落語は全て口伝
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家でブロガーのすい喬です。
今まで落語に台本があると思ってましたか。
実はないんです。
落語は全て口伝です。
正確にいえば、誰が喋ったという速記録はあります。
しかしそれはあくまでも、落語家個人のもの。
これが絶対というものではないのです。
このあたりが、落語の持つ力の源なのかもしれません。
かつては三遍稽古といって、師匠に三度同じ話をしてもらい、その後、すぐに目の前で同じ噺を聞いてもらってなおしたそうです。
一日目に大体の概要をつかみ、二日目に細かいところに耳をすませ、三日目によくわからなかった点をチェックして「出来上がり」となります。
師匠が許可しない限り、人前で話すことは許されません。
これをアゲと呼んでいます。
つまり許可をうけるための口頭試験のようなものでしょうか。
とにかくものすごい記憶力が必要ですね。
火事場の馬鹿力かな。
覚えなければ高座にあがれません。
何がなんでも必死に暗記するのです。
師匠の立場からみれば、自分の持っている噺を無料ですべて弟子に譲るのです。
これも落語の発展のため。
自分もそうして師匠から教わってきたというわけです。
古典芸能の中でも、特異な命を保っている秘密がこのあたりにあるのかもしれません。
では落語たちは今、どうしているんでしょうか。
最良の方法は、とにかく書き写すことです。
DVDやCDの音源をスマホなどに録音し、それを喫茶店の隅などで、ただひたすら書き起こす。
これが一番のやり方です。
ただし初心者はまず聞く方がいいかな。
楽しむのが一番ですからね。
そんなにくたびれることまでわざわざやる必要はありません。
それはずっと先の話です。
とりあえずは聞き書きを本にしてくれたものを、手にとってみるのも一つの手かな。
電車の中で読むのにうってつけです。
小説を読むより、ずっと心あたたまる時間を持てますよ。
ちょっと本屋さんを覗いてみてください。
速記録の本
噺家の速記録はかなり出版されています。
たくさんの熱いファンがいるんですね。
五代目柳家小さん
古今亭志ん生
古今亭志ん朝
三遊亭円生
この5人の本は定番中の定番です。
その他に角川文庫、ちくま文庫、講談社学術文庫からも速記録が出ています。
ちなみに寄席で一番よくかかる「子ほめ」の聞き書きを載せておきます。
噺家によって細かいところはかなり違います。
その差を味わうというのも楽しみの一つになるのではないでしょうか。
子ほめその1
「こんちは、隠居いるかい。タダの酒があるんだって。飲ませろーい」
「なんだい藪から棒に、タダの酒ってのは。あぁ、八っつぁんか。何だいタダの酒ってのは」
「へ、ネタは上がってんだ。グズグズ言うないシミッタレ。表でタツ公に聞いたんだ。隠居のところに、タダの酒があるから好きなだけ飲んできていいって。」
「お前くらい無礼な奴もいないね。何だいタダタダってさっきから。うちにあるのは灘の酒だよ。上方に親戚が居てな。毎年蔵出しの時には送ってくれるんだ。」
「へぇ、そうかい。あっしはてっきりタダの酒だと思ったよ。へへ、僅かな違ぇだ、灘とタダ…、飲ませろ、しみったれ」
「飲ませないとは言わないが、口のきき方ってのがあるだろう。
人様の家で酒の一杯でもご馳走になろうってんなら世辞の一つでも言ったらどうだい」
「世辞ぃ? そりゃあなんだ」
「呆れたね。世辞も知らないのか。相手をもちゃげるんだよ」
「おれは力もねえし」
「そうじゃない、口で持ちゃげるんだ」
「くわえて」
「わかんない奴だな。相手をほめるんだ、いい心持ちにさせるんだよ」
「あたしを褒めるのが照れくさいなら家でも褒めたらいいじゃあないか。
いつ来てもお部屋の掃除が行き届いております、壁の掛け軸は大層立派でございます、くらいのこ
とを言ってみろ。
相手はいい気分になるだろ。それじゃあ、一杯ってな話にもなる。」
「あぁそうか。そういやぁいいんだな。わけないよ。隠居のとこは、いつ来ても取り繕ったように
キレイだね。掛け軸は安くないよ、おごってんね、シミッタレのくせに。
……どうだ、飲ませるか。」
「そう簡単にその気になるかよ。お前は口の利き方がぞんざいでいけないな。
例えば久々に往来で知った方なんかと会ったとしよう。
なんてぇ挨拶をするんだい?」
「久しぶりだろ? 決まってらぁな。『この野郎生きてやがったな』てなことをいうよ」
「あきれたね。相手はなんて言うんだい」
「てめぇより先にくたばるかよ、なんて言ってくるね」
「ますます呆れた。仲間内じゃあいいかもしれないが、こういうことを人様に言ってはいけない。
そういうときは、『しばらくお目にかかりませんでしたがどちらかへおいででしたか。』
向こうで持って商用で上方へとでもおっしゃったら『道理で大層お顔の色がお黒くなりました。
でもご安心なさい。あなたなんぞは元がお白いのだ。故郷の水で洗えばすぐに元通りお白くなりますとな」
「そんなこと言ったら、酒を飲ませてくれるの」
「そりゃそうだ、顔の色が黒くなったということは、それだけ働いて主の信用も厚くなったということだろ。めでたいじゃないか」
「へぇ、そういえば一杯おごるってか」
「まぁおごるね」
「奢らなかったら隠居が立て替えるかい?」
「立て替えやしないが、そういう時は奥の手を出すんだ」
「奥の手? 股ぐらから」
「そうじゃあない。年を聞くんだ。失礼ですがあなたはお幾つでいらっしゃいますか、と。
仮に向こうで四十五なんてことを言えば『四十五にしては大層お若く見えます。どう見ても厄そこそこ』と言えばいい。」
「なんでぇその厄ってのは」
「男の大厄は四十二だ」
「へぇ、それで一杯ありつけるってぇのか。」
「人間若く言われれば、悪い気はしないだろうね」
「でも、四十五じゃなかったら弱っちまうね。五十だったらどうするの?」
「五十だったら四十五、六とでもいえばいい」
「六十だったら?」「五十五、六だ」
「七十だったら?」「六十五、六だ」
「八十だったら?」「七十五、六だよ」
「九十だったら?」「八十五、六だよ」
「じゃあ百だったら?」
「そんな年の人が往来をぴょこたんぴょこたんと歩いちゃいないだろ」
「なるほどね、あ、ついでに聞きてぇんですがね、子どもをほめる時はどう言えばいいの?」
「どうしたんだい、藪から棒に」
「いや実はね、あっしの長屋の竹のところにね、赤ん坊がうまれちゃってね。
付き合いだとか何とかで、五十銭取られちまったんだよ。
悔しいからいつか元をとってやろうと思ってたんだけどね」
「そうかい、あたしゃ、その竹さんっていう方を存じあげないが、子供をほめるのは難しいよ。
そういう時は、『このお子さんはあなたのお子さんでございますか。たいそう福々しゅうございます。
亡くなったおじいさんに似てご長命の相がございます。
栴檀は双葉より芳しく、蛇は寸にしてその気をあらわすと申します。
私もこういうお子さんに、あやかりたいあやかりたい』」
「へー、それいっぺんにいうの」
「そうだ」
「じゃあ、それやってみるかな。どうもありがとうよ」
「おいおい、ばあさんが一杯ついだから飲んでいきなよ」
「いいよ、あっちでダメだったら、またゴチになるからさ。忘れねえうちに、やってくるよ。さいなら」
「へぇ、ありがてぇありがてぇ。あの隠居はへんなこと知ってるなあ。
人間何かしら取り柄ってのはあるんだなぁ。
おっ、あっちからおあつらえ向きの黒いのが来るよ。こんちは! こんちは!」
「はい……こんちは」
「しばらくお目に掛かりませんでしたが、どちらかへおいででしたか?」
「失礼ですけども、貴方様はどちら?」
「え?知らないよ?……お前さんどちら?」
「こっちが聞きたいよ。
」
「色が黒いね。」
「大きなお世話だい!」
「あぁ、行っちゃったよ、ああ、丸っきり知らねえヤツはダメなんだなあ、知ってるヤツは来ねえかなあ。
あっ、来た、案ずるより産むが易しってのはこのことだなぁ。
伊勢屋の番頭さん、おーい!番頭さーん」
「いよー、これはこれは町内の色男!」
「あれ。向こうのほうが上手いね。こっちでご馳走しなきゃならねぇかな?……しばらくお見えにな
りませんでしたが、どちらかへおいででしたか?」
「夕べ湯屋で会ったよ」
「そうかい。それから、ずっとしばらくご無沙汰で」
「今朝,煙草屋で会ったよ」
「よく会うねえ,じゃ,その前にしばらくってことがあったね。」
「ああ,商用で上方へね。」
「おっ!おあつらえ向き! 道理でたいそう・・・お顔の色がお黒くなりまして」
「おまえさん、世辞がうまくなったね。そんなに黒いかい?」
「黒い、くろい。真っ黒。どっちが前だか後ろだかわからないよ」
「おい、やだよ」
「ご安心なさい、貴方なんかは元々……黒いんだから、故郷の水で洗えばもっと黒くなる。……どうでえ,一杯おごるか」
「おごらないよ、そんなこと言われて」
「おごらない? おごらないの。
いいよ、こっちには奥の手ってえのがあるんだから。
失礼ですが番頭さんはおいくつ?」
「よせよ。どうも、往来の真ん中で歳を聞かれると、もうダメだよ」
「ダメ? 年がない?」
「あるよ。これだけだ」
「四つか」
「四つだってよ、ずっと上だ」
「四百!」
「その間だ」
「四十だよ。」
「四十!そうでしょう。四十にしちゃあたいそうお若く見える。
どうみても厄そこそ・・・ありゃ、どうにも具合が悪いね。
四十五より上を仕入れて来ちゃったからねぇ。都合が悪いよ。」
「どうして」
「番頭さん、すまねえけど今だけ四十五になってくれ」
「あたしゃ、四十だよ。」
「わかってるって。分かってる。それをすべて飲み込んだ上で、言ってるんだ。ちょっとだけ、番頭さん、四十五になってくださいよ。」
「そうかい、じゃあまあ四十五だ」
「四十五にしちゃあ、たいそうお若く見えます」
「あたりまえじゃないか、四十なんだから」
「そうじゃなくて、幾つにみえるって聞いてよ」
「あっそう。じゃあ、幾つにみえる」
「どう見ても厄そこそこだ」
「ばか、あたしゃ四十だよ。二つ多いよ。何言ってるんだい!」
「……なんだい。怒っていっちゃったよ。大人はどうも人の話を聞かなくて困るな。
もういいや、竹のところいって、子どもほめちゃおう。こんちは!」
子ほめその2
「なんだよ、また厄介なのが来たよ」
「おう、てめぇのとこじゃ、子供が生まれて弱ってんだってな」
「うちは子どもが生まれて祝ってんだよ。」
「ああ,そうか。弱ってんのは俺の方だ。五十銭取られて。」
「おめえ何しに来たんだ」
「あの、赤ん坊をほめに来た」
「赤ん坊をほめに来たんなら、そこで何か言ってねえで、上がれよ、こっち奥に寝てるから、見てくれ」
「お、どうも、ご免よ、俺ね、赤ん坊ほめさせると一人前なんだ、あの、この屏風の中かい。そうかい、ほう、大きいねえ」
「大きいだろ、うん、産婆さんもそう言ってたよ。大きいってんでね、うち中で喜んでんだよ、大きく生んだほうがいいんだってよ」
「どうも、大き過ぎたなあ。毛もないし、眼鏡をかけて」
「そりゃあ爺さんが昼寝してんだよ。」
「ああ、そうかい、じいさんかい、そそっかしい爺いだ」
「赤ん坊はその向こうだよ」
「あ、これか。ちいせえなあ。育つかな」
「何を言ってやがんだい」
「育つよ」
「はあ、でも、小さいけど紅葉のような手だな」
「おっ、いいことを言うね。たまにそういうことをいうから俺はお前好きだよ」
「でもロクな大人にならないよ、こいつは。こんな小さな手をして俺から五十銭ふんだくったんだからね」
「返すよ」
「いいよ…でもお人形さんみたいだな」
「うまいこと言うねえ、おめえだけだ、人形みたいだって言ったのは」
「そんなにかわいいかい」
「お腹を押すとキュキュッて泣くよ」
「おい、よせよ、死んじゃうよ」
「うん、うん。じゃあ、そろそろ。竹さん、これがあなたのあなたのお子さんですか」
「俺の子だよ、俺の子だよなあ」
「本当?」
「大層ふてぶてしいお顔でございます。」
「亡くなったおじいさんに似てご長命の相がございます」
「何言ってるんだ、爺さんはそこで昼寝してるよ。あ、そうだ。死んだお婆さんに似て」
「ばあさんは今、買い物行ってるよ」
「おまえとこは随分と長生きだね」
「よく見ると鼻がまがったところなんか、おめえにそっくりだ」
「たらこみたいな唇はおめえの嬶によく似てらあ」
「洗濯は二晩で乾くかな。ジャワスマトラは南方だ。
私もこのようなお子さんに、蚊帳つりたい、首吊りたい」
「さっぱりわかんないよ」
「俺にもわからないんだがね……でも、おかしいな」
「時に竹さん、この子はお幾つですか?」
「まだ生まれて七日目だよ」
「おー、初七日か」
「お七夜ってんだよ」
「へえェお七夜。それはまたお若く見える」
「よせよ、一つで若けりゃいくつに見えるんだい」
「どう見ても半分でございます」
最後までお読みいただきありがとうございました。