藤沢周平の時代小説・蝉しぐれに人の世の不条理を教えられた

時代小説の代表

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今までに随分多くの時代小説を読んできました。

山本周五郎、司馬遼太郎を筆頭に、乙川優三郎、池波正太郎まで…。

現代の小説に疲れた時は、やはり時代小説でしたね。

随分と元気をもらいました。

『竜馬がゆく』なんて文庫本で8冊もあるのに、むさぼり読みましたからね。

吉川英治の『宮本武蔵』『新書太閤記』も大好きです。

それぞれに思い出がたくさんあります。

もちろん、池波正太郎の『鬼平犯科帳』には随分と助けられました。

なにかモヤモヤとして、気分がすぐれない時は、この作家の小説が一番の薬だったような気がします。

ところで心に残る作品となると、また少し様相が違ってきます。

どうしても忘れられない時代劇を1つだけあげろ。

無人島へ持っていく時代小説は何かと言われたら、やはり藤沢周平の『蝉しぐれ』以外にはありません。

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なぜなのか。

理由は自分にもよくわからないのです。

しかしこの作品を読んでいると、人の世の哀しみがいやというほど伝わってきます。

生徒にも随分勧めました。

時代小説は刀を振り回して戦うもんじゃないぞ。

読むと、心が自ずと静まり、やがて爽やかになり、そして悲しくなる。

そういう作品が一番いいんだ。

ぼくのいうことを信じて、この小説を読んだ生徒達は、みなよくぞ勧めてくれたと感謝してくれました。

目が見開かれたということなのかもしれません。

何にか。

人の世というものは決して単純なものではない
どんなに我慢しても道がひらけないこともある

不条理に満ちたものである

しかしそれでも人は生まれたら、生きていかなければならないというのが宿命なのでしょうか。

正確にいうと、悲しいのではなく哀しいのです。

人は哀しきという言葉がまさにこれほどに似合う小説は他にありません。

藤沢周平という作家

一度、藤沢周平記念館を訪ねてみてください。

鶴岡市出身の藤沢周平の作品を味わうにはここから始めるのがいいと思います。

場所は山形県鶴岡市。

鶴岡公園の中にあります。

いいところです。

彼の作品の背景となった湯田川温泉にも近いです。

一言でいえば、この作家は我慢の人だったのではないでしょうか。

ひどい吃音に悩まされ、定時制高校を卒業するため、印刷会社や村役場書記補として働きました。

1946年に中学校を卒業後、山形師範学校へ進み、勉学を続けます。

1949年、山形師範学校を卒業後、湯田川村立湯田川中学校へ国語と社会の教師として赴任。

しかし集団検診で肺結核が発見され休職を余儀なくされます。

当時師範学校を出た先生はそれほど多くなく、大きな期待をかけられていたのです。

しかしそれもあえなく夢となりました。

東京の病院で手術を受け、その後業界紙の記者に転職。

やっと生活のメドがたったのもつかの間、妻が癌により急死。

まだ28歳でした。

この頃の暗い虚無感が後年の藤沢周平を作り出したに違いありません。

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妻の死は彼の人生観に大きな影響を与えています。

一言でいえば、我慢です。

それも後ろ向きのやるせない我慢の連続です。

作品を読むと、その頃の生活の影がこれでもかというくらい出てきます。

その後再婚。

1971年『溟い海』でオール讀物新人賞受賞
1972年『暗殺の年輪』で第69回直木賞受賞

暗い作風は彼の実人生の点描のようなものかもしれません。

しかしいつもそれだけだったというわけではありません。

『用心棒日月抄』『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』などには独特のユーモアもあります。

陰々滅々とした筆致ではありません。

そのあたりがこの作家の魅力にも繋がっているのではないでしょうか。

蝉しぐれのあらすじ

主人公は牧文四郎。

舞台は海坂藩。

親友の二人と友情をはぐくみながら、隣家の娘ふくに淡い恋心を抱いています。

ところが権謀術数の渦巻く中、父助左衛門が世継ぎの政争にまきこまれ切腹を命じられます。

残された文四郎は家禄を減らされ、長屋に移らなくてはならなくなりました。

当然、生活は苦しくなり、世間の目も冷たくなります。

一方ふくは藩主の正室に奉公するため江戸へ向かいます。

ふくの気持ちが文四郎にあっただけに、この別れの情景は実にせつないです

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罪人の子になった文四郎は剣術修行に全ての感情をたたきつけます。

その結果、道場師範の秘剣村雨を伝授されました。

その頃、ふくに藩主の手がつきます。

側室お福の誕生です。

そして流産。

ふくは藩主の寵愛も失います。

ここから話の展開が一気に進みます。

父親に切腹を命じた家老の里村は家禄を元に戻す代償として、郊外の欅御殿に潜むふくの息子を里村の屋敷に連れてくるようにとの密命を授けます。

ふくは藩主の寵愛を失って暇を出されたはずでした。

ところがそれは偽装工作であり、ふくは藩主の子をしっかり宿し出産していたのです。

罠だと気づいた文四郎は、欅御殿を訪れ、ふくに説明して稲垣派と対立する横山家老の屋敷に逃げる算段を計るのです。

しかし稲垣派の襲撃隊がやってきます。

文四郎はふく親子と共に横山家老の屋敷に向かいます。

夜、船を出して暗い中を滑るように走る脱出の様子はまさに手に汗を握るところです。

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ふくへの愛情を全て殺し、藩の正義のために文四郎は戦うのです。

藩政の実権が再び元に戻ることになりました。

父助左衛門の名誉は回復され、文四郎には30石が加増されます。

それから20数年後、ふくを寵愛した藩主が亡くなって1年近くたったある日のことです。

助左衛門の名を受けつぎ郡奉行となっていた文四郎に、突然ふくからの呼び出しがありました。

懐かしく言葉を交わした後、二人はついに思いを遂げるのです。

ここでの2人の感情を想像するだけで、言葉にはなりません。

多くを語らないだけに、かえって饒舌なのです。

この後ふくは出家をします。

文四郎は複雑な感情を抱きながら、蝉しぐれの降る中、一心に馬に鞭を入れるのでした。

テレビ映画舞台

この作品はあまりにもすばらしいので、テレビ、映画、舞台にもなりました。

一番よかったのは2003年にNHK全7回で放送されたものです。

牧文四郎役に内野聖陽、ふく役の水野真紀が美しかったです。

第44回モンテカルロ・テレビ祭ゴールドニンフ賞、第30回放送文化基金賞本賞ほか、多くの賞を受賞しました。

ぼくは映画も見ましたが、テレビの出来にはかなわないと思います。

エンタテイメント性が十分にありながら、そこに日本人古来の美徳が読み込めます。

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どちらかといえば、儒教に根をおいた武士の論理が基本です。

しかしそれだけではない普遍的な人間の徳が、この作品にはちりばめられています。

藤沢周平の文章は実に切なく、美しいのです。

そのリズムを知ってしまうと、なんともいえない感情を覚えます。

最初のシーンでふくが川に近づいた時、蛇に噛まれるところがあります。

すぐに文四郎がそばへより、口をつけて、毒を吸い出します。

その場面の持つ迫力は冒頭部分に出てくるだけに、印象的です。

あるいは遺体となった父を大八車で引く時、後ろからふくが押すシーンもあります。

坂道を汗みずくになって後ろから押すふくの姿に、愛情の持つ柔らかさと強さを感じます。

このシーンも実に印象深いところです。

2002年、この小説は光村図書発行の中学3年生用国語教科書に採用されました。

機会があったら、是非NHKで放送された「蝉しぐれ」をみて欲しいです。

また小説を一度読んだ方も再読していただきたい。

それだけの魅力に富んだ作品です。

これだけ我慢しなければ、生きていけないのが人生だとしたら、あまりにもつらすぎるというのが、ぼくの偽らざる実感です

しかしここに示されたことが多くのサラリーマンに受け入れられたということは、企業社会の持つ理不尽さにも通じているのではないかと思うのです。

利益優先のため、白いものを黒だと自らに言い聞かせて生きていくということも当然あるに違いありません。

再読に耐える作品です。

作家藤沢周平は1997年に69歳で亡くなりました。

架空の藩、海坂藩とはどこのことだったのでしょうか。

これも永遠の謎です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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