなんとか頑張ってみたものの、やはり無理だったでかまいません。
結論を特殊なものにしないことも大切です。
新聞の記事を読んでいればよくわかります。
決して突飛な終わり方をしません。
一般化することが大切です。
ただしよくある「成り行きに注目したい」などというお座なりの終わり方はしないこと。
文章を書くことに馴れているということだけが強調されて、いい結果になりません。
新鮮味がないのです。
主観と客観というのはそれくらい文章を書く上では難しいテーマです。
これから自分で練習を続けていくうちに、どこが勝負所が見えるようになってきます。
その時あまりに主観的に文章を突っ込んで書かないこと。
あくまでも目線は引いていくことです。
クローズアップはごくわずか。
基本は常に鳥の目です。
鳥観図を頭の中に描きつつ、文章を書いてください。
新聞記事を少しまとめて読んでみることです。
そうすれば、ここに書いたことの意味が理解できると思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。