気という言葉
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。
今回は風水をとりあげます。
といってこの財布を持てば金運があがるといった話ではありません。
これを読んで開運をしようなどとは考えないでください。
もっとずっとずっと地味な話なのです。
風水というと、すぐに玄関にはこんな観葉植物を置けとか、こういう色のタオルをかけろなどということになりがちです。
そういう話にはあまり興味がありません。
どうしてもという人は他のブログを読んでください。
しかし「気」という言葉は好きです。
考えてみると、人間は究極のところ「気」ですね。
やる気という言葉を思い出せばすぐにわかります。
「気」のつく言葉がこれでもかというくらいあります。
もともと日本人は「気」が好きなんでしょう。
「元気」などという生命力、勢いの意味に使う場合が1つ。
その場の様子、雰囲気の意味などに使う場合がもう1つ。
大体が精神面に関する用法が主なのです。
ちょっと調べるといくらでも出てきます。
強気、弱気、浮気、負けん気、勇気、勝ち気、やる気、邪気、根気、活気、殺気、狂気、意気、陰気、陽気、妖気、呑気、暢気、覇気、雰囲気、平気、本気、惚気、和気、蒸気、上気、火気、電気、豪気、短気。
どうですか。
気になる、気に障る、気が散るなどのように使うと、さらにどんどん増えます。
奈良県高畑町
今までに気のよかった場所はどこですかといわれたら、1番には奈良をあげますね。
それも高畑です。
御存知ですか。
あの春日大社の裏手にあたるところです。
どうしてそんなところを訪ねたのか。
志賀直哉の旧居があるのです。
俗に言う、ならまちエリアの東側です。
奈良市内でも資産家や文化人が数多く住んでいることで知られています。
「高畑」の家並みの中に小説家志賀直哉の家があります。
人生で20回も引っ越しをした人です。
大正14年(1925年)に京都山科の地から奈良市に移住しました。
最初は別の場所にいましたが、4年後自ら設計してこの地に家を建てました。
彼は昭和13年(1938年)までの約10年間この家に住むことになったのです。
ここで『暗夜行路』などの名作を書き上げました。
多くの友人が彼を訪ねてきたといいます。
小林秀雄、武者小路実篤などの名前は聞いたことがあると思います。
その交流の舞台になったのが「高畑サロン」とも呼ばれたこの家なのです。
1階の南側は本当に明るくて気持ちがいいです。
天井から太陽光を取り入れる設計になっています。
この辺りはかつて春日大社の禰宜たちの住まいのあるところでした。
藤原氏は気の1番いいところを探して、春日大社を建立したのです。
日本でも有数の場所です。
歩いているだけでいい気持ちです。
とても空気が柔らかくてあたたかいのです。
なぜでしょう。
これと同じ気分になったのは伊勢神宮と東大寺大仏殿の裏、正倉院周辺ぐらいですかね。
やはり「気」というものは存在すると思います。
風水は気の流れ
風水は、元々古代中国の思想です。
基本は家やお墓の位置や向きを知るためのものだったのでしょう。
それがだんだん大きくなって占いのように使われることになったのです。
最初はただ気の流れを物の位置でどうコントロールするのかに重点を置いたものと思われます。
さて、このところのコロナ禍です。
風があちこちを吹き抜けています。
今の職場もあっちこっちが開いています。
以前なら必ず閉めた戸もドアも、みな少しずつ開いているのです。
換気が大切だというワケです。
そのせいで寒いです。
このところの寒波にはかなり参ってます。
以前のような木造の建物なら、隙間風がたえず吹いていました。
換気など必要がなかったのです。
しかし最近の密閉された建物では24時間換気などというシステムを使わなければなりません。
分厚いガラス窓を1度閉めると、もう空気は全く動きません。
それくらい閉じられてしまっているのです。
無理に窓を開けておく以外、いい手はないんでしょうね。
風が通るということ
風が通るということにはちょっと関心があります。
風通しがいいという表現はよく使われますね。
これはなにごとにも通じるような気がします。
つい先日、知人がある医者からこんな話をきいてきたとか。
とにかく家の中では風が通るように暮らさなくてはいけないのだそうです。
漢方の医者だけに面白いことを言うなと思いました。
これはもちろん家だけの話ではないのです。
夫婦、友人、あるいは自分自身のことにも通じます
人はつねに風が抜ける状態にいなくてはならないということなのでしょう。
ものをためすぎれば、必ずどこかに置きます。
すると風が抜けなくなります。
自分の気にいったものだけを周囲にうずたかく積んでしまうと、やはり風が通りません。
すると心に不満が鬱積してきます。
なんとなく部屋の空気が重くなるのです。
本当に必要なものは実はそれほどにはないのです。
あとは捨ててしまってもいいものばかりになります。
人との関係も同じです。
友人がいくらいるからといって、あらゆる人と関係を密にしておくことはできません。
疎遠になるものは自然と離れていきます。
それでいいのです。
無理をすることはありません。
夫婦も同様です。
いつも風通しをよくしておけば、それだけで居心地がよくなります。
コミュニケーションと言い換えてもいいでしょう。
互いのいる場所をきちんと把握し尊敬しあうということが大切です。
人生を旅になぞらえる人もいます。
風通しのいい旅をしていれば、心はいつも同じ場所に閉じこもることがありません。
さわやかな気分でいるために、心がけることは、まさに風の通り道を自分の中にも外にもつくっておくことです。
それが自然にできる人もいるでしょう。
努力しなければうまくいかない人もいます。
とにかくものを持たない。
心にためないことです。
そういう暮らしができるかどうか。
そこに風の通る道の真価が宿っているのではないのでしょうか。
心のゆとりということなのかもしれません。
ゆったりとした時間と間合いをいつも持っていたいものですね。
これが人間関係の基本じゃないでしょうか。
最近、なんとなくそんな気がしてなりません。
最後までお読みいただきありがとうございました。