【村上春樹】トニー滝谷は孤独な人間の横顔を3人称で描いた実験小説

リリックな作風

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

村上春樹の小説は『風の歌を聴け』からずっと読み続けています。

すごく好きなのかと言われると、そうでもないかなと思います。

しかし嫌いかと訊かれると、そんなことはないと断じていえます。

一言でいえば、彼の乾いた感覚が好きです。

妙にベタベタせず、つねに孤高を保つ。

その難しさを知りながら、それでも自分の孤独をみつめる主人公に感情移入するからです。

今回は今までに何度か読んだ『トニー滝谷』の話をさせてください。

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この作品は1990年に発表されました。

随分と以前のものです。

なぜ今、この小説なのか。

それはぼくにもわかりません。

時々不思議と読みたくなります。

『レキシントンの幽霊』という短編集の中に所収されています。

この作家は長編を書くことに疲れると、翻訳をしたり短編を手がけたりしてきました。

『ねじまき鳥クロニクル』『ダンス・ダンス・ダンス』『TVピープル』『国境の南、太陽の西』の執筆にはさまる形で、発表されたのです。

短編集の中でも『トニー滝谷』は比較的長い方です。

この時期、短編小説をいくつか書き、それを長くしたり、短くしたりすることに凝っていたと述懐しています。

あらすじ

これが主題だと呼べるほどのものはありません。

心象風景を次々と描いていったというのが、本当のところではないでしょうか。

主人公はトニー滝谷という名前です。

本文にも書いてあるとおり、トニーの両親は日本人です。

なぜトニーなどという名前をつけたのか。

彼の父、滝谷省三郎はジャズトロンボーン奏者として、それなりに名前の知られた人でした。

妻は子供を産んで3日後に亡くなります。

自分でもどうしたらいいのかわからなくなった省三郎は基地のバーで、ある大佐と知り合います。

その彼が子供の名付け親になってくれたのでした。

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少佐は自分のファーストネームを赤ん坊につけます。

孤独を抱えながらも成長したトニーは、イラストレーターとして才能を発揮し、その道で成功を収めました。

そんな時に知り合ったのが、後の妻となる女性です。

彼女はまるで遠い世界へと飛び立つ鳥が特別な風を身にまとうように、とても自然にとても優美に服をまとっていました。

それから2人は恋におち、結婚します。

しかし彼女の衣服に対する執着はケタ違いのものでした。

どこの国へ旅行に行っても、オートクチュールに入り、かたっぱしから洋服を買うのです。

来る日も来る日も洋服を買い続け、やがて広い部屋が全て洋服で満たされます。

トニー滝谷は少し買い物を控えるように忠告します。

夫のいうことを理解し尊敬もしていた妻は、コートとワンピースを返品しにあるブティックを訪れようとします。

そのまま家に帰ろうとしますが、先刻返品した洋服のデザインや色を思い出している途中、自動車事故にあって死んでしまいます。

それからの日々、トニー滝谷は一部屋全てが洋服でいっぱいになったのを見ながら、それを着てくれる女性を求めます。

雇い入れた女性に与えられた仕事は妻がいなくなった事実に彼が馴れるためのものでした。

妻の買った洋服を、ただ着ていて欲しいというだけのものです。

衣装部屋に案内された女性は、今まで見たこともない高級な洋服の山に驚きます。

それから数日して、妻の洋服をしみじみと眺めた主人公は、生命の根を失って一刻一刻と干からびていくみすぼらしい影の群れを見ます。

やがて、女性を解雇し、古着屋を呼んで二束三文でたたき売ってしまいます。

それと同時に父の残した古いジャズレコードも売り飛ばします。

小型の自動車が買えるくらいの値がつきました。

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そして、トニー滝谷は本当にひとりぼっちになったのです。

映画化

あらすじをいくら書いてもこの作品の持つ雰囲気は伝わらないかもしれません。

人間の孤独を描いているのかといわれれば、そうかもしれません。

人間というものの持っている不思議なまでの抒情性を切り取ったといわれれば、そんな気もします。

いずれにしろ、ぼくにとってはどこか懐かしい響きのある文章なのです。

全体にどうということはないかもしれません。

お金はいくらでもある。

妻が欲しいという洋服も靴も買ってあげられる。

だからといって幸福なのかと言われれば、そう簡単にそうですとは言えません。

人の幸せはだれにもわからないものです。

この作品がなぜ今でも注目されているのかといえば、それは映画化された作品が見事だったからです。

2005年、市川準監督によりイッセー尾形主演で映画になりました。

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第57回ロカルノ国際映画祭コンペ部門審査員特別賞などを受賞しています。

トニー滝谷役を演じたイッセー尾形の持つ雰囲気は、この小説の主人公にあっていると思います。

相手役は2役の宮沢りえです。

妻と後にアルバイトで雇われる女性の役でした。

さらに音楽が坂本龍一。

原作ではトニー滝谷の妻とアルバイトに雇おうとした女性の名前は記されていません。

しかし映画ではそれぞれ2人に名前がつけられています。

さらに原作では直接的には登場しない、妻が結婚前に付き合っていた男が、映画では妻の死後に登場します。

原作は妻と父を失ったトニーが自らの孤独を実感するシーンで終わります。

ところが映画ではその後にエピローグが追加されています。

この映画は封切り当時、かなりの評判となりました。

風が吹き抜けるような映画にしたいという監督の希望が全編に満ちあふれています。

これだけものに執着しない人間も珍しいです。

自分の持っていたものを主人公は結局全て失いました。

そして何も持たない人間になったのです。

自転車、ラジオ、エンジンといったものの細密画、デザインを得意にしていたという主人公の心に映っていたものとは何なんでしょうか。

美大に入り、思想性のある絵ばかり描いている友達とは全く違う描写だけしかしなかった彼は、あっという間に人気デザイナーになります。

その果てに1人の女性との出会いがあるわけです。

その出会いのきっかけが洋服です。

気持ちよさそうに着ているその形が、彼の琴線に響きました。

逆にいえば、彼女の存在がなくなった時、それらの衣類は過去そのものだったのかもしれません。

会話のない小説

この作品を読んで最初に気づくのは、全編にわたって会話がないことです。

村上春樹の作品は会話が多いというのが通常の評価です。

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会話が1つも入っていない小説はかなり珍しいのではないでしょうか。

ちなみにこの短編集『レキシントンの幽霊』の中ではこの作品だけです。

これは明らかに意図してやったことと思われます。

「ぼく」を必ず主人公にする作家としては、大変に珍しい試みです。

全て3人称です。

おそらく長編の間に、一休みしながら、全く気分をかえて執筆したのだろうと推測されます。

ある意味で怖さを持っている作品ともいえるでしょう。

ものに執着するからこその人間です。

それを全て捨てたとき、どのような風景が見えるのか。

村上春樹は1990年にショートバージョンを、1991年にロングバージョンを発表しました。

映画とあわせて小説を読んでみると、また違う感想が芽生えてくるかもしれません。

長年に渡り村上作品を愛読していた市川準監督が見た光景と自分の感覚を比べてみても楽しいかもしれません。

これを機会にご一読いただければ幸いです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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