【徹底比較】校則の緩さと偏差値が比例するというウワサは本当なの?

学び

校則って何?

みなさん、こんにちは。

40年間、高校で国語を教えてきたブロガーのすい喬です。

今回はちょっと気になった新聞記事があったので、そこから少し話題を広げていこうと思っています。

話題は2月下旬のこと。

舞台は世田谷区の公立中学。

卒業を目前にひかえた生徒たちの話です。

コロナウィルスの感染拡大で休校が続きました。

2月27日、木曜日の夜のことです。

明日から一斉休校になるから朝みんなで遊ぼうというSNSがあったそうです。

発信元は卒業を控えた中3の生徒です。

翌朝、生徒たちは校庭に集まり、最後のバレーボールなどをしました。

この学校にはほとんど校則がないのだとか。

チャイムも朝1回だけ。

制服は着ても着なくてもいい。

定期試験は廃止して日々の積み重ねテストに。

携帯電話、タブレットの持ち込みも可。

プログラミングや英語翻訳アプリなど、なんでもいいと思われることはまずやってみようというのが基本コンセプトです。

全国から視察団がやってくるそうです。

校長先生のお言葉。

形だけを真似してもダメです。

廊下にソファを置いたからといって学校がかわるワケじゃない。

本当にその生徒に必要なものやことを考えていかない限り、完成形はないのです。

世間ではこれが当たり前なんだからダメでは生徒に通用しません。

ピアスをつけることやお菓子を食べることが特別に悪いのではない。

アメリカだったらそんなこと通用しないでしょ。

スマホもタブレットも節度ある使い方を考えさせるのが教育です。

Wokandapix / Pixabay

人間としての普遍的な価値観以外のものにこだわる必要はありません。

どうしたら自然体でいられるのかを、教員も前例にとらわれずに考えていく姿勢が1番大切なんじゃないですか。

いいですね、こういうの。

幸せに学ぶには

偶然、この記事が校則にまつわるものだったので、なんとなくスイッチが入ってしまいました。

ぼく自身、今までに高校を8校、中学を3校、経験しています。

プロパーの時期が1番長くて38年くらいですが、非常勤講師もしています。

その間には生徒指導部長なども経験しました。

校内の規則に違反すると、ある程度の期間、自宅や学校で謹慎してもらいます

その伝達をするのも役目でした。

HOerwin56 / Pixabay

朝の8時、校長室で親子と顔をあわせ、どのような経緯で指導がなされるのかを説明します。

最後に校長先生から、指導の内容を告知してもらうのです。

もちろん、そこに至るまでに臨時職員会議を開きます。

生徒の事情聴取もしました。

数人にまたがる事案の場合は、それぞれ別の部屋で話を聞きます。

幸いなことに、生徒とコミュニケーションがとれずに指導に入ったということはありません。

それだけは今でもよかったなと思っています。

逆にいえば、理不尽な校則がない比較的緩やかな学校で、その役目を仰せつかったからできたのだと思います。

理屈にあわないとんでもない校則ばかりの学校だったら、どうなっていたか。

ちょっと想像できませんね。

それくらい、教員と生徒との関係はよかったです。

学校は勉強をするところです。

しかしそれ以上に人間関係の基本を学ぶところだと思います。

そうしたことがきちんとできていないところでの生徒指導は、地獄の作業に似ているのではないでしょうか。

偏差値と校則の関係

あらためて今まで勤めてきた学校のレベルと校則との関係をじっくり考えてみました。

よく言われていることですが、明らかに校則の緩さと偏差値とは比例しています。

よく学ぶ、いわゆる高偏差値の学校には、ほとんど校則がありません。

完全に自由だといっていいと思います。

先生方も、生徒を指導するというよりは、一緒に勉強をしていこうという姿勢の方が強いです。

着ているものや、髪型、色などを気にして注意している暇があったら、もっと自分を磨こうというスタンスです。

ある高校では決まっていたのが、ズボンとスカートくらいでしたかね。

あとはなんでもいいという感じでした。

もちろん、所定のブレザーもあります。

みんな気にいっているようでした。

ある意味ステータスなのです。

見る人がみれば、どこの学校がすぐにわかるものでした。

髪型も色も自由。

お化粧をしている生徒もかなりいました。

なにかルールがあったのかと考えてみたものの、ほとんど思いつきません。

それでいて全校集会などは時間通りに始まりました。

私語もなかったです。

メリハリがつけられる生徒ばかりでした。

だからなのか、進学実績もすぐれていましたね。

ぼくのクラスからも有名な大学へ多数入りました。

きっと好循環だったのではないでしょうか。

お互いを尊重しあっていました。

切磋琢磨と呼ぶにふさわしい関係だったと思います。

公立ですから先生もさまざまです。

人数も多かったです。

その多様な先生たちをうまくまとめあげたのが学校特有の文化、校風と呼ばれるものだったような気がします。

校則に疲れていく教師

教員も人間です。

ここまで厳しくやらなくてもいいだろうという考えも当然あるでしょう。

しかし厳しい校則を作らないと、学校がもたないという現実も一方にはあります。

一般的に偏差値が低いといわれる学校ではその傾向が強いです。

髪型も色もピアスも1度認めると、すぐにガタガタになって崩れていきます。

服装の乱れは心の乱れ。

合言葉の1つです。

よく聞く言葉です。

服装検査を朝、校門でやる学校もあります。

スカート丈が短いと校内に入れません。

再登校を命じられます。

最近では切らずに腰のところでくるくると丸め上げている生徒も多いようです。

公立高校は定員まで生徒を入学させます。

中学時代不登校や怠学で、成績が全くつかなかったような生徒でも、定員以内であれば入学させないワケにはいきません。

全て税金でまかなっているからです。

拒否はできないのです。

元々、学業についていけない生徒が多いです。

興味や関心が勉強に向いていません。

どうしても生活指導を厳しくしないと、日常生活がもたないのが実態です。

格差社会の横顔がここからも見て取れます。

生徒が妙に静かだなと思う時はたいていスマホをいじっていたり、寝ていたり。

親たちも子供の教育まで手が回らないのです。

学業途中で退学していく生徒も多いです。

出席日数が足りずに学校を去っていくというパターンが典型的ですね。

最近は登校していれば基本的に単位を出します。

もちろん追試などをしたり、試験の前に補習といって、試験と全く同じ問題を出す授業などをしているところもあります。

それでも学校に来ていればなんとかしてくれるのです。

高校は実質的に義務教育化しています。

それさえもかなわないとなると、後はもう面倒の見ようがありません。

学校は人生の縮図です。

その本質を早く知り抜いた人達は、なんとか手際よくそこをすり抜けようとします。

教師は毎日、そうした現実を見ています。

つらい日々が続いて、神経を病み休職していく先生もいます。

どこに解決への糸口があるのでしょうか。

学校間の格差があまりにもありすぎるのが実態なのです。

教員たちはどこから手をつけていいのか、見当もつきません。

貧富の差が学力にも大きな影を落としています。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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