【十訓抄・啓蒙の書】際限のない権力者の物欲をとっさの機転でかわす

権力者の欲望

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。

今回は古典に出てくる人間の物欲について考えてみます。

元々、人間は満足ということを知らない生き物なのかもしれません。

1つ手に入れれば、また次のものが欲しくなる。

これが欲しいとなると、どんなことをしても手にいれたくなる。

ことに権力者にはそうした傾向が強いようです。

人間の持つ悲しい性でしょうか。

しかしある意味で最も人間的だといえないこともありません。

歴史を振り返ってみれば、想像を絶する事実がいくらでも蘇ってきます。

生きている時から自分の墓をつくり続けた人は何人もいます。

その中でも最も壮大な墓を建造したのは秦の始皇帝ではないでしょうか。

もう1つ別の宇宙をつくりあげ、そこで永遠に生き続けようとしました。

始皇帝は皇帝となった時から陵墓の建設を始め、38年の歳月をかけたのです。

70万人の人々を動員し、自分の墓を作らせました。

西安市郊外にある陵墓は周囲約6.2キロ、高さ76メートルという巨大な規模です。

当時陵の上には宮殿や楼閣が築かれていたそうです。

始皇帝の墓を完全に発掘する作業はいつ終わるのでしょうか。

兵馬俑などの修復現場を見ていると、気が遠くなります。

ちょっと現実離れしていて、話になりません。

kareni / Pixabay

人間の欲望には際限がないということを示しています。

現代ならば世界中に家を建て、さしずめ自家用ジェットで自在に移動することでしょうか。

城をいくつも持って美人を侍らせてと、人間の望みには限りがありません。

今回取り上げるのはそんなレベルの話ではありません。

もっとずっとささやかです。

とはいえ、これもちょっとした話なのです。

なんのことか。

名品と言われた笛の話です。

原文

成方といふ笛吹きありけり。

御堂入道殿より大丸といふ笛を賜はりて吹きけり。

めでたきものなれば伏見修理大夫俊綱朝臣欲しがりて、千石に買はむとありけるを、売ら

ざりければ、たばかりて使ひをやりて、売るべきの由言ひけりと空言を言ひつけて、成方

を召して、笛得させむと言ひける、本意なりとよろこびて、価は乞ふによるべしとて、た

だ買ひに買はむと言ひければ、成方色を失ひて、さる事申さずと言ふ。

この使ひを召し迎へて、尋ねらるるに、まさしく申し候ふと言ふほどに、俊綱大きに怒り

て、人を欺きすかすは、その咎軽からぬ事なりとて、雑色所へ下して、木馬に乗せむとす

る間、成方曰はく、身の暇を給はりて、この笛を持ちて参るべしと言ひければ、人をつけ

てつかはす。

帰り来て、腰より笛を抜き出でて言ふやう、このゆゑにこそ、かかる目は見れ。情けなき笛なりとて、軒のもとに下りて、石を取りて、灰のごとくに打ち砕きつ。

大夫、笛を取らむと思ふ心の深さにこそ、様々かまへけれ、今は言ふかひなければ、戒むるに及ばずして、追ひ放ちにけり。

後に聞けば、あらぬ笛を大丸とて打ち砕きて、もとの大丸はささいなく吹きゆきければ、大夫のをこにてやみにけり。

はじめは、ゆゆしくはやりごちたりけれど、つひに出だしぬかれにけり。

本文訳

成方という笛吹きがおりました。

御堂入道殿より大丸という笛を頂戴して吹いていたのです。

立派なものなので、伏見修理大夫俊綱朝臣がこの笛を欲しがり、「千石で買いたい」とお話したのですが、成方は笛を売りません。

そこで朝臣はたくらみ、使いの者を成方のもとに行かせました。

「成方が笛を売るという旨のことを言いました」と嘘を言うように言いつけたのです。

それから成方を呼びつけて「笛を渡そうと言ってくれたのは、私の望むところです」と喜びました。

「値段は言い値にしましょう」「ぜひとも買わせてください」と言ったので、成方は顔色を失って、「そのようなことを申したことはございません」と告げました。

朝臣は驚き、この使いの者を呼びつけたのです。

お尋ねになると、「本当に成方様がおっしゃいました。」と男は言いました。

そこで俊綱朝臣は大いに怒って、 「人を欺こうとするとは、その罪は軽くはないですぞ

」とおっしゃり成方を雑色所へ下げて、木馬に乗せて責めようとなさいました。

そこで成方が言うには、「それでは身のお暇を頂き、この笛を持ってまいります」ということになりました。

俊綱朝臣は成方に人をつけてやったのです。

成方が帰ってきて、腰から笛を抜き出して言うには、「このせいで、このような目にあっている。薄情な笛だ」と、軒先に下りて、石をとって灰のようになるまで打ち砕いてしまったのでございます。

俊綱朝臣は笛を横取りしようと思う心が強いために、いろいろ企んだのですが、笛が粉々になってしまった今となってはどうしようもなくなってしまいました。

そこで成方を罰する必要もなく解放したのです。

後で聞いたところによれば、本物ではない笛を大丸といって打ち砕き、本当の大丸は以前のように何事もなく吹いていたということです。

俊綱朝臣はばかな男だということでこの話は終わってしまいました。

はじめはひどく勢い込んでいましたが、最後は成方に出し抜かれてしまったということでございます。

機転をきかせて生き抜く

ここには機転をきかせて窮地を脱しようとする成方と、強すぎる私欲のために周囲から物笑いの種にされる修理大夫俊綱とが、実に対照的に描かれています。

名器と言われた「大丸」を吹き続けることに成功した名人、成方。

なかなかの才人といえますね。

この話は典型的な勧善懲悪話です。

昔の人には実にわかりやすかったはずです。

善と悪に色分けして、話を単純化するのはいつの時代も同じです。

「水戸黄門」など典型的ですからね。

俊綱の策略をすぐに見抜いた成方は、一計を案じて芝居をうちます。

入道殿から賜った「大丸」こそが諸悪の根源だとし、無きものとすべく打ち砕こうとするのです。

今ならなんでしょう。

これがあるから世界が平和にならないもの。

考え出すと次々と出てきそうです。

もしかしたら、新型コロナウィルスもその仲間かもしれません。

欲深な俊綱は「をこ」と評されています

この表現を御存知ですか。

今でも使っています。

「おこがましい」がそれです。

「をこ」とは「バカ」「愚か者」のことです。

十訓抄には約280の教訓的な話が載っています。

「十訓」とは10の戒めという意味です。

第一、人に恵みを施すべき事(人に恵みをあたえなさい)
第二、驕慢を離るべき事(おごりたかぶるのをやめなさい)
第三、人倫を侮るべからざる事(人を馬鹿にするのをやめなさい)
第四、人上を誡むべき事(人をあげつらうのはやめなさい)
第五、朋友を撰ぶべき事(友達は選びなさい)
第六、忠直を存ずべき事(忠義は正しく行いなさい)
第七、思慮を専らにすべき事(思慮深くありなさい)
第八、忍す諸事を堪ふべき事(我慢することを学びなさい)
第九、懇望を停むべき事(何でも欲しがることをやめなさい)
第十、才能を庶幾すべき事(自分の才能をみがきなさい)

これが全てです。

成立は鎌倉時代中期の1252年。

さまざまな物語や史書から教訓的な説話を集めて、鎌倉時代の人々に伝承されていったのでしょうね。

あれもこれも欲しいという行為はやはり「をこ」そのものです。

自らにそう言い聞かせましょう。

この話を他山の石としたいものです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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