リビングウィルの意味
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。
今回はリビングウィルの問題点をチェックしておきます。
この言葉を聞いてすぐにどういうことか解説できる人はどれくらいいるでしょうか。
リビングという単語からは「生きる」という意味がとれます。
ウィルからは「意思」でしょうね。
つまり「回復の見込みのない人に延命治療を望むかをチェックする措置」と考えがちです。
もちろん、これも誤りではありません。
リビングウィルとは尊厳死に対する意思表示を意味すると解釈している人も多いと思われます。
しかし現実にはもっと広い内容を持っているのです。
最初にその点をきちんと確認しておきましょう。
リビングウィルとはいったい何のことなのでしょうか。
最初に知っておかなければならないことはこの3つです。
1 もう治らない病気にかかった時、予想される経過や余命を知りたいかどうか。
2 自分の意思を伝えられなくなった時にして欲しい医療やケアは何か。
3 今以上にして欲しくない医療やケアは何か。
単純に延命治療をしてほしいか、してほしくないかというレベルを超えて考えてください。
全ての判断能力が十分なうちに示される意思のことなのです。
患者の命を救うことが医療に携わる人にとっての基本です。
これはおそらく永遠にかわらないでしょう。
しかし現代では行き過ぎた治療にならないようにするということも、同時に大切なことになりつつあるのです。
スパゲッティ症候群などという言葉がかつてはよく使われました。
何がなんでも延命させるために、たくさんの管を体内に通された患者の様子を比喩的に語ったものです。
今日、医療に関わるものは患者の意思を超えてまで、治療をすることは許されなくなりました。
このことを第1におさえておいてください。
無理に延命治療をすることは、今日では認められていないのです。
深刻な問題
日本には現在リビングウィルに関する法律はありません。
もちろんその動きはありました。
2012年にはいわゆる尊厳死法案が検討されたのです。
終末期に延命措置を希望しないことを書面で表示することが前提です
2人以上の医師により終末期と判定された15歳以上の患者について、延命措置を差し控えるというものです。
医師は民事・刑事・行政上の責任を問われません。
しかしこの法律には反対意見も多く寄せられました。
どうして反対なのか。
その理由こそが、延命治療の難しさを証明しています。
医師がリビングウィルを尊重してくれないのではないかという懸念が多かったことも事実です。
緩和治療や在宅治療などに対して、どこまで患者の意思を大切にしてくれるのかが不安の原因だったのです。
2人以上の医師が、もう治癒の見込みがないと判断するという前提がどこまで信頼できるのか。
全く法律上の責任を問われないということになれば、かなりおざなりの治療が横行する可能性もないとは言えません。
この問題に対しては実際に裁判もおこされています。
2008年には家族の同意の下で人工呼吸器を取り外した医師が殺人罪で書類送検されるということがありました。
後に不起訴にはなりましたが、同じようなことが繰り返される可能性は否定できません。
延命治療の限界もはっきりと見えません。
法的にもどこまで免責されるのかという微妙な問題を多く孕んでいます。
昨今はすぐに裁判になるケースが多いです。
医療関係者にとっても、ここまで複雑になると、簡単に手を出せないということにもなるのです。
患者の意思
もう1つの問題が患者自身の意思ということです。
救命救急をしている時に搬送されてきた患者に意思を問うことは可能でしょうか。
最近は輸血を拒否するなどというカードを持っている人もいるようですが、その掌握も完璧ではありません。
最後まで諦めずに処置をするのが基本でしょう。
しかしそれもある意味常識のレベルでしかできません。
患者が手術を拒否するなどという状況を想像するのは、それほど簡単なことではないのです。
このようなテーマの問題が出題されたら、どう解答すればいいのでしょうか。
これも難問です。
さらにリビングウィルが示されたとしても、本人がどの程度内容を理解できているのかという問題があります。
超高齢化社会を迎えつつある現在、本人の意思を確認することが困難になりつつあるのです。
認知症の老人を治療する場合のことを考えてみてください。
最後は本人との意思疎通が不可能になるというケースも考えておかなくてはなりません。
その場合は仕方がありません。
家族等の意見を聴いて判断することになるでしょう。
また認知症といっても、日によって体調が変化します。
ある時は判断能力が高まることもあるのです。
そのような時に確認したリビングウィルをつねに最終の材料にしなくてはならないという問題も残ります。
つねに一定の内容を確保しておかない限り、延命治療の方針も定まらないということもあります。
それでも残る不安
ここまで日常的に確認作業を起こったとしても、突発的な事故はよくあるものです。
通常の確認作業として「呼吸停止時には人工呼吸器の装着等、補助呼吸を拒否する」と記されていたとしましょう。
しかし何かが喉の奥にひっかかって一時的に呼吸が停止するということがないワケではありません。
痰の吸引などという作業をしていると、突然の事故に襲われたりもするのです。
その時にリビングウィルの言葉通り、補助呼吸をしないなどということはありえないでしょう。
しかもそれをきちんと把握できるのかどうか。
看護師にとっても毎日が薄氷を踏むような現実と向き合わなければならないのです。
全ては書面だけで理解したとしても、事故はどのような形でやってくるかわかりません。
現代の医療の進歩はすさまじいものがあります。
以前なら全く想定しなかったような治療法なども登場しています。
逆にいえば、ここまで可能になったが、延命措置を希望する意思があるのかないのかということを、きちんと把握し続けなければなりません。
かつてのように患者の命を長くすればいいという医療はありえません。
それだけに大変難しい局面を迎えているのです。
患者を主体とするということは、逆にいえばいくつもの複雑なプロセスを必要とします。
これからの医療看護はその1つ1つに耐えるものでなくてはなりません。
当然、その分野に進みたい人にとっては難問が続くということになります。
医療のあるべき姿を冷静に判断し、従事するものとしての自覚が必要なことは言うまでもありません。
現在、リビングウィルを表明するためには特に金銭を必要としません。
一時は健康保険の適用までも考えたようです。
しかし今日、そのような論点は消えています。
高齢化社会の中で、延命治療と尊厳死との境目をリビングウィルの思想が駆け抜けていく様子が見えます。
今後ともこのテーマを考え続けてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。