豊かな関係
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はマレーシアでの体験をもとにした女性の文章を読みます。
筆者は文化人類学者、板垣明美氏です。
あなたはサラームという挨拶の仕方をご存知でしょうか。
マレーシアではごく普通の所作事です。
この言葉は「平和」を意味するそうです。
マレー系の人々にとっては伝統的な挨拶で、ていねいなジェスチャーを伴います。
握手をした後、その手を自分の胸に当てる仕草をするのです。

もっと丁寧になると、握った相手の手の甲を自分の額に付けます。
相手を敬い、受け取った幸せを自分の体に取り込むような意味合いが込められています。
イスラム教の祝日であるハリラヤの初日に、目上の人の手を握って「サラーム」をします。
これは単なる挨拶ではなく、過去の過ちを謝罪し、許しを請う儀式です。
「サラーム」を通じて、家族や親族の絆を深めるのです。
日本では、ハグや握手など大人同士の身体接触の文化はあまり盛んではありませんね。
体に直接触れるより、お辞儀やこまやかな言葉で親しみや敬意を表すことの方が多いようです。
彼女が数年間にわたるマレーシア生活で感じたことはどのようなものなのでしょうか。
その一端を身体接触という観点からまとめた文章があります。
過去にある大学の入試小論文の問題として出題されたものです。
課題文
私が以前調査したマレーシアの地域では、互いの手のひらに触れた後、その手を自分の胸にあてるサラームというあいさつがあります。
マレーシアは東西から人が行き来する文明の十字路で、言語も多様です。
人との関係に緊張感がある中で、「あなたを攻撃するつもりはない」と示し、短時間で打ち解けるためにこうした触れ合う所作が発達したのではないでしょうか。
米国や欧州でのハグや握手にも、同様の意味があるようです。
日本はそれらの国々ほどは多民族、多言語国家ではありません。
常に知らない人との距離を測る必要はなく、他人を「自分とは関係のない人」とみなすことができてしまいます。
ハグやサラームといった身体接触は、やみくもに行われているわけではなく、実は繊細な段取りがあります。
手を出し相手を受け入れる準備をした上で、相手の出方を見て、望まないようなら別のあいさつに切り替えます。
こうした作法は、小さい頃から文化として身につけていきます。(中略)
日本で日常の身体接触の文化が乏しいのは、長時間労働が関係するのかもしれません。
あいさつの言葉をかけながら握手のタイミングをうかがうには、鍛えられた即興的なセンスが必要です。

生活に余裕がないと、コミュニケーションも時短型になるのでしょうか。
日本でも、対面で過ごしていれば無意識に手や肩が触れることはあります。
しかし、近年はそうしたことも少なくなりつつあるようです。
私たちはコロナ禍を経て、触れられないことがどんなに寂しいのかに気づきました。
触れることはいま見つめ直されていると思います。
誰かの体が繊細に触れてくれると、それだけで癒やされるものです。
触れることを通じて人を身近に感じれば、より豊かで柔らかい人間関係ができるのではないでしょうか。
設問
この文章の後には次のような設問があります。
身体接触の文化についてあなたはどのように考えますか。
あなた自身の経験など具体例も含めて800 字程度で述べなさい、というものです。
課題文は、日本の文化と他国の文化における身体接触のあり方について論じています。
イスラム教の祝日に行われるマレーシアの「サラーム」という、許しを請い、絆を深めるための儀礼的な挨拶についてです。
多民族国家においては一般的に相手への敵意がないことを示すため、身体接触が重要性です。
一方、日本ではお辞儀が主です。
直接的な接触を避ける慣習がありますね。
日本は米国や欧州ほど多民族・多言語国家ではなかったということも大きな理由の1つでしょう。
ハグや握手といった大人同士の身体接触の文化があまり盛んではありません。
日本では、体に直接触れるよりも、お辞儀やこまやかな言葉で親しみや敬意を表すことが多いようです。

知らない人との距離を測る必要性が常にあるわけではないのです。
他人を「自分とは関係のない人」とみなすことができてしまう環境が影響している可能性があります。
しかしそれだけが理由なのでしょうか。
日本では昔から 他人の身体にむやみに触れないのが礼儀とされてきました。
慎ましさや控えめな態度を高く評価するのです。
その他、清潔意識の高さも考えられます。
「不浄を避ける」という文化が強いのです。
仏教や神道の影響もあって 身体接触を減らすことがごく自然だと考えられてきました。
さらに礼法としてお辞儀が体系化されたことも大きいのではないでしょうか。
そこには厳しいいくつものしきたりが示されています。
ハグと握手は近代以降
日本人が握手をするようになったのは、明治以降のことです。
しかし西洋人とは習慣が異なるため、完全に日常化するには至りませんでした。
確かに身体接触は、関係の表層的なやり取りを超えて、深い人間的なつながりを育む役割を果たします。
ところがハグや握手を自然にするためには、幼い頃からの生活習慣が必要なのです。
特に握手のタイミングをうかがうには、鍛えられた即興的なセンスが大切です。
身体接触は、単なる動作ではなく、文化的背景、時間的余裕、そして個々の繊細な配慮の上に成り立っているのです。
しかしこれほど効果的で深い意味のある仕草はありません。
もう一つの言語体系であるともいえます。
しかしそれができない日本人は、親しみや敬意を示すために、体に直接触れるのではなく、お辞儀やこまやかな言葉で表現してきました。

人に触れることに慣れていないと、相手の身体から発される情報を受け取れず、動きが一方的になってしまうことがあります。
長く続いた身分制度の影響もあるのかもしれません。
お辞儀は角度や深さで敬意の度合いを調整できるという面も持っています。
その意味で日本の文化に非常に適していたとも言えるのです。
挨拶に代表される身体接触は、単なる儀礼以上の、関係性の構築や維持、そして感情的な伝達に関わる深い意味を持っています。
想像以上に文化の深層に関わる大きなテーマであると思います。
身体接触が持つ意味
身体接触は、他者に対する意図を明確に示す役割を果たします。
米国や欧州でのハグや握手にも、サラームと同様の意味合いがあるようです。
特に、宗教的・文化的な文脈では、身体接触は儀式的な意味を持ちます。
また、身体接触は繊細なコミュニケーションの一形態です。
日本では、ハグや握手など大人同士の身体接触の文化はあまり盛んではありません。
その理由として、文化的および社会的な背景が考えられます。
日本は、米国や欧州ほどは多民族、多言語国家ではないため、常に知らない人との距離を測る必要がないという環境があります。

これにより、他者を「自分とは関係のない人」とみなすことができてしまう傾向があります。
また、日常の中で人に触れることに慣れていないため、緊張すると、相手の身体から発される情報を受け取れず、一方的な動きになってしまうといった繊細な側面もあります。
いずれにしても、文化人類学や社会学の立場から、挨拶の意味を捉えることには大きな意味があります。
もう一度、ご自身の体験を踏まえて考えてみてください。
実感のある文章が書けれは、かなり評価が高くなるものと思われます。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
