【小論文・医療従事者】コロナ禍におけるいじめは人権ハラスメント

小論文

悲しい現実

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はハラスメントと差別の問題を考えます。

この両者は厳密にいうと、少し違います。

異性によるパワーハラスメントなどの場合は性差別と認定されることが多いようです。

ただし同じ文脈で使われるケースもあります。

両者の差異については少し曖昧な部分が残ることは確かです。

医療従事者へのハラスメントが報道されたのは新型ウィルス蔓延のニュースが流れ始めてすぐのことでした。

いわゆる「コロナいじめ」です。

ニュースバリューがあると判断されたのか、さまざまな形で外国へも報じられました。

どのようなものだったのでしょうか。

これまでに報道された医療従事者への差別的言動をまとめると、次のようなものです。

① ばい菌扱いされる
② 引っ越し業者から引っ越しをキャンセルされる
③ タクシーで乗車を拒否される
④ 子供の保育園から受け入れを拒否され、出勤できなくなる
⑤ 親族が介護施設の利用を断られる
⑥ 病院へ抗議の電話が相次ぐ

新聞協会と民放連に加盟する報道機関は差別・偏見の問題があることを知り、すぐに声明を出しました。

感染拡大以降、不当な人権侵害やSNSでの問題発言などをしないように配慮するというものです。

さらに院内感染についても医療関係者に正確・迅速な情報提供を求めました。

また感染者に関する公表や報道のあり方も、プライバシーを侵害しない範囲で提供するという論点を示しました。

この記事を読んで最初に思い出したのは、2011年に発生した東日本大震災です。

あの時も似たような状況でした。

本来あたたかく受け入れてもらえるべき、災害被害者を2次的に差別するということがあったからです。

地震と津波によって発生した福島第1原発発電所事故により避難した人々に対して、風評に基づく心ないいやがらせも発生しました。

geralt / Pixabay

メディアの過剰取材や周囲の人々の噂、中傷、偏見などがかさなり、日常的な行動がとれなくなってしまったのです。

今回は医療従事者本人へのハラスメントだけではありません。

その子供にまで被害が及んだのは、2011年の時と全く同じです。

なぜこんなことになるのか

日々、新型ウィルスと戦い、私たちの生命を守ってくれている人々に対して感謝こそすれ、非難し中傷をするなどという行為はあってはならないものです。

これと対照的にデトロイトでのこんな心温まる報道もありました。

ある男性が「看護師のための無料ガソリン」という看板を持って、病院の近くのガソリンスタンドの前に立ったというのです。

医療従事者らが通勤に使う車のガソリン代を、彼らの代わりに支払うためでした。

男性は看護師50~80人のガソリン代を支払いました。

「看護師はヒーローです。彼らを支援するために何かしなければ」というのがその男性のコメントでした。

その一方では差別はやはり起きていました。

日本だけのことではなかったのです。

アメリカでもアパートから出て行くよう家主に言われた看護師がいます。

世界各地で医療従事者に対する差別や偏見は起こっています。

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なぜハラスメントが起こるのでしょうか。

被害者に関する記事を読んでいると、どうしても人間の限界を感じてしまいます。

この問題は今年の小論文の問題として当然出題されるでしょう。

どのような視点から出されるか現在のところはっきりとはわかりません。

しかし日本人論とからめるという方法も考えられます。

あるいは人間全体の心理ということと関係づけるという方法もあり得ます。

ハラスメントは「いやがらせ、いじめ」を意味します。

内容は実に多岐にわたるのです。

「セクハラ」「パワハラ」「マタニティハラスメント」などさまざまです。

今回のコロナ禍におけるハラスメントはなんと呼べばいいのでしょうか。

問題は差別的言動をするだけにはとどまりません。

本来、感謝するべき立場の医療従事者がコロナウィルスに罹るということも当然ありました。

その際、病気に対する正しい知識、理解がないと内容がさらに理不尽に拡散されるということもあったのです。

HIV感染、エイズ、ハンセン病などとまったく同じプロセスです。

差別されるべきではない人が差別されるという理不尽は簡単には解消されません。

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宿泊施設などへの滞在拒否などということが起きているのです。

単純に病気の内容を理解したというレベルでは解決しません。

大変に厄介で難しい問題です。

小論文のテーマとして、ハラスメントの問題が出た場合、どう書けばいいのかといいうのは考えておかなくてはならないでしょう。

差別はなくせるのか

これは本質的なテーマです。

ある程度具体的に書かなくてはならない場面で、どう処理すればいいのか。

最近話題になっている本に認知神経科学者、中野信子『人はなぜ他人を許せないのか』というのがあります。

彼女の考え方によれば、人間は差別をする資質を持っているというのです。

それが強いか弱いかの違いはあっても、イジメをするという根本欲求はなくならないのだそうです。

仲間はずれをつくり、自分の所属している集団への帰属意識を強める。

こちら側と向こう側の垣根がはっきりみえれば見えるほど、連帯感が強くなるのです。

今日の新聞にそうした社会行動学の授業をしている甲南大学の先生の報告がありました。

白シャツとジーパンという「制服」を着せ、輪の中にいるカップルに対して、「リア充爆発しろ」と暴言を浴びせます。

指導者の命令にしたがって集団で行動していると、責任感が麻痺してしまい、異端者を排除したくなるという傾向を人間は持っています。

集団の中には「ふざけて加わっているのは許せない」とか「制服をきちんと着ていない人は参加する資格がない」といった気分になる人も出てくるとか。

まさにいじめの構造そのものなのです。

最初はふざけてやっているつもりでも、一部が暴走し始めると止まらなくなります。

やがて今回の「自粛警察」と呼ばれる組織にまで拡大していくのです。

今はSNSという強力な装置があります。

相互作用で集団の力がどんどん増していくワケです。

ファシズムの芽

これはナチズムになぞらえた実験だそうですが、その中から出てきたのが、真面目にやらない人に対する憎しみの感情でした。

コロナに対する自警団の活動で報道されているのと同じです。

人間はきちんと真面目にやらない人間に対して、自然と不満を持つようになるのです

ただ怖いと言っているだけでは、ハラスメントはなくなりません。

差別が完全になくなるということは、人間の社会においては考えられないことです。

かつての水俣病などの公害においても、被害にあった人が差別されていくという構造が多くみられました。

悲しいことですが現実です。

1つのハラスメントが解決したからといって、そこで終わりではありません。

また別の場所で次のハラスメントが起こるのです。

そのための人権教育が必要な所以です。

弱い立場の人に対して、優越感を持つというのは人間の悲しい性なのでしょう。

それを是正するものはなんであるのか。

大変に難しい問題です。

このテーマは人間というものの深淵に関わるものだけに、小論文のテーマとして出題される可能性が大いにあります。

その時、ここにあげたようなことを何も知らずに文章を書くことがあってはなりません。

差別用語を撤廃したからといって、その事実が簡単に消えるとも思えません。

教育の力で、人権思想を養うといっても、そこには自ずと限度があります。

しかしできないからといって、やらないのではあまりに無力です。

ハラスメントを受けたら、隠さずに堂々と人前に出る。

これも1つの方法でしょう。

近年、多くのハラスメント訴訟が起こっています。

勇気ある行動そのものです。

しかしそれが原因で解雇されたり、不当な扱いがあってはなんにもなりません。

時間のかかる息の長い戦いです。

コロナ禍は現在も続いています。

医療従事者への敬愛を忘れてはいけないということだけは、ここにまとめておきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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