「戴表元・詩論」よく詩を作ることとよく弓を射ることの共通点は

詩作の極意

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科講師、すい喬です。

今回は詩を書くことの極意について考えてみます。

詩人たちはどのようにして、その能力を磨いてきたのでしょうか。

そこに秘密があるとすれば、それはなんなのか。

『剡源集』(えんげんしゅう)という詩論を書いた戴表元(1244~1310)(たいひょうげん)という人の文章を読みます。

彼は元の浙江省に生まれました。

博学でその文章は非常に趣深いものとして知られています。

この詩論の内容は「まず詩を知る者は言ふ能はずと為すなり」という結論に集約できます。

つまり、口に出して説明しきれないというのです。

それくらいのことならば、誰でも承知しているなどと軽く言ってはなりません。

長い間、詩作にいそしんできた詩人が、最後にたどり着いた境地がこれだったのです。

それだけに味読し、その真意を知ることに大きな意味があると考えられます。

全体として詩は技術ではなく、心の成熟から自然に生まれるものという考えが貫かれているのです。

なぜそのような心境にいたったのか、本文を読んでみましょう。

本文

余、五歳より詩を家庭に受け、是に於いて四十有三年なり。

詩の時事・憂楽・険易・老稚・疾徐の変に於いて、其の概を知らずと謂ふべからず。

然れども言ふ能はざるなり。

夫れ言ふ能はずして、何を以つて詩を知ると為すや。

曰く、心を以て之を知るのみ。

心に得て、口に言ふ能はず、言ひ得て、必ずしも心に得ざる者あり。

是を以て、詩は教ふべからずして、自ら悟るべきものなり。

蓋(けだ)し詩は情より生じ、情は物に感じて動く。

感ずること浅ければ、則ち辞も亦(ま)た浅く、感ずること深ければ、則ち辞も亦た深し。

故に力を以て工を為すべからず、意を以て巧を求むべからず。

譬(たと)へば射のごとし。

的(まと)に中(あた)らんと欲すれば、ただ心を正しくして、日々射るのみ。

夫(そ)れ詩を学ぶも、亦た猶ほ是のごときなり。

現代語訳

私は五歳のころから家庭で詩を学び始め、そこから数えて四十三年になりました。

詩が時代や出来事、喜びや悲しみ、難しさや易しさ、老いと若さ、速さや緩やかさによって変化することについて、その大体を知らないとは言えません。

しかし、それを言葉で説明することはできないのです。

では、言葉で説明できないのに、何をもって詩を理解すると言えるのでしょうか。

それは、心で理解するほかないのです。

心では分かっていても、口では言い表せないことがあり、言葉では言えても、必ずしも心で本当に分かっているとは限らない人もいます。

だからこそ、詩は人から教えられるものではなく、自分自身で悟るべきものなのです。

そもそも詩というものは、心の情から生まれてきます。

その情は、外の物事に触れて感じ、動かされることで起こるのです。

感じ方が浅ければ、言葉もまた浅くなり、感じ方が深ければ、言葉もまた深くなります。

だから、力ずくで技巧を作り出そうとしてはいけないし、考えで巧みさを求めてはなりません。

たとえば弓を射ることと同じなのです。

的に当てようと思うなら、ただ心を正しく保ち、毎日射続けるだけでいいでしょう。

詩を学ぶことも、まさにこれと同じ理屈なのです。

筆者の考え

戴表元はけっして難しいことを言ってはいません。

誰でもが通り過ぎてしまうような言葉ばかりがそこにはあります。

彼の主張は次の通りです。

長年の経験によって詩の変化は理解しているけれど、それは言葉では説明できないものだ。

詩は心で悟るものであり、教え込めるものではない。

情が物に感じて自然に動いたとき、詩は作為なく生まれてくる。

「詩は教ふべからずして、自ら悟るべきものなり」と「其の自然に任すのみ」という表現がまさにそれにあたりますね。

この考え方は日本人の随筆家などの文章とも対応しています。

よく言われるのが鴨長明や松尾芭蕉の考え方との比較です。

まで必要でしたら、続けてどう進めるかお知らせください。

「心を以て之を知るのみ」は理屈ではなく、体験と内面で分かるものという意味です。

「日々射るのみ」は 結果を狙わず、正しい姿勢で日々積み重ねることを弓の稽古の話を通じて論じたものです。

技巧を狙っても的にあたることはありません。

心を正し、日々研鑽を積むことが大切だと結論づけています。

鴨長明や松尾芭蕉の生き方に通じるものを感じませんか。

思想を前面に出すのではなく、その折々に感じたことをごく自然に軽くおおらかに書いていった文章のなかに、真の味わいが読み取れるのです。

人生の深淵を見たということになるのでしょうか。

結論の美しさ

戴表元の結論は「教えられない」「狙って作れない」ということに尽きます。

すばらしい詩をつくるための秘訣を誰もが知りたがったに違いありません。

しかしそれを直接学ぶことは無理でした。

その代わりに彼が口にしたことは一つです。

「日々の積み重ね」は裏切らないということです。

その譬えにつかったのが弓の修行でした。

技巧を狙うのではなく、心を正し、日々積むことが大切であるということです。

老境に至った詩人の静かな確信が表れた結論です。

特別な秘訣や近道はなく、継続が大切だということです。

しかしこれはただ努力を続ければいいという素朴な考え方なのでしょうか。

少し違いますね。

「心を正しくして」とあります。

心を整えた状態で成果を狙わず作為を捨てて毎日向き合うことを意味します。

技巧や表現にばかり意を砕いたのでは、真実から遠ざかっていきます。

松尾芭蕉はかつて「不易流行」という言葉を使いました。

技巧を求めず、古きを離れない。

自然に任せるのです。

流行を知らざれば、風新たならずとも主張しています。

技巧を否定し、心や生の成熟から自然に生まれる表現を重んじているという意味では、この三人に共通する考えは多くあるのではないでしょうか。

ぜひ、じっくりと考えてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました