【Yesの時には課題文から意識して離れる】筆者べったりではダメ

小論文

反論なんてとんでもない

みなさん、こんにちは。

小論文指導歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は課題文に賛成の時の書き方を考えます。

今まで、なるべくNoの立場から書きましょうと説明してきました。

とにかく反論をいくつか考えてみて、その中で一番強力なのを選ぶというのが最良の方法だと書きました。

この考えは間違っていません。

まさにこの通りです。

しかし反論なんてとてもできないという場合もあります。

課題文は基本的に正論が多いのでなかなか反論できないのです。

その時は仕方がありません。

Yesの立場をとりましょう。

賛成する場合は一見楽そうに見えますね。

なんといってもそこにサンプルがあるからです。

それを後から追いかけていけば、一つの論点が完成します。

しかしこれをやったら絶対ダメ。

確実に評価が低くなります。

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理由はわかりますよね。

筆者の論点を後からたどっているだけですから。

なんの新鮮味もありません。

一言でいって面白くないのです。

経験を書くのも難しい

それならば、なにか自分の経験を書いてまとめてみようという手もありそうです。

しかしよく考えてください。

普通の高校生が18年間の中で体験したことに、それほどユニークなものがあるでしょうか。

もちろん、特別な体験をした人もいるかもしれません。

そういう時は堂々と真正面から切り込んでください。

Photo by Dick Thomas Johnson

それでOKです。

しかし多くの人にとっては、それほどの経験があるとも思えません。

そういう時も自分のことを書けばきっと採点者にアピールするなどと考えるのはあまりにも楽観的にすぎます。

読んでいる採点者はみんな大人です。

彼らにアピールするために、どうすればいいのかという深謀遠慮がいるのです。

いわば作戦です。

単純に正面からぶつかっただけでは粉砕されて終わりです。

それではどうしたらいいのか。

バックドアを探しましょう。

そこならばきっと防備もゆるいはずです。

課題文の論旨を修正したり追加するのです。

筆者はこう言っているがここの観点に私は少し補足したいと宣言するのです。

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気がついていない部分を補うワケです。

これは反論ではありません。

そこまでできない自分を恥じる必要はありません。

一生懸命考えてはみたけれど、やはり筆者にはかなわない。

しかしこの部分は少し抜け落ちたところがあるのではないか。

そこをこのように補ったら、一つの論点がより強固なものになるのではないか。

このような書き方でいいのです。

こういう課題文があった

少し具体的な例で考えてみましょう。

日本の子供のように生まれた時から素晴らしい環境を与えられていると、夢を持つことができなくなるという話です。

親になにもかも依存してしてしまっているのです。

とくに階層化が進み始めている現在の日本では、その中にいる人間には自分の本当の姿が見えないということもあります。

有名大学に進学する子供を持つ親の年収は確実に高くなっています。

その事実を見ないで、自分の置かれた立場を当たり前のものと考えないようにしようという発想です。

それを象徴的に示す事例がありました。

qimono / Pixabay

かつて東京大学の入学式で建築家の安藤忠雄教授が挨拶をした時の話です。

その冒頭、2階席の保護者に向かって会場からの退席を望んだのです。

親が子供を断ち切り、子供が親を断ち切って自立した個人をつくるスタートの日に親がそばにいては邪魔になると彼は告げました。

全てを与えられた子供は夢を持つことができなくなってしまう。

夢は自分自身の内なるところからしか生まれない。

自分の力で考え、自分の意思で行動することの大切さを知ってほしい。

この考えを理解してもらうためにあえて、入学式の挨拶の冒頭に退席を願ったのです。

この課題文は2010年、独協医科大学の入試に使われました。

こうした内容の文章を読んであたなはどのように考えますか。

正面から反論することがどの程度可能でしょうか。

自立に関するテーマは多くの大学で出題されます。

その意味で小さな頃から恵まれた環境にいた学生たちを想像した時、「夢」の存在の意義は大きいものといわざるを得ないでしょう。

入学式の会場から親を退席させることへの反論はあるかもしれません。

あまりに無茶な行動だといえば、言えないことはないからです。

しかしそこにばかり注目するという論点では、小論文としては、ほとんど意味を持たないでしょう。

ただ賛成をすればいいのか

それならば、全くその通りですと追随すればいいのでしょうか。

それだけでは無理です。

試みに少し視点をかえた短文を書いてみます。

要旨をしっかり捉えてください。

確かに筆者のいう通りである。
日本には西洋型の階級社会はまだない。
ヨーロッパにはノブレス・オブリージュという思想がある。
つまり身分の高い者たちは必ず社会への責務を負う自覚を持つということだ。
日本ではこの思想が人々の間に浸透してはいない。
貴族社会が存在しないからだ。
しかし近年、日本でも階層化は確実に進んでいる。
学生にとって今までの生活から急に自立しろといわれても唐突に聞こえるかもしれない。
彼らにとって特別に豊かな生活をしてきたという自覚はあまりないのではないだろうか。
ごく普通の当たり前の暮らしだったというのが実感だろう。
しかしそれがもう現実との乖離を引き起こしている。
実際は十分に知的で恵まれた生活を送ってきたのである。
そのことを念頭に置きながらこの課題文を読むと、大学への入学が自立への契機とならなければいけないと感じる。
自分の夢をさがすために、いつまでも親が用意してくれた巣の中でぬくぬくしているわけにはいかないのだ。

どうでしょうか。

筆者はあくまでも教育者の立場から書いています。

それを新入生の立場から見て取ると、どのようなことが言えるのかという論点になります。

ただ筆者の立場に同意するだけでなく、違う側面からまとめたことになるワケです

geralt / Pixabay

あるいは親の立場から書くことも可能でしょう。

視点を変化させるだけで、とても新鮮なものになります。

文章は生きています。

ただ後から追いかけるだけでなく、あらゆる視点を導入してください。

それが成功への道のりです。

1つのサンプルを書きました。

参考にしてみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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