言葉が足りない
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師すい喬です。
いよいよ入試本番ですね。
公立、国立はもちろん、私立でも総合型選抜、推薦入試には小論文が必須の試験になりつつあります。
年内入試で合格を決めた人からは、もう関係ないという呟き声も聞こえてきます。
しかしはっきりいいましょう。
入学してからも、文章を書くことはずっと続くのです。
ChatGPTがあるから怖くないと、強気の表情を崩そうとしない人もいるかもしれません。
それは甘いです。
人を感動させ、やる気を起こさせる文章はAIには書けません。
なぜか。
そこに本当のあなたがいないからです。
一般論を長屋のご隠居のように書き流すことはたやすいです。
しかしそんなものに誰が目を向けてくれますか。
本当に苦労したり感動したりした体験は、あなただけのものなのです。
それを十分に伝える能力は、常に磨かなければ、自分のものにはなりません。
そういう意味で、小論文だけがここでのテーマではないのです。
ぼくは今も生徒の書いた文章を添削し続けています。
毎回、感じるのは文が拙いということです。
読書量の少なさが決定的です。
言葉の数が多ければいいというものではありません。
しかしそれにしても語彙が貧弱なのです。
同じ言葉を羅列して、それで満足している生徒が大半です。
「思考」と書けば、ものを考えることだと早合点しています。
だから「思考」がたった600字の文章の中に10回も出てくる。
赤ペンを持っていても悲しくなります。
ここではどうしたらいいのかを考えましょう。
時間が迫っているので、とにかく今からでも、上手に書くための手っ取り早い方法を教えます。
一文は50字まで
1月4日の朝日新聞に校閲記者のサロンという記事が載っていました。
校閲とは何かをご存知ですか。
新聞社の中でも重要なセクションです。
校閲と校正は全く違います。
校正は誤っている表記を発見して、それを正す作業です。
校閲は、誤っている内容を発見して、それを正す作業のことをいいます。
つまり書いてある内容をチェックし、誤っていると思われることがらを調べるのが仕事なのです。
それならばネットで十分だと思うのが通常でしょうね。
違うのです。
ネットは信用できる記事だけで構成されてはいません。
校閲部の人たちは事実を確認するために資料を調べたりして、正しい内容に変更するよう指示をします。
この地味な作業がネットの記事とは全く違う、新聞の信頼性を支えているのです。
彼らの綴った文章にあったのが、「短文は正義」という表現でした。
これはぼく自身の実感と完全に一致しています。
文章の下手な生徒は、一文が長いです。
400字詰めの原稿用紙の場合、20字で一行ですね。
50字は二行半です。
しかし平気で4行以上にわたって、一つの文章を書く生徒がいるのです。
彼らの書く文は、「が」「ので」などでつながっている場合が多いです。
文法的にいうと、複文、重文の構造を持っています。
この書き方は即刻やめましょう。
4行書くと、80字もあります。
全く読む気がしません。
なぜでしょうか。
主語と述語が離れすぎていて、一読しても理解できないからです。
気の抜けたサイダーのような、甘いだけの文章です。
悪分の典型ですね。
「一文一義」とよく言います。
1つの文章はひとつの内容だけに留めるべきなのです。
あれもこれもを書き足していくと、何が言いたいのかが、見えなくなってきます。
当然、読む人を混乱させるのです。
入試の場合、誰が読むのか。
採点者です。
彼らに手数を取らせてはいけません。
彼らが文章の筋道をすぐ理解できるように書くこと。
そのサービス精神がすべてなのです。
短文の味わい
日本人は難しくて長い文が高級だと思っています。
見たことのないような言葉遣いや漢字が使われていると、それだけで優れていると思いがちなのです。
学者の書いた文章は漢字ばかりです。
さらに文脈が複雑で長いのです。
こうした文を評価していたのはかなり昔の話のこと。
今後、漢字は30%を目安にしましょう。
一見して黒々とした文はNGです。
参考のため、昨日の新聞にあったパンダの記事の最初のところを抜き書きします。
このリズムは新聞のためのものですが、小論文でも同じです。
この感覚が手に入ったら、間違いなくいい文章が書けるようになります。
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スマホの波の先に彼女はいた。
「ホワホワ(花花)」
緑の谷間に組んだ丸太の上で横たわっている。
右手で右目を隠し、眠っている。
1時間半並んだ。
見学は3分だけ。
「大きな声で騒ぐな。食べ物を投げるな」と書いた板を持つ警備員が時間を計っている。
本名はホーホワだが、愛称のホワホワで呼ばれる。
野生と飼育をあわせて2500頭以上いる中国パンダ界のアイドルだ。
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どうですか。
一番長い警備員の注意に関する部分も50字はありません。
それでも少し長く感じるくらいです。
感覚の限界
許される長さの限界がわかりますか。
一文が50字以下なら、主語と述語との関係に悩むことはありません。
ストーリーがすぐに頭に入ってきます。
風景がみえるようになります。
言葉の1つ1つが立ち上がっています。
眠気を感じさせる表現がないのです。
一言でいえば、退屈ではありません。
先が読みたくなる。
これが文章の力です。
小論文とは違うということはありません。
文章が生きていければ、採点者はしっかり読んでくれます。
どこに焦点をおくのかをつねに念頭においてください。
遠くからロングショットをとることもできます。
一番近くまで近づいて、書くことも可能です。
漢字を使いすぎずに、自分の言葉で。
もちろん、小論文には論理性が大切です。
しかしその論理性は短い言葉の積み重ねの中から生まれるものでなくてはなりません。
入試、全力で頑張ってください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。