どうしたら書けるのか
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校教師、すい喬です。
お元気ですか。
勉強は順調に進んでいますか。
今回はどうしたら小論文が書けるようになるのかを考えます。
みなさんはもう何枚も書いてきましたよね。
そのたびに苦労したことでしょう。
課題文も読んだ。
ヒントも幾つか手に入れた。
さあ、書きだそうと思っても、なかなかそう簡単ではありません。
本当にどうやったら書けるようになるのか。
悩ましいですね。
参考書を見るとこういう風に書けというサンプルが幾つも載っています。
最初に結論を書き、それから順番に内容を説明していけばいい。
なるほど、その通りかもしれません。
「確かに」でまず課題文を肯定し、それから反対の論を持ってくるとうまく書ける。
なるほど、そういう手もあるでしょう。
しかし現実にやってみればわかりますが、そう簡単にはいきません。
先生達は毎日同じようなことをやっているエキスパートです。
しかし受験生はそれだけ勉強していればいいというワケではありません。
そんなに簡単に何を書いたらいいのかがわかれば、苦労はしないのです。
しかし現実は厳しいです。
悠長なことを言ってはいられません。
なんとかしなくては。
そこで今までにいろいろなアドバイスが言われています。
ちょっとここに揚げてみましょう。
4つの方法
政治、社会の問題に切り込む目を養うためには新聞が1番の材料になる。
2 日常の生活で観察眼を養う。
自分の周囲を冷静に見て取るということが大切である。
3 本を読む。
小説よりも論理的な組み立ての文章で書かれたものがよい。
岩波ジュニア新書を代表とする本を月に数冊ずつ読んで読解力を養う。
4 大学入試用の論説問題集を解く。
評論の中でも厳選して編集してあるので、骨太になることは間違いがない。
この4つの方法を勧めるというものです。
ぼくとしては、新聞を第1にあげたいところですが、実は入試の場合は少し状況が違います。
特に集中してやって欲しいのは入試用の論説問題です。
どの大学でも必ず小説と論説の2問は出題されます。
その他にさらに同じような評論がもう1題か2題といったところでしょう。
入試の基本は論理です。
論説が読み解ければ、合格は間違いありません。
しかしこれが難問揃いなのです。
哲学、文化人類学、社会評論、言語論、心理学、法学、経済学…。
もちろん、入試の問題です。
1冊の本をよむというワケではありません。
当然その字数は少ないのです。
しかしだからこそ、エッセンスが出ます。
その本の中で筆者が1番強調したいところが出題されるのです。
それもなかなか読み取りにくい厄介な文脈のところです。
これを重ねて練習していくことは、文章の読み取りの奥義を学ぶことに繋がります。
問題文を書いた筆者が、読者をどう納得させればいいのかに1番苦心したところが出題されるワケです。
だからこそ、挑戦する意味があります。
現代文の勉強
評論文の問題を解いていると、まず語彙が豊かになります。
時事的な用語だけでなく、哲学や文化などに共通の表現を身につけることができるのです。
というより、これらの知識がなければ、問題が解けません。
全く歯が立たないのです。
どうしてもその言葉の背景を理解せざるを得ないということになります。
これが大きな勉強の基礎になるのです。
さらに幾つもの似た解答候補の中から、これが正解だというのを選ぶ場合、偽の論理に騙されないための読み方を会得できます。
これがわからないと、いつも誤ったものにマークして得点ができないということになります。
それを避けるには、筆者の文脈に沿いながら、自分の観点をつねに構築するという訓練をしなくてはなりません。
それが国語の入試問題にも役立ち、さらに小論文の書き方を確かなものにするのです。
考えようによっては一挙両得ともいえます。
解説の詳しい問題集を手にしてください。
ただ解答が書いてあるようなのはダメです。
なぜこれが答えになるのかということを、論理的に追い詰め解説してくれている問題集がベストです。
なるべく多くの問題に触れてください。
大学の過去問でもかまいませんが、解答が簡単に示されているだけのものもあるので、要注意です。
とにかく首尾一貫したものの捉え方を、問題とともに学んでください。
必ず小論文を書く時に役に立ちます。
何を書いたらいいのかわからなくなったら、過去にやったことのある問題を思い出してください。
あの文章の中にあった一節はここで述べていることと同じだとか、全く正反対だとか比べることも可能です。
記憶をつねに新しく
自分が解いた問題を、きちんと把握しておくことも大切です。
問題集には何も書き込まず、必ず別の用紙に書いてください。
その時の解法の道筋を忘れないこと。
これが次の問題へのステップになります。
ある程度問題数をこなしたら、最後のステップは書くことです。
これはいくら上手な人のそばで見ていても、楽器を弾けるようにはならないのと同じです。
自分でやってみなくてはいけません。
ぼくがこのブログを書き出してから半年が過ぎました。
最初は随分と時間がかかったものです。
しかし今では、当時の半分もかかりません。
どのようにしたら文章が書けるのかということを考えるより前に、言葉が飛び出してきます。
練習を積むということはそういうことなのです。
とにかく始めてください。
そうすれば必ず臨界点を超える時がきます。
自分はここまで考えていたのかと驚くこともあります。
それが文章上達の秘訣です。
試みてください。
常にものを考え、認識するという作業の連続です。
逆にいえば、難しいことを訊かれ、それに対してはじめて考えたことでも、意外に自分が過去に考えていたことと繋がったりもします。
どこかで低音が響き合っているということもあるのです。
文章の基本はもちろん押さえておかなくてはいけません。
しかしそれも練習です。
場数を踏むことで怖れも減ります。
自然体で行動することができるようになるのです。
是非頑張って論説文を解いてください。
難しいですよ。
それは覚悟の上です。
吉報をお待ちしています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。