不肖の君
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『呂氏春秋』の中の文章を扱います。
この本は、中国の戦国時代末期、秦の宰相、呂不韋が食客を集めて共同編纂されたものです。
『呂覧』ともいいます。
秦の始皇8年(紀元前239年)に完成しました。
「任座(にんざ)忠を尽くす」とは、中国の戦国時代、魏の文侯(ぶんこう)とその臣下・任座のやり取りを描いた故事です。
翟黄(てきおう)の言葉によって文侯は忠臣を失わずにすみました。
その言葉の巧みさはどこにあったのでしょうか。
少し考察を加えてみましょう。
魏の文侯は任座に「不肖の君」と言われて不機嫌になりましたが、翟黄(てきおう)の「任座こそ君の忠臣」と諭されて、退出していた任座を呼び戻しました。
出典は『呂氏春秋』の「自知」篇などに記されています。
魏の文侯が、中山国を滅ぼした後、家臣たちに「私は賢明な君主だと思うか、それとも愚かな主だと思うか」と尋ねました。
多くの家臣たちは、機嫌を取るために「賢明な君主でいらっしゃいます」と答えたのです。

しかし、任座だけは次のように直言しました。
「王は愚かな君主です。中山を攻略して得た領土を、弟君に与えず、ご自身の息子に与えたからです」
この発言を聞いた文侯は激怒し、任座は退出しました。
次に文侯が翟黄(てきおう)に同じ質問をすると、彼は「賢明な君主です」と答えました。
文侯がその理由を問うと、翟黄はこう言いました。
「賢明な君主の元には、直言する家臣がいるものです。先ほど任座が厳しいことを申したのは、王が賢明であられる証拠です」
文侯はこの言葉に感銘を受け、慌てて任座を呼び戻しました。
自ら出迎えて最高の敬意を払ったといわれています。
書き下し文
魏の文侯 燕飲(えんいん)し、皆(みな)諸大夫(しょたいふ)をして己(おのれ)を論ぜしむ。
諸大夫 皆 曰(いわ)く、「君は賢君なり」と。
任座に至る。
任座 曰く、「君は不肖の君なり。君 中山(ちゅうざん)を獲(う)るに、其の弟に封ぜずして、其の子に封ず。何を以て賢君とせんや」と。
文侯 怒る。
任座 趨(はし)りて出づ。
次に翟黄(てきおう)に問ふ。
翟黄 曰く、「君は賢君なり」と。

文侯 曰く、「何を以て其れを知る」と。
対(こた)へて曰く、「臣 聞く、『君 賢ければ則ち臣、直なり』と。
今、任座の言、直なり。臣、是を以て其れを知る」と。
文侯 大いに悦び、趨(はし)りて任座を召し、自ら下(お)りて之を迎ふ。以て上客(じょうかく)と為す。
文侯翟黄微(な)かりせば、則ち幾ど忠臣を失はんや。
現代語訳
魏文侯は宴を催し、全ての諸大夫に命じて、自分のことを論評させました。
或る臣は文侯が智恵があることを言いました。
任座が発言する番になると、任座はこう言ったのです。

「我が君は不肖の君であります。中山国を手に入れて、弟を領主となさらず、自分の子供を領主になさいました。このことから、わが君が不肖であるとわかります」
文侯はこの発言を喜ばず、その顏色が変わりました。
不快だったのです。
任座は趨(はし)って宮殿を退出しました。
次に翟黃が発言する番になり、翟黃はこう言いました。
「わが君は賢い君主です。私はこう聞いています。賢い君主というものは,その家臣が率直に発言すると。
ただ今、任座は率直な発言をしました。このことで我が君が賢いとわかります」
文侯は喜んで言いました。
「任座を呼び戻せるだろうか」
翟黃はこたえて言いました。
「どうして無理なことがありましょうか。忠臣は最後まで忠を尽くし、あえて死ぬことさえ恐れない者だと聞いています。
おそらく、まだ門に座っているでしょう。」
翟黃がいって彼を見ると,はたして任座は門の近くにいました。
文侯は命じて彼を再び召しました。
任座は入って来ると,文侯は宮殿の階段の下まで降りて彼を迎え、終に上客として上座につけました。
文侯は翟黃に感謝したのです。
あやうく忠臣を失うところを救われたからです。
君主に順いながら主の心を賢者を顕彰させるようにしたのは、翟黃だけではなかったでしょうか。
リーダーの資質
この文章は、現代においてもリーダーシップや自己認識の重要性を説く古典として高く評価されています。
あなたは「君、賢ければ則ち臣、直なり」という表現を耳にしたことがありますか。
君主が賢明であれば、臣下は罰を恐れずに本当のことを言うというのがその意味です。
つまり、家臣が厳しいことを言うのは、その君主が意見を受け入れる器を持っていると信頼されている証拠である、という逆説的な論理で文侯を諫めたのです。
文侯の賢さとは一度は怒ったものの、翟黄の言葉を聞いて即座に自分の非を認め、去った任座を自ら出迎えるという行動をとったことです。
文侯がのちに戦国七雄の一角として、魏を強国に導いた所以がこの行動だとされています。
忠臣のあり方とは相手が権力者であっても、間違いを恐れずに指摘するところにあります。
厳しい忠告を、自身の非を認める機会として受け入れる寛容さが、名君には必要なのです。
しかし歴史の現実をみてくだい。

自分の周囲にイエスマンを集めて、心地よく治めているうちに、内部から崩壊していくのです。
裸の王様そのものです。
鯛は頭から腐るとも言われますね。
部下が忖度を繰り返しているうちに、国は次第に力を弱め滅びていきます。
任座は忠臣ですと文侯にストレートにいえば、文侯はさらに腹を立てたでしょう。
それがわかっていたので、「主君に直言する忠臣は賢君の下にしかいない」とまず文侯を持ち上げておいて、任座が忠臣であることを文侯が認めるように仕向けたのです。
そこに翟黃の議論の巧みさがうかがえます。
大きな組織はどうしてもイエスマン中心になりがちです。
あえて苦言を述べるものを大切にすることが、どれほど面倒なことか。
だれにもわかるでしょう。
しかしその存在こそが、なによりも貴重なのです。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
