【更級日記】神秘的な夜の山の美しさと少女の夢見がちな心の風景がみごと

足柄山

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『更級日記』を読みましょう。

以前にも取り上げたことがあります。

作者は菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)です。

1008年に生まれたことはわかっていますが、没年は不詳です。

学者の家に生まれ、文学的な環境に恵まれていました。

10歳で父について上総国(千葉県)へ下り,都へ帰ってから宮中に仕えました。

その時の様子はこのブログの記事にあります。

リンクを貼っておきますので、時間のある時に読んでみてください。

幼い娘にとって、都のめくるめくような貴族の世界がどのようなものとして捉えられていたのか。

それが実によくわかります。

『源氏物語』をなんとかして読んでみたいと思うものの、地方にいてはそのような文化に触れる機会がありません。

いよいよ父が京都に戻るというので、やっと物語が読めると嬉しくて仕方がない心の様子がみごとに描かれています。

その後、40歳近くで橘俊通と結婚し、子供をもうけますが、結婚生活はうまくいきませんでした。

51歳の時、夫と死別します。

わびしい晩年の様子を彼女は『更級日記』に描いていきました。

都での生活は、子供のころに夢見たようなものとは、あまりに違っていたのです。

その落差が、『更級日記』の趣きをさらに深いものにしています。

彼女は『浜松中納言物語』『夜半の寝覚』の作者ともいわれています。

しかし真相ははっきりわかっていません。

『更級日記』は日々の記録なので、暮らしの様子が手に取るようによくわかります。

子供のころの憧れと、都での現実との落差が、情趣に富んでいるのです。

今回は作者が13歳のころ、父の任がとけて、一緒に京都へ帰る途中、箱根を通過した時の様子を綴ったものです。

本文

足柄山といふは、四、五日かねて、恐ろしげに暗がり渡れり。

やうやう入り立つふもとのほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず。

えもいはず茂り渡りて、いと恐ろしげなり。

麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇に惑ふやうなるに、遊び三人、いづくよりともなくいで来たり。

五十ばかりなるひとり、二十ばかりなる、十四、五なるとあり。

庵の前に傘をさして据ゑたり。

をのこども、火をともして見れば、昔、こはたと言ひけむが孫といふ。

髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕へ

などにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌を歌ふ。

人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、

「西国の遊女はえかからじ」

など言ふを聞きて、

「難波わたりに比ぶれば」

とめでたく歌ひたり。

見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなく歌ひて、さばかり恐ろしげなる山中に

立ちて行くを、人々飽かず思ひて皆泣くを、幼き心地には、ましてこの宿りを立たむことさへ飽かず覚ゆ。

まだ暁より足柄を越ゆ。

まいて山の中の恐ろしげなること言はむかたなし。

雲は足の下に踏まる。

山の半らばかりの、木の下のわづかなるに、葵のただ三筋ばかりあるを、

世離れてかかる山中にしも生ひけむよと、人々あはれがる。

現代語訳

足柄山というところは、4、5日前から、恐ろしいほどの暗さが続いていました。

次第に足を踏み入れていく山のふもとのあたりでさえ、空の様子ははっきりとは見えません。

言いようもないほど草が茂って、とても恐ろしく感じました。

山の麓の宿に泊まりましたが、月も出ていないので、ものすごく暗く、闇に惑うようでした。

そこに遊女が3人、どこからともなく現れたのです。

50歳ぐらいの人が1人と、他には20歳ぐらいの人と14、5歳くらいです。

仮小屋の前に傘をさして座らせました。

男たちが火をつけて彼女らを見ると、20歳ぐらいの女の人が、自分は有名な遊女だった「こはた」という名の人の孫だというのです。

髪はとても長く額にきれいにかかって、肌の色は白いので、今のまま下仕えをしても通用するだろうと、皆感心をしました。

声がとてもきれいで、空に昇るかのように冴え響きます。

歌が上手なのでそこにいた人々はみな感心し、彼女を近くに呼んで興じていました。

すると「上方の遊女はこれほどうまくは歌えないだろう」と誰かが言ったのをこの人が聞いて、

「難波あたりの遊女に比べたら、私はそれほどではありません」

と見事な声で歌にしました。

容姿がたいへん美しく、歌も上手だったので、恐ろしい山の中へと帰っていくのを、人々は心惜しく皆泣いたものです。

まして幼かった私は、遊女が去っていくのが侘しく、彼らがこの宿を出ていってしまうことがなんとなく悲しくて仕方がありませんでした。

夜明け前についに足柄山を越えました。

山の中が恐ろしかったことは言うまでもありません。

雲が足元にあるぐらいの高さだったのです。

山の中腹あたりの、木が少なくなってきたところに、葵が3本生えていました。

人里離れたこのような山の中にも生えていることだよ、と言って人々はみな感心したのです。

感性の鋭さ

文章を読んでいて感じるのは、彼女の感性の鋭さですね。

特に「恐ろしげなり」「きたなげなし」「めでたし」「あはれがる」といった言葉が何度も

でてきて、足柄山の恐ろしさ、遊女の洗練された美しさ、歌う声のすばらしさを描写しているところはみごとです。

足柄山での遊女との偶然の出会いや、山そのものの持つ神秘さをうまく表現していますね。

上方の遊女と比べた時、私はとても彼らに及ぶものではありませんと、謙遜する遊女の様子も心地がいいです。

また「葵」の登場が賀茂神社の葵祭りにつながり、都へはやく帰りたいとする一行の気持ちが透けてみえるようです。

それがたった3本生えていたというのも、なとんなくあはれを感じさせます。

彼女の特性は、作家的な目をきちんともっているところにあるのではないでしょうか。

cuncon / Pixabay

内省的でありながら、鋭い描写力をもっているのです。

それが日記全体を、より力強いものにしています。

感性が豊かな人であっただけに、都で遭遇したさまざまな出来事が、この世の無常をより強く感じさせます。

そのための糸口になる文章として、この日記を読み取ってもらえたら幸いです。

今も似たような人が、同じ時間を生きているはずです。

彼女たちは、毎日、どんな日記を書いているのでしょうか。

それを読んでみたいものです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

【門出・更級日記】京の都に憧れた少女時代が今はただ懐かしい
日記文学の代表『更級日記』を読んでみましょう。幼いころから京都での生活に憧れ、『源氏物語』を早く読みたいと願っていました。しかし姉たちも文章まで覚えているワケではなかったのです。父親の任期が終わり、いよいよ都へ出発する時がやってきました。

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