【道草のすすめ】スピード最優先時代のトレンドはのんびりペース

ノート

時間と空間の誤差

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

世の中、めちゃくちゃなスピード時代です。

手紙なんてかったるくて、であふれかえっています。

メール全盛です。

それでも間に合わない人はラインやメッセンジャー。

瞬間を切り取るには写メしてすぐにラインでしょうか。

何も説明する必要はありません。

ダイレクトにピンポイントで届きます。

最近の映画や小説には、機密情報を写メして送るシーンが多いですね。

以前ならコピーでした。

それも今ではかったるいですからね。

絵柄としてはスマホでカシャカシャ撮ってすぐに送る方が恰好いいです。

かつて新聞社には伝書鳩などというものがいました。

足にニュースをくっつけて本社に飛ばす。

まるで夢物語のようです。

スポーツ新聞の一面の写真も今ではどんどん新しく刷り替えられます。

全てメールです。

考える暇なんてありません。

一瞬の判断で、こっちよりこっちがいいという感じです。

よりインパクトのあるもの。

刺さる画像。

すごい時代になりました。

ネットの普及は時間や空間の誤差を完全に消してしまったのです。

待つ時間の楽しみや苦しみが抜け落ちてしまいました。

想像力も枯渇していくワケです。

新幹線からリニアへ

新幹線はかつて東京と大阪の間を3時間10分で結ぶと言われ、夢の超特急と名づけられました。

しかし今や、わずか2時間半です。

それもやがてリニアで1時間になるとか。

かつては大阪出張といえば、必ず1日は泊まってきたものです。

今や全くの夢ですかね。

最近は牛丼でもハンバーガーでもとにかくロスを少なくし、時間を短縮してお客に出すための競争をしています。

待たせないのがトレンドです。

できれば値段もぎりぎりまで下げることがポイントです。

しかしそんなに急いでどこへ行くというのでしょうか。

最近ではファースト・フードに対抗して、スロー・フードという言葉もあります。

なにもかもが時間を争うように行動するのと反対に、ゆっくりと味わい、会話を楽しみながらとる食事のことだそうです。

なるほど、そんなに急いだからといっていいことばかりが待っているワケではありません。

いやいやそんなことはない。

やっぱり時は金なりです。

そんな声も聞こえてきます。

だからこそ、人はいつも急いでジェット機に飛び乗り、のんびりとした南の島へ行く夢をみるのかもしれません。

しかしなんとも不思議な光景です。

急いで、急いで、その先にのんびりした生活があるのでしょうか。

スマホを1週間身につけずにいたとしましょう。

プーケットやバハ・カリフォルニアにはそれまでの忙しい生活とは全く違った優雅な暮らしがあるのでしょうか。

漱石の自伝『道草』

単純にそうとばかりはいえそうもありません。

南国の暖かい風に吹かれながらも、あれやこれやのアクティビティをしてせわしなく遊び回る現代人の方がずっと多いのです。

あとは買い物ですかね。

わかってはいてもやはりじっとしてはいられないというのが、今の人の縮図なのかもしれません。

むしろその反対に毎日の生活の中で道草をくうことを考えてはどうでしょうか。

忙中閑のたとえありです。

いつもと違うルートを歩くだけで、いろいろなものを見つけることができます。

コロナ蔓延のさなかですから、難しいこともあるでしょう。

それでもちょっとコンサートや芝居、展覧会に行くだけで、全く新しい発見があります。

道草とはまさに、道に生えた草を摘みながら、ふらふらと歩いて家路につくことを意味するのです。

しかしここではむしろ心の道草をできるだけ勧めたいですね。

そんな暢気なことを言っていられる人は幸せだと呟く人もいると思います。

ましてや現在のコロナ禍です。

休業補償をかろうじてもらってはみたものの、とてもじゃないけど足りない。

この先どんな暮らしが待っているのか。

なにを暢気なことを言ってるんだ。

そう言われたら何も言えません。

日々の生活は重いですからね。

ところで『道草』といえば、すぐに夏目漱石のことが思い出されます。

読んだことがありますか。

1915年、朝日新聞に連載された小説です。

『吾輩は猫である』執筆時の生活をもとにした漱石自身の自伝であるとされています。

暢気な猫の話を書いている裏には人に言えない苦労がありました。

主人公の健三は漱石自身です。

金をせびりに来る島田は漱石の養父である塩原昌之助。

漱石は子供の頃、塩原の家に養子にだされ苦労をしました。

後に、夏目の家に戻ったのです。

外国から帰った健三は大学教師になります。

そこへ、かつて健三夫婦と縁を切ったはずの養父島田が現れます。

金を無心に来たのです。

さらに腹違いの姉や妻の父までが現れ、金銭を要求します。

健三は少ない給料の中から工面して区切りをつけていきます。

他の大学にも講師に出かけ、なんとか養父に金を渡すのです。

金銭上の苦労が絶える間もありませんでした。

主人公は最後に「世の中に片付くなんてものは殆どない」と吐き出すように呟くのです。

意外な光景

考えてみれば、人間は道草をどれだけしてきたかで、評価されるものなのではないでしょうか。

その人の度量の深さや広さは、人生の道草の中で次第に養われるような気がします。

回り道をし、苦労をし、人の心のあたたかさを知ることも大切です。

こんな無駄なと思えることの中に、大きな宝が潜んでいます。

受験に失敗した人は、随分理不尽な人生だと感じるかもしれません。

しかしそれも大きな意味ある道草なのです。

転職をしたり、離婚をしたり、リストラされたり、ひょっとするとこれからの人生は道草の連続かもしれないのです。

しかしそれでも無駄はないと思いたいですね。

あらゆる経験が自分を鍛えてくれるための材料です。

考えてみれば、ぼくなども道草ばかりしてきました。

数え上げたらきりがありません。

仕事だけでも随分かわっています。

倒産する会社も見てきました。

日の出の勢いの会社に勤めたこともあります。

きっとこれからも同じように、あっちこっちへふらふらと漂っていくのでしょう。

しかし、その全てがぼくの血となり骨となりました。

人生そう捨てたものでもありません。

車に乗って走りすぎてしまえば、見えない風景もたくさんあります。

殺伐とした道路の脇には意外な路地があります。

ヨーロッパの人は広場も好きですしね。

そうした風景の方がやはり美しいのです。

そう思いませんか。

道草を怖がらずに今日もしぶとく生きていきましょう。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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