恋の歌を読む
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
恋の歌というのは永遠ですね。
人は他者を愛すると、言葉を紡ぎだしたくなる生き物のようです。
古来からたくさんの人が相聞歌をつくり続けてきました。
相聞歌とは男女の恋愛をうたったもののことです
そうした歌にはどのような感情が流れているのか。
それを探ろうとしたのが、このエッセイです。
内容は平易で分かりやすく、理解するのに困難は伴いません。
高校1~2年で習う教材です。
筆者の歌人、俵万智さんは『サラダ記念日』で一世を風靡しました。
『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
どこかで見たり聞いたりしたことがあると思います。
若者に特有な柔軟性と清らかな歌いぶりが、多くの人の共感を得ました。
その後、彼女は『チョコレート革命』『恋する伊勢物語』など、たくさんの作品を発表しています。
今回のエッセイは短歌というものの本質を、深堀りしようとしたものです。
多くの和歌を取り上げていますが、特に気になったのが、与謝野晶子の『白桜集』についての記述です。
晶子の歌集といえば、圧倒的に『みだれ髪』が有名です。
しかし筆者は夫である鉄幹が亡くなった後に編まれた晶子の遺歌集が気になるというのです。
通常ならば、夫の死後に書かれたものは挽歌にあたるのだろうと考えがちです。
ところがそのほとんどが恋の歌だという驚きが、ごくストレートにまとめられています。
人の心というのは、簡単には推し量れないものですね。
ポイントになる文章の一部分を、ここに抜き書きします。
添えられた短歌も、同時に味わってみてください。
本文
近代短歌で恋の歌と言うとやはりまず思い起こされるのは与謝野晶子だろう。
若き日の鉄幹との激しい恋は、第一歌集『みだれ髪』に余すところなく表現されている。
が、ここでは、最初の歌集ではなく最後の歌集の歌を取り上げたい。
平野万里によって編集された晶子の遺歌集『白桜集』である。
鉄幹を亡くした後の心情を歌った作品が数多く収められており、私は『みだれ髪』の作品群よりも、こちらの方に心が惹かれる。
鉄幹は2人が結ばれた頃が最盛期で、後は世間的には不遇の時代が続いた。
客観的に見れば、妻の晶子のほうが、よっぽど活躍している。
現代のキャリアウーマンだったら、離婚してしまうのではないだろうか、とさえ思われる状況だ。
しかし二人は5男6女をもうけ、結婚後30年以上(多少の波乱はあったものの)うまくやってきた。
そして、鉄幹の死を詠んだ晶子の歌を読むと、ほとんどが挽歌というよりは、恋の歌なのである。
このことにまず感動させられる。
60歳近くになってなお、晶子は鉄幹に惚れているのだ。
青空のもとに楓のひろがりて君亡き夏の初まれるかな
君がいなくなっても、去年と同じように夏がやってくる。
もちろん来年もまた同じように。
季節は、君がいないことなど、まるで気がつかないように繰り返すつもりなのだろう。
けれど私にとってそれは、ただの夏ではない。
これからは永遠に「君亡き」という限定つきの夏なのだ。
この歌を読んでいると、夏は一つの具体例に過ぎないのだ、と思われる。
晶子にとっては、君亡き春、君亡き夏、君亡き秋、君亡き冬が淡々とめぐり、君亡き一年が終わる。
それは君亡き今日、君亡き今の積み重ねなのだ、とも言えるだろう。
封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文
かつて鉄幹からもらった恋文だろう。
懐かしいその封筒を開くとき、ふと彼が歩み寄る気配を思い出す。
和泉式部が黒髪を乱し、うち臥したとき、ふとその髪をかき撫でられた感触を思い出した瞬間。
それと通じるものがあるように、私には思われる。
歌人・与謝野晶子
遺歌集である『白桜集』にスポットをあてたところが斬新ですね。
それを挽歌ではなく、恋の歌だと言い切っています。
与謝野晶子のイメージはどのようなものでしょうか。
授業で扱う歌は割合におとなしいものの方が多いような気がします。
教科書に所収されているのは次のようなものです。
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
意味
その娘は今まさに二十歳です。
櫛で梳けば流れるように豊かな髪は、周囲からはおごり高ぶっているかのようにも見えます。
しかし自信に満ちた青春そのものであり、とても美しく輝かしいものなのです。
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき
意味
清水の方へ行こうとして祇園を通り過ぎると、桜が咲き誇る朧月夜でした。
今夜すれちがう人々は、誰もみな自信に満ちて、美しく見えますね。
この2作は必ずどの教科書にも載っています。
しかしあまりに情熱的な作品はさすがに教科書には載せづらいようです。
もっとも有名なのは次の歌です。
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
意味
この私の柔らかい肌の熱い血に触れてもみないで、あなたはそれで平気なのですか。
さびしくはないのですか。
人の道をいくら私に説こうとしても、それは無駄というものですよ。
歌集『みだれ髪』が刊行されたのは1901年のことです。
この時代にこれだけ激しい恋の歌をつくり、発表したということに驚かされます。
さらに日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』も有名ですね。
旅順攻撃の戦闘に加わっていた弟を思って書いた詩です。
1度くらいはどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。
反戦詩としてもこれだけのものはありません。
最初の連をご紹介しましょう。
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末(すゑ)に生れし君なれば
親のなさけは勝(まさ)りしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。
少し読むだけで、魂の激しい人だったことがよくわかります。
その他『源氏物語』の現代語訳でも知られています。
現在では青空文庫で読むことができます。
ぜひ覗いてみてください。
31文字の世界
女性の地位が低かった時代です。
溢れるような自我や性愛を表現するなどいうことが許される時代ではありませんでした。
当然、彼女より前の歌壇で活躍していた人たちは、眉をひそめたに違いありません。
しかし多くの人は熱狂的に晶子を受け入れました。
鉄幹との恋愛も広く信任されたのです。
それだけに『白桜集』の歌は胸に響きますね。
ここまで夫である人を愛し続けていたのかという事実に驚かされもします。
君亡き春から冬までの長い年月を、彼女はどのように過ごしたのか。
それを知るためのよすがが、まさにこの歌集なのです。
わずかな言葉の連なりのなかに、自分の思いをすべて封じ込める。
歌の持つ濃密な世界の意味をあらためて、考えてしまいます。
わずか31文字の世界ですが、まったく同じ言葉の組み合わせで詠まれた歌というのはないそうです。
本当に驚くべきことです。
相聞歌は万葉の時代から延々と続いてきました。
今もその力は衰えることを知らないのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。