微笑むブログ
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
毎日書いています。
半年で200記事書いて、いろいろなことがわかってきました。
やはり経験してみないとダメですね。
そのうちの1つがこれ。
きちんとした完成度の高い記事を書いたからといって、アクセス数が伸びるワケではないということです。
ぼくの話じゃありませんよ。
その間にたくさんの人のブログを読んだ感想です。
そんなもんかね。
そんなもんです。
つまりあまりに正装し、床の間の前にきちんと座っていられると、付き合う方はくたびれるのです。
もう少しくだけてほしい。
笑ってくれとは言いません。
せめて微笑んでいてほしいのです。
そうするとこちらもリラックスできます。
ブログも同じこと。
今は完成度の高い記事が多いです。
以前はちょこちょこと書いて、きれいな写真を貼ればそれで読者が来てくれました。
もうそんなに甘くはないです。
やはり知りたいことをきちんと正対して教えてくれるもの。
あるいは疲れた脳を休めてくれるものです。
だからといってくだらないものはダメ。
そこには正真正銘の知性がいるのです。
だから難しい。
完成品でなくてもかまいません。
なにか心に刺さる記事。
そうしたものを皆が求めているのではないでしょうか。
何が刺さるのか
どんなことが今の話題なのか。
それを毎日とことん追求しなくてはいけません。
だからといってトレンドばかりを追いかけていると、すぐにネタが古くなります。
去年はやったものが今年も引き続いてはやるという保証はないのです。
人の気分は移ろいやすいもの。
それを瞬時に捕まえる勘の良さが絶対に必要です。
そのためには新聞、雑誌、テレビは必需品ですね。
ありとあらゆるものをチェックしておかなくてはいけません。
数日前に読んだ新聞の記事に「スペックゼロ」を目指すというのがありました。
みんなくたびれているのです。
格付け社会が深く底まで染み渡っています。
明治維新から150年。
日本の社会も階層化が進んでいます。
どのくらいのスペックを自分が持っているのかを瞬時に計れる時代になりつつあります。
教育の機会をとってみてもそれは明らかです。
よほどのことがない限り逆転が難しくなりつつあります。
時代閉塞といえば、それまでのこと。
その間隙をぬって走ろうとするのがユーチューバーに代表される人達なのかもしれません。
ソーシャルメディアにはそのための仕掛けがいくつもあります。
同時に「きれい」を重ねることに疲れたという声も聞きます。
いいね疲れ
俗にいう「いいね疲れ」です。
格付けをされながら、自分のいいねの数をかぞえるのをもうやめませんかという記事でした。
これを自分の中におきかえてみましょう。
確かにアクセス数を増やそうとか、読者に喜んでもらおうとか。
ぼくもいろいろな邪念と戦いながら、ブログを書いています。
いいねを追求し続けると、当然引きこもりもあり得ます。
暮らしに疲れてしまうのです。
そうしたことの全てから降りるという決断をするとしたら、その後の生活はどうなるのか。
それを自分の想像力で書いてみるのも面白いと感じました。
最近のブログにそこまでのものはまだないようです。
むしろこうした分野は小説やエッセイの方が得意なのかもしれません。
しかしぼくは読者が潜在的に持っている不安や、疲労に向けて書き込むことは可能だと思います。
刺さるという表現は少し強過ぎるかもしれません。
しかし刺さらない記事をいくら書いても、アクセス数は伸びないのです。
というよりむしろ「ゆるふわ」路線を貫きながら、逆の意味で1番柔らかいところに突き刺さっていくという書き方もありうるのではないでしょうか。
堅いものに対する拒否。
一方ではゆるふわなものをもとめる競わない路線。
この中間で何が書けるのかを、考えつくすということに拘らなくてはいけません。
結構やってみると難しいです。
1番いいのはやはり失敗談でしょうか。
これは誰の共感をも得ます。
なんてバカなやつだと思いながら、やはりそこに愛着を覚えるのです。
昆虫はえらい
突然ですが、「昆虫すごいぜ」というNHK番組を見たことがありますか。
俳優の香川照之がカマキリのかぶりものを身につけて真剣に走り回る番組です。
以前のテレビならただ昆虫の生態をアップにして解説するだけのノンフィクション番組でおわるところでしょう。
そこに昆虫好きの俳優を配置し、縦横に走り回らせるという作りが面白いのです。
タガメを探して田んぼや川の中を這いずり回り、害虫駆除のための薬品が彼らを全滅寸前に追い込んでいることを知らせます。
そのエサであるトノサマガエルも今は絶滅危惧種になりつつあるのです。
全く知らなくてもいい。
しかし違う角度から切り込んでいくことで、別の表情をみせる。
多分これがこれからのブログの生き残る方向ではないでしょうか。
もうそれほどにたくさんあるとは思えません。
世界をなんのフィルターもなしに見ていく。
そして感じることを書いていく。
ある意味探検家の生活に似ているような気もします。
角幡唯介さんのような本当の冒険家の生活を、ぼくたちは日常の中で行わなければなりません。
その結果がアクセス数になって戻ってくるのではないでしょうか。
言葉は悪いですけど、日常の中を這いずり回る。
そこに可能性があると思います。
そういう視点から考えると、ブログはユニークな武器にもなります。
言葉遣いも必ずしも正統的なものでなくてもいいのかもしれません。
あまり多いとうるさいですけど、シャレがあってもいいでしょう。
むしろそこに人間性が垣間見えます。
刺さる内容を探すのは大変です。
日常に研ぎ澄まされた目を注ぎ続ける。
これがブロガーの役割なのではないでしょうか。
真の冒険家になれなかった者は別の場所を探検しなくてはなりません。
毎日の更新もその1つです。
この執着心が次のステップへの最大の武器かもしれません。
その風景が見えてくるまで、ブログをもう少し続けるつもりです。
最後までお読みいただきありがとうございました。