【寅さんもビックリ】この国には泣き売という超絶な販売技法があった

ノート

リズムのある台詞

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回はかなり昔の話をさせてください。

突然思い出したのです。

なんとなく寅さんの売り口上が懐かしくて、ボソボソと1人で喋ってました。

皆さん、ご存知ですよね。

必ず寅さん映画の中に出てきます。

切れのいい啖呵を言いながらものを売るシーンです。

そこからついた言葉が啖呵売(たんかばい)。

子供の頃、ぼくも縁日でよく聞きました。

飽きずに聞いていたのがバナナと瀬戸物のたたき売りですかね。

たくさんのお客の前でものを売る技術は、本当にみごとというしかありません。

そうした啖呵売の形を映画に残したのが、「フーテンの寅さん」なのです。

いろんなパターンがあるので、これと決まってはいません。

しかしどれもリズミカルで、読んでいても楽しいです。

ちょっとだけご紹介します。

口に出してみてください。

気持ちがいいですよ。

こんな文句です。

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物の始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島。

泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりが熊坂の長範。

はじめばかりじゃ話にならない、続く数字が二だ。

兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ、仁吉が通る東海道、憎まれ小僧が世に憚る。

仁木の弾正はお芝居の上での憎まれ役。

続いた数字が三。

三、三、六歩で引け目がない、産で死んだが三島のおせん。

おせん泣かすな、馬肥やせ。

おせんばかりがおなごじゃないよ。

京都は極楽寺坂の門前で、かの小野小町が三日三晩飲まず食わずに野垂れ死んだのが三十三。

とかく三という数字は、あやが悪い。

続いて負けちゃおう。

色が黒いか黒いが色か、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たない。

色は黒いが味見ておくれ、味は大和の吊るし柿。

色が黒くて貰い手がなけりゃ、山のカラスは後家ばかり。

と、こんな調子で台詞がリズミカルに進みます。

江戸の売り声

これらの啖呵の元は江戸の行商人の売り声から来ています。

寄席でもそれを売り物にしている芸人がいますね。

宮田章司師匠です

聞いたことがありますか。

彼は売り声の本も出しています。

岩波アクティブ新書『江戸の売り声』がそれです。

彼の師匠は大道芸の大家、坂野比呂志さん。

同じ浅草うまれというところから、自然に心が通じたんでしょうね。

病床の枕元に呼ばれて「俺がやってきたことを全部跡を継いでやってくれ」と頼まれました。

Photo by Norisa1

坂野さんの言葉を遺言ととらえ、それ以降、売り声を芸にして寄席に出ています。

飴売りや唐辛子売りなんかを聞いていると、時間が完全にワープしてしまいますね。

耳と身体に沁み込んでいる芸なのです。

口先だけじゃ面白くありません。

江戸弁で歯切れよく喋ってもらうだけで、嬉しくなります。

やっぱりこういう芸は江戸っ子の粋がみえないと、良さがでません。

大変に難しいものです。

泣き売のテクニック

ぼくが子供の頃に見た売り方の中で1番、すごいと思ったのはこれです。

なんと泣きながらものを売るというテクニック。

通称、なきばいといいます。

今の世の中には通用しない実に長閑で古典的な販売方法です。

買った方も詐欺だと叫ぶほどのことでもない。

ちょっとだけ許せちゃう売り方だといえるのかもしれません。

今の時代のような振り込め詐欺とは、全く質も規模も違います。

本当に昭和の時代のレトロ感覚に満ちた、ある意味笑っちゃうテクニックです。

見たことがありますか。

都会のビルの前でやるのが普通でした。

ぼくは新宿の伊勢丹の前で何度も見た記憶があります。

まだ子供でした。

とにかく感心して、眺め続けていたのを覚えています。

本当にうまいなあと思いました。

ざっとこんなテクニックです。

灰がついて濡れた万年筆を往来に広げています。

若い男が泣いているのです

そこに中年のおじさんが通りかかり、声をかけます。

もちろん、この2人は仲間同士です。

どうして、こんなところで泣いてるんだ?

工場が火事になって給料が貰えないんです。

病気の母親がいるので早急にお金が必要なんですけど、工場が火事になって焼け出されちゃって。

職場の人がこれを売ればいくらかにはなるだろうって、持たせてくれました。

これがそうなんです。

風呂敷の上には、いかにもそれらしい万年筆が山のようになっています。

きれいに磨けば、デパートでもかなりの値で売れるというんです。

おじさんは妙に親切です。

ハンカチでふいてみると、確かに立派なもののように見えます。

じゃあ、1本買ってあげよう。

その頃になると、たくさん人だかりができています。

損はしないし、人助けにもなるからな。

おじさんは独り言を何度も呟きます。

かつては人の心も荒れてはいなかったんですね。

同情心を煽って売り付ける詐欺商法です

こんな調子で次から次へと売れたんですね。

灰をかぶった万年筆がいかにも高そうに見えました。

ぼくはこの泣き売の口上が好きでした。

ひょっとしたら、この時の間が今の落語道楽に結びついているかもしれません。

間の勉強

新宿南口には競馬の乱数表を売っている人もいましたね。

今のオシャレなあの南口です。

頭にハチマキ代わりの手ぬぐい。

そこに1万円札を半分に折ったのを、何枚も挟みます

ここでこの乱数表を買えば、みんなこうなるぞというワケです。

この人たちの口上も見事でした。

いつも必ず聞き惚れました。

どうしても買いたくなるのです。

聞いていると、その粗末な冊子が黄金の宝に見えてきます。

あの地方競馬であてた万馬券がこれだといってみせてくれます。

この乱数表のこのページであてたんだ。

なるほど、確かにあたっています。

どういう仕組みなのかわかりませんけどね。

人間は欲に目がくらむと、何も見えなくなります。

これが結構売れるのです。

薄っぺらい冊子が1万円でした。

しかし彼らの口上は本当に勉強になりました。

独特の間が生きていました。

どこで学んだんでしょうね。

騙されて、それでも笑えるという範囲ですむ、いい時代の思い出話です。

そういえば放浪芸を集大成した、俳優小沢昭一のライフワークもありましたね。

『日本の放浪芸』です。

これは日本全国を自分の足で歩いた記録です。

その中には不思議な物売りの記録がたくさん残っています。

音源もいまとなっては貴重な資料です。

チャンスがあったら、ぜひ探してみてください。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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