文章の生命力
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回も小論文の話をします。
年内入試が叫ばれる今、喫緊のテーマですからね。
毎年、たくさんの小論文を読みます。
しかしなかなかこれだという文章には出会えません。
なぜなのか。
いくつか理由が考えられます。
1つは書き手が文章をあまり読んでいないからです。
読書量のあるなしは、すぐにわかります。
文体に深みがないのです。
たくさん本を読んでいる人は、言葉の持つ深さを知っています。
いい文章は、それぞれの表現の背後に必ず「私」が宿っているのです。
おそらくたくさんの文章と出会い、その場で自分の立ち位置を含めた内面との対話があったはずです。
その緊張感が言葉を紡ぎだし、それがやがて発酵していくのを横目で眺めていたのでしょう。
それなしに深い表現は出てきません。
1つの行動はささやかなものであっても、その繰り返しを積みかさねたものの量は、比べものにならないに違いないのです。
小論文はいわゆるレポート、白書、報告書の類いではありません。
徹底的に己れを捨て、誰が書いたものか全くわからない文をいくら書いても、評価は高くならないのです。
採点者は小論文の中に書いた本人の生命力をみています。
もちろん、見ているのは生命力だけではありません。
そこに小論文が持つべき文体があるかどうかをチェックしているのです。
文体を手に入れる
ドレス・コードという言葉を聞いたことはないでしょうか。
TPOにあわせて、どのような衣装を身につけるかという基準です。
それぞれの場にふさわしい形というものが、自ずとあるのです。
かつてある球団を2つの会社のどちらかに売却したいと思ったという、オーナーの話を読んだことがあります。
そのうちの1人はTシャツであらわれ、もう1人はスーツにネクタイ姿で面談に臨んだそうです。
その時に球団のオーナーは、スーツを着てやってきた社長の会社に、売却することを即決したそうです。
現在もその球団は存在しています。
誰の話か、だいたい想像がつきますね。
これが約束というものの持つ形です。
いくら生命力があるといっても、粗削りなだけではダメです。
そこにはきちんとしたコードが必要なのです。
それをどのようにして手に入れるのか。
それを支える力の根源が文体です。
文体の獲得していくためには、自己満足が1番危険です。
これが癖になると、文章の上達は望めません。
よく自分の体験を好んで書く人がいます。
もちろん、採点者もそれを嫌っているワケではありません。
必ず設問の中に「あなたの体験に照らして」などの言葉が入っています。
しかしだからといって、採点者はあなたの個人的な日記や感想が読みたいのではありません。
そこから何を掬い取ったのか。
それが知りたいのです。
そのための体験でなくてはなりません。
体験の形は違わない
日記のように次々と自分の周囲に起こったことをいくら書かれても、採点者は何も感じません。
むしろ迷惑なだけです。
書いているあなたはこんなにすごかった、こんなに苦しかったと思ったにせよ、多くの人にも同じような体験があるのです。
そこだけを抽出して、大きく伸ばしても、鮮明な画像にはなりません。
あなたは「ガクチカ」という言葉を知っていますか。
就活でよく使われる表現です。
「学生時代に1番力を入れたことはなにか」ということです。
当然、クラブ、委員会、学外活動、クラス活動などがイメージされますね。
その中で何かの役割を任されたものの、クラスメートが非協力的だったりして、うまくいかないことがあった。
それを何度も意見をぶつけ合いながら、克服していったという事実があるとしましょう。
それだけならば、どこにでもある話です。
そこからどうしたのか。
どういう克服の方法を考えたのか。
それはどれくらいユニークだったか。
その結果として、何を得たのかが見えるように書けなければ、経験も大きな意味を持ちません。
それはどこにでもある話の1つでしかないのです。
大切なのは料理の方法です。
重要なのはその事実を見る角度と、スパイスの効かせ方なのです。
オリジナルな文章
小論文にオリジナリティがいるのか。
当然、必要です。
いくつかの決まった型にはめれば、それで成立すると考えている人がいるかもしれません。
例えば、「確かに~だが、それだけではなく、本当は~考えるべきである」というのが1番有名なパターンかもしれません。
しかしこのパターンをいつも使えるほど、小論文は甘くありません。
近年は年内入試の広がりもあり、小論文の設問も、よく細かく書きにくいテーマが増えつつあります。
簡単に筆者の論点を半分は認めながら、実はそうではないといったパターンだけでは書けないケースが多いのです。
難関と言われる高校や大学の過去問を調べてみてください。
そのことがはっきりとわかるはずです。
小論文の基本は誰に向かって、どのような立場で書くのかということに尽きます。
つまり自分の立ち位置が明確であること。
これが最も大切なのです。
筆者の文章が賛成も反対もできないものである時は、余計にこのポジションをどう確定するのかということに神経を使わなければなりません。
基本になるのは、これならば書けるという位置です。
どこに自分の位置を置くのか。
その態度いかんによっては、小論文そのものをダメにしてしまう可能性もあります。
反対に書きやすい位置決めができれば、かなり展開を有利に運ぶこともできます。
ポイントは自分をどう出すかということです。
設問には必ずあなたの体験を文章の中に入れなさいなどという「注」があったりします。
だからといって、日記を披露しなさいと言っているワケではありません。
学校側はあなたがどういう人間であるのかを、さりげなく示すエピソードを求めているのです。
自分という人間が、どんな特性を持っているのか。
それを常に考えておかなくてはいけません。
どのように感じたのかということを示せば、どんな感性をもった人間であるのかがわかります。
ゆっくりと自己検証しながらフィードバックしていく気力を持つべきです。
どうしたらうまくなるのか。
とにかく読み、書くことです。
そのたびに自分の立地点を明確にする。
この繰り返し以外に上達の方法はないといってもいいでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。