言葉のリズム
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。
今回は女性に人気のある詩人、中原中也を取り上げます。
中也は開業医である名家の長男として生まれました。
小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたものの、8歳の時、弟がかぜにより病死したことで文学に目覚めたと言われています。
彼は30歳の若さでこの世を去りました。
生涯に350篇以上の詩を残しています。
フランスの象徴詩を愛し、ランボーやヴェルレーヌの詩を数多く翻訳しました。
高校では必ず取り上げられる詩人の1人です。
教科書に所収されているのは「1つのメルヘン」と「汚れっちまった悲しみに」が最も多いですね。
毎年、どちらかを扱った記憶があります。
悲しみが汚れるという表現は彼独特のものです。
隋分、内容については生徒と語り合いました。
どこか胸にせまるものがあったのでしょう。
好きな詩によくリストアップされていました。
全文をご紹介しましょう。
是非、声に出して読んでみてください。
不思議なリズム感のある詩です。
汚れっちまった悲しみに
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
いかがですか。
かつて中原の故郷について書いたぼくの文章がありました。
ここに掲載させて下さい。
ご一読いただければ幸いです。
メルヘンの時代
湯田は温泉の町です。
その名の通り、田から微量の鉱分を含んだ湯が湧き出てきます。
山口市や周防灘沿岸からも湯治客が訪れる遊蕩の町です。
中原中也はこの谷あいの町に生まれ、そこで青春を送りました。
父が軍医であったため、旅順、広島、金沢の地を転々。
故郷に戻ったのは7歳の時でした。
堪野川の流れは今も清く澄んでいます。
少年時代の中也は水辺でよく遊びました。
やがてその蝶が見えなくなると、いつのまにか、今まで流れてもゐなかった河床に、水はさらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました
『一つのメルヘン』の世界は彼の幼い頃そのままです。
しかし少年は遠い世界を夢見ました。
母に連れられていった旅順や、金沢の風景が胸のどこかに棲みついていたのかもしれません。
いったい故郷とはなんでしょう。
近代の詩人達に望郷の詩が多いのはなぜなのでしょうか。
その抒情を故郷の何に見いだそうとするのか。
中也の詩碑は生家の近くにありました。
高田公園です。
黒みかげの美しい石碑で、思わずみとれてしまいました。
デザインも石そのものの形もみごとなものです。
背後の木立がおおどかな夕暮れの陽に赤く染まっています。
意志的な字でした。
小林秀雄の筆です。
望郷の詩
これが私の古里だ。
さやかに風も吹いてゐる
「ああ、おまへは、何をして来たのだと」
吹き来る風が私にいふ
大岡昇平の文が側面に刻んであります。
2人とも中原を深く揺らした友人でした。
この詩はわずかに14行のものです。
碑には最も中也的な部分がひかれています。
誠に心憎いという他はありません。
特に後半の2行がいいですね。
この部分に中也の悔恨、痛み、畏れなどが凝縮されています。
他の部分に比較して、格段に暗いです。
友人小林秀雄との間には一人の女性が介在しました。
長谷川泰子です。
彼女は中也との生活に別れを告げ、小林の許へ去ります。
しかしその後、彼からも離れていったのです。
中原はよく小林秀雄や大岡昇平と歩くときに、こう呟いたといいます。
ぐでんぐでんに酔っていたときもあったことでしょう。
ああ、ボーヨー、ボーヨーと。
前途茫洋のことです。
詩人を理解するということ
小林は「詩人を理解するということは何と辛い想いだろう」と何度も嘆いています。
それは中也自身にしても同じことだったでしょう。
自分で自分がわからないというジレンマ。
だがこの「帰郷」という詩にはどこか甘えにも似た優しさが潜んでいます。
それが読む人間にとって救いにもなります。
中也の生家は今も残っています。
ランボー詩集を訳した茶室もひっそりと佇んでいます。
小京都と呼ばれる湯田の地にはキリスト教の伝統や遺跡も多いのです。
ザビエル記念聖堂や、祖父がその建設に努力したといわれるザビエル祈念碑。
カトリック墓地。
山口線に乗ってもう少し奥へ入れば、キリシタン殉教の地、津和野に到ります。
中也がもしキリスト教と深く関わっていたらと想像するのは楽しいことです。
「汚れっちまった悲しみ」などという表現がその時もあらわれたかどうか。
愛児文也を亡くしてからの彼は痛々しいだけです。
中也に故郷は似合いません。
しかし詩碑の黒々とした重量感が、帰郷への熱い願いを想わせます。
故郷喪失者がここにも一人いました。
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中原中也について調べていると、必ず評論家小林秀雄、作家大岡昇平の名前がでてきます。
さらに小林と争った女性、長谷川泰子の存在も忘れられません。
彼らについて書かれた本は今もたくさん出版されています。
関心のある方は少し調べてみてください。
最後までお読みくださりありがとうございました。