盲亀浮木(もうきふぼく)
みなさん、 こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は少しかわった古典の文章を読みましょう。
『今鏡』がそれです。
いわゆる鏡ものと呼ばれる歴史物語です。
『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』を総称して「四鏡」と言います。
作者は藤原為経(ためつね)と言われています。
1170年に成立しました。
『大鏡』のあとを受け、1170年までの13代、146年の歴史を紀伝体で記しているのです。
政治のことよりも、詩歌、管弦、書道などの風流や芸道、貴族文化を対象とした歴史を描いたものが多いです。
今回の文章は歌の徳が女性の幸福を導いたという話です。
幸せな気分になれます。
『涅槃経』などにある、盲目の亀が大海で浮き木を得ることが容易にできないという話を知っていますか。
会うことが容易ではないことをたとえて「盲亀浮木」(もうきふぼく)といいます。
難しい表現です。
『盲亀浮木』は涅槃経など多くの仏典で説かれている寓話を由来とした言葉なのです。
「人間がこの世に生まれてくるということは非常に難しいことであり、生きていることに感謝すべきだ」という教えを説くために、たとえ話として亀と木の話が語られています。
また、仏や仏教に出会うことの難しさも、寓話で語られています。
百年に一度海上に浮かび上がった、目の見えない亀がそのときにたまたま浮いていた木と出会い、さらにその木にひとつだけ開いていた穴から顔を出すということは、ほとんどありえません。
すごい話ですね。
考えてみれば、たまたま太陽から微妙に離れていたために、地球上に海が残りました。
そこから生物がうまれ、長い進化の結果、やがてヒトが誕生したのです。
宇宙全体のレベルから考えたら気が遠くなりますね。
その事実をここに示した言葉で表現しているのです。
昔の本ですから、仏教との関係は切っても切れません。
あらためて身のまわりを眺めてみた時、縁ということの不可思議さに思いが至ります。
この本では、人間として生まれてきた上に、仏教にまで出会えたことを感謝すべきだと説かれているのです。
本文を読んでみましょう。
本文
近き世に、女ありけるを、八幡なる所に宮寺の司なる僧都と聞こえし、小侍従とかいふ親にやあらむ、
その房に籠め据えて、ほど経けるほどに、都より、しかるべき人、「娘を渡さむ」と言ひければ、
「かかることのあるに、人の聞くところもはばからしければ、しばし都へ帰りて、迎へむ折来」とて、
仕立てて出だしけるが、あまりこちたく贈り物などして具しければ、今はかくて止みぬべきわざなめりと思ひけるにつけても、いと心細くて、硯瓶(すずりかめ)の下に歌を書きて置けりけるを、取り出でて見ければ、
行くかたも知らぬ浮き木の身なれども世にし巡らば流れあへかめ
となむ詠めりけるを見て、娘なりける人は、院の宮々など生み奉りたるが、まだ若くおはしけるに
「京へ送りつる人、この歌を詠み置きたる。返事をやすべき。また迎へやすべき」と申し合はせければ、
「返しは世の常のことなり。迎へ給へらむこそ、歌の本意も侍らめ」と聞こえければ、心にやかなひけむ、
その日のうちに、迎へにさらにやりて、「今日必ず帰らせ給へ」とて、明けゆくほどに、帰り来にけり。
また、そのしかるべき人の娘を、言ひ知らず居所などしつらひ、はした者、雑仕(ぞうし)などいふ者、数あまたしたてて据えたりけれど、
一夜ばかりにて、硯瓶の人にのみ離るることもなくぞありける。
現代語訳
これはごく最近の話です。
石清水八幡宮の司である僧都・光清(こうせい)がある女性を妻にしました。
この僧都は小侍従の親にあたるといわれています。
自分の僧房に女性を隠して置いて住まわせているうちに、月日が過ぎてしまったのです。
ある時、都から身分のある人が、「わたしの娘をあなたの妻にさしあげましょう」と言ってきたので、
僧都は彼女に「実は今、私のところにこういういい縁談があります。あなたのような愛人がいると、うまくいかなくなるのです。
そこで、申し訳ないが、少しだけ都へ帰ってもらえないものだろうか。
そのうち迎えに行ける時も必ず来るに違いないから。それまで辛抱して欲しい」と言って、旅支度をさせて出発させました。
その時、あまりに仰々しく、贈り物などを持たせたので、女性は2人の関係はこのまま終わってしまうということなのだろうと思うにつけても、ひどく心細くなりました。
硯に水を足す硯瓶(すずりがめ)の下に歌を書いて置いていったのを、あとで僧都が取り出して見たところ、このような歌だったのです。
行くかたも知らぬ浮き木の身なれども世にし巡らば流れあへかめ
自分は行方もわからない浮き木のようなつらい身ですが、この世に生きながらえていたら、盲目の亀が大海で浮き木にあうのが無理なように、たやすくはないでしょうが、再びお会いしましょう。
と詠みました。
この歌を見て、僧都は自分の娘に悩みを打ち明けました。
光清の娘だった人はのちに鳥羽院のお子たちをお産み申し上げた人です。
この頃はまだ若くていらっしゃったのですが、僧都の相談にのりました。
僧都は娘に向かって「京へ送り返した人が、この歌を詠んで置いていったのです。返歌をするべきだろうか。または、迎えをやって帰らせるべきだろうか」と尋ねました。
すると娘は「返歌というのは、あまりにもありきたりです。むしろその方をこちらにお迎えなさることこそが、この歌にこめた望みがかなうということになるのではないでしょうか」と答えました。
僧都も同じように感じたのでしょう。
その日のうちに、ふたたび彼女を迎えにやって、「今日のうちに必ず帰ってきなさい」と言い、夜が明けかけるころにその女性が戻って来たのでした。
ところで、身分のある人の娘とは、ことばもないほどすばらしく、部屋、調度など用意して迎えたものの、結局一夜だけの関係で終わってしまいました。
もとの愛人である硯瓶の人から、僧都の心は終生離れなかったということです。
詠み残した歌
石清水八幡宮の別当・光清が、都から身分ある人の娘を妻として迎えなければならなくなりました。
自分の出世のためにはきっと恰好の誘いだったと思ったのでしょう。
娘までなしていた女性を都に返したものの、彼女が詠み残した歌に感動して再び長く連れ添ったという話です。
人物関係がきちんと理解できないと、少し難しいかもしれません。
簡単にまとめておきます。
➀都から新妻を迎えるので、僧都は女性を追い出す
②歌を詠み残して出ていく女性
③女性の歌を読み、自分の娘に相談する僧都
④呼び戻した方がいいと説く娘
⑤夜明けに戻った女性
⑥新妻とは縁がなく結局別れる僧都
これがだいたいの流れです。
この僧都に送るのにふさわしい言葉が、涅槃経の中の言葉「盲亀浮木」です。
女性の純真な気持ちが色濃く出ている歌を読んで感動したというのが、この話のミソですね。
一期一会とはよくいいますが、まさにその通りなのかもしれません。
仏典では人として生を受けることの得難さの譬えとされていますが、一般には人と人が出会うことが非常に難しいこととして、よく用いられます。
ぜひ、この言葉を自分のものにして使ってみてください。
少しだけ、あなたの周辺の風景がかわってみえるかもしれません。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。